昔の記憶
広告宣伝費2015
昨日の院長日記、
開院11周年に、
なっちゅんさんからコメントをいただきました。
月15万円の支払はキツイですね
はい、確かに15万円はきつかったです。
でももっときつかったのは、
広告宣伝費でした。
■ ■
良いものを安く
健康保険でできる手術は保険でします。
…と張り切って開業したものの、
雪印パーラーの上に、
美容形成外科ができたなんて、
札幌市民にも、
北海道民にもわかりません。
なんとか宣伝しなくてはなりません。
■ ■
私が開業した当時は、
NTTの電話帳が、
広告媒体としては一番確実でした。
ふつうの人は、
まず電話帳を見る時代でした。
美容外科は、
一面全部を使って、
大きな広告を出していました。
■ ■
昔の札幌は、
一冊の厚い電話帳でした。
それが、
札幌市内を2つに分けて、
少し薄くなりました。
私が開業した頃は、
札幌市内が地域別に2冊。
その他に、
旭川から函館まで全道の電話帳に広告を出しました。
■ ■
フリーペーパーや、
バスの車内放送など、
大手美容外科とは違ったやり方で、
札幌美容形成外科を宣伝しました。
その広告宣伝費が、
月100万円程度でした。
これでも美容外科としては格安でした。
■ ■
広告宣伝費をかけても、
お客さんはすぐに来てくれません。
当然、開業当初は赤字です。
従業員も、
他より好条件でなければ、
いい人材は集まりません。
最初は必死でした。
■ ■
今は電話帳広告で美容外科を探す時代ではなくなりました。
大部分の人はネットです。
当然、札幌美容形成外科も電話帳広告費はゼロ。
広告はリファインというフリーペーパーに、
小さく出しているだけです。
11年前と比べると売上は減りましたが、
広告宣伝費も減りました。
私の役員報酬も減らしました。
還暦を過ぎても手術ができることに感謝し、
自分でできる手術だけをしています。
昔の記憶
開院11周年
今日は2015年8月3日です。
札幌美容形成外科が開院したのは、
2004年8月3日でした。
実際には、
開院前から予約が入り、
2004年8月2日(月)から手術をしていました。
一番最初の手術は目の手術でした。
■ ■
私は49歳でした。
借金もたくさんありました。
記録を見ると、
借金の利息だけで、
月に15万円以上もありました。
よく返済できたものです。
私の休みも月に4日程度でした。
■ ■
最初はお客さんも少なく、
夜8時まで診療をしていました。
よくやっていたと思います。
当時は、
神奈川クリニックが、
朝9:00から夜21:00までやっていました。
とてもそこまではできないので、
自分ひとりでできる限界までやっていました。
■ ■
おかげさまで、
順調にお客さんがいらしてくださり、
借金も予定より早く返済できました。
今は私の休みも増えました。
診療時間も夕方18:30には終了します。
私も60歳になりました。
手術メニューから、
脂肪吸引や豊胸術などが無くなりました。
■ ■
今日から開院12年目に入ります。
人間でいうと、
12歳の誕生日です。
小学校6年生の誕生日です。
最近多い手術は、
保険適応の眼瞼下垂症手術
陥没乳首の手術
わきがの手術です。
自由診療では小陰唇縮小手術が多いです。
■ ■
自分なりに振り返ると、
大きな病気もせず、
事故もなく、
よくやってこれたと思います。
大変なこともありました。
60歳を過ぎても働けることに感謝して、
これからも細々と続けていきます。
みなさまからのご声援に感謝しています
昔の記憶
人生なかなかうまくいきません
私のモットーは、
努力すれば何とかなる、
常に最善をつくす、
決して諦めない
…といいことばかり書いてあります。
実際には凹むこともあります。
■ ■
人生なかなか思うようになりません
美容外科も思うようになりません
失業も経験しました
人生なかなかうまくいきません。
身近な方が亡くなったりすると、
とてもがっかりします。
■ ■
そうは言っても、
手術をして、
申し訳ありません
手術はうまくいきませんでした
…では商売になりません。
患者さんから訴えられます。
私たち医療従事者、
特に美容外科や形成外科は、
うまくいってあたりまえです。
■ ■
つい最近も、
小型機の墜落事故や、
フェリーの火災がありました。
飛行機は墜落したら最後ですし、
船は沈没したら最後です。
私たちも、
うまくいきませんでしたはダメです。
お客さんが来なくなります。
■ ■
うまくいくように、
毎日気をつけて、
毎日勉強をして、
毎日新しい情報を仕入れて、
うまくいくようにしています。
なかなか大変な毎日ですが、
自分で選んだ道なので、
うまくいくようにやっていきます。
医学講座
メール相談へのお願い
毎日院長日記を書いていると、
いろいろなご相談を承ります。
最近多いのがbFGFに関連した相談です。
数年前に打ったところが、
盛り上がって不自然になっています。
ヒアルロン酸にFGFを混ぜて打ってもらいました、
とても不安です。
■ ■
ネットで見たら、
○○と
○×を注射するといい
…と書いてありました。
そちらで受けることはできますか?
こんな質問が多いです。
どこの美容外科で、
いつ注射したかは書いてありません。
■ ■
札幌美容形成外科では、
FGFも、
グロースファクターも、
プレミアムPRP治療もしていません。
治療を受けたクリニックに相談してください。
…と返信しています。
日常生活に支障があるとか、
不安で眠れないという人には、
信頼できる先生をご紹介しています。
■ ■
最低限必要なのは、
いつ、
どこで、
どんな治療を受けたか?
お名前もフルネームで、
住所も電話番号もしっかり記載してください。
そうしないと正確に回答できません。
■ ■
メールの送信は、
相談フォームからその都度送信してください。
そうすると、
自動返信メールが届きますし、
セキュリティーがしっかりしたメールになります。
もし心配なことがあれば、
治療を受けたクリニックに、
何という薬を、
どれだけ注射したか聞いてください。
■ ■
法律で定められたカルテの保存期間は5年間です。
どんなクリニックでも、
法律で、
治療内容を記載する義務があります。
自分がどんな治療を受けたのか?
何という薬を注射してもらったのか?
正確に知っておくことが大切です。
ネットの情報にはうそもたくさんあります。
注意してください。
申し訳ありませんが実際に診察をしないで、
メールだけで紹介状は作成できません。
医療問題
佐野社長のお言葉
佐野力さんと小樽商大
2015年7月26日の院長日記でご紹介した、
小樽商科大学の全面広告。
その中で、
佐野社長の、
自分の能力を
公共や
社会的弱者のために使うという
使命感を持った人間
このお言葉に強い魅力を感じました。
■ ■
小樽商大学長との対談で、
2000年にドラッカーとお会いしたと書かれています。
ピーター・ドラッカー
Peter Ferdinand Drucker
Wikipediaによると、
現代経営学、マネジメントmanagementの発明者です。
2005年11月11日に老衰のため、
95歳で亡くなったと書いてあります。
佐野社長は90歳のドラッカーさんとお会いしたのです。
■ ■
佐野社長の、
さらに私の持論を付け加えるなら、
その企業で誰よりも、
一番クリエイティブでなければならない
と思います。
このお言葉にも重みがあります。
私たち医療従事者や、
医療機関の経営者にも大切なことです。
■ ■
今の日本の医療を見ていると、
国の医療行政に振り回されています。
なんとか医療費を抑制しようという国と、
したたかに医療政策を先読みして、
これでもかこれでもかと、
次々ともうかる医療を経営する人が、
日本の医療業界の成功者になっています。
なさけない話しです。
■ ■
悪徳医師がいるのは、
悪徳美容整形だけではありません。
大部分の国公立病院は赤字なのに、
巨大な医療チェーン店を経営している人がいます。
献金問題で都知事まで辞職しています。
私たち医療従事者こそ、
自分の能力を
公共や
社会的弱者のために使うという
使命感を持った人間
…でなければなりません。
佐野社長のお言葉を胸に、
誰よりも、
一番クリエイティブな医師
…になりたいと思います。
昔の記憶
努力すれば何とかなる2015
私が日本オラクルの初代社長、
佐野力さんを尊敬する理由は、
佐野さんが努力する人だからです。
確かに才能もあると思います。
才能だけではえらくなれません。
短波放送を聴いて英語を勉強した、
本人の努力です。
■ ■
私は医師として働いています。
医師免許を取得するのは、
決して楽ではなかったです。
人生で一番勉強したのが、
予備校生だった時です。
矢野雋輔(やのしゅんすけ)先生との出会いがなければ、
私は医師にはなれませんでした。
ちょっとしたきっかけと自信を得たことで、
私の人生が大きく変わりました。
■ ■
私は頭の良い子どもではありませんでした。
学校で一番になったことはありません。
地域で一番優秀な高校でもありませんでした。
クラスでもトップになったことはありません、
どちらかというと…
青白い顔をした
神経質そうな少年でした。
■ ■
私の好きな言葉が無限の可能性です。
若者には…
無限の可能性がある。
決して…
あきらめてはいけない。
昔、旺文社の大学受験ラジオ講座で、
勝浦捨造先生が、
くりかえし述べられたお言葉です。
■ ■
勉強だけではありません。
私は美容形成外科の医師として働いています。
神様は不公平です。
ブスは自分のせいではありません。
ちびまる子ちゃんシリーズに書いた、
冬田さんのような女の子がいます。
■ ■
冬田さん(冬田美鈴)
乙女チックな性格の女の子。
大野君のことが大好き。
困ったことがあるとすぐ泣いてしまうところも。
好きな食べ物はヨーグルト、クッキー、おはぎ。
■ ■
大野君(大野けんいち)
クラスの人気者で、サッカーがとくい。
クラスのリーダー的存在。
勉強もスポーツもできるので女子からも好かれている。
■ ■
クラスの人気者、
大野君(大野けんいち)
私と同じ、
けんいちという名前です。
私とは大違いです。
私はもてた記憶がありません。
どこのクラスにも、
一人か二人は、
こんな男子がいます。
■ ■
冬田さんの、
♡大野君のことが大好き♡
…という乙女心、
私が冬田さんのおじいちゃんだったら、
なんとかしてあげたいと思います。
習字やペン字は、
自分で努力すれば、
美しい字が書けます。
■ ■
でも、
容姿だけは、、、
自分の努力では限界があります。
どんなに上手にメイクをしても、
メイクを取ったら、
あんた誰?
…では困ります。
■ ■
私が冬田さんのおじいちゃんだったら、
目と鼻を直します。
歯科矯正もします。
厚い口唇は、
歯科矯正治療で変わることもあります。
努力すれば何とかなるという思いで、
私は毎日努力する人のお手伝いをしています。
昔の記憶
佐野社長と短波放送
インターネットの普及で衰退してしまったのが、
短波放送です。
私は中学校3年間を、
北海道夕張市の山奥、
大夕張という田舎で暮らしました。
今は巨大なダム湖になっています。
■ ■
山奥では、
TVの電波も、
ラジオの電波も、
とても悪くなります。
今でも携帯が届かないところがあります。
山奥で交通事故を起こすと大変です。
■ ■
日本オラクルの佐野力元社長のふるさとは、
北海道夕張郡栗山町です。
ご実家は写真館でした。
英語を勉強するため、
お母さんに頼んで、
修学旅行の積立金で、
買っていただいた短波放送が受信できるラジオ。
高価なラジオでした。
■ ■
北海道で受信する短波放送は、
雑音が多くて、
とても聞けたものではありませんでした。
私もCNNを聞いたことがありますが、
何を言っているのか???
まったく聞き取れませんでした。
株をやっている人がよく短波放送を聞いていました。
■ ■
私が日本語で株の値段を聞いても、
早口で株価を連呼するのと、
雑音が多くて聞き取れませんでした。
そんな悪条件の中で、
佐野少年は必死でCNNを聞き取って、
英語を勉強しました。
すごいことです。
■ ■
英語は聞き取るのが難しいです。
英語を母国語としない人の英語も、
なかなか難しいものがあります。
佐野社長は、
短波放送の雑音で訓練したので、
悪条件で聞き取れるようになれました。
ニューヨークでも、
スイスでも、
北京でも自由に英語を使えます。
■ ■
私が佐野社長からお聞きした言葉で、
印象に残っていることがあります。
自分が小樽商大へ行けたのは、
兄のおかげです。
兄は自分は大学へ行かないで写真館を継いで、
私を大学へ行かせてくれました。
北海道が生んだ佐野力社長は、
佐野ファミリーの力でした。
私が尊敬する理由です。
昔の記憶
佐野力さんと小樽商大
平成27年7月26日、北海道新聞朝刊に掲載された、
小樽商科大学の全面広告です。
この広告に、
私が尊敬する日本オラクル元社長の、
佐野力さんと学長の対談が掲載されていました。
大学の宣伝ですが、
とてもよいことが書いてあります。
若い方にも読んでいただきたいです。
医師にも簿記の知識が必要だと私は思います。
■ ■
小樽商科大学の挑戦
世界を視野に地域発信。
今、時代が求める人材とは
日本全国に多くの財界人を輩出する小樽商科大学。中でも異才を放つのが元日本オラクル会長の佐野力(さの・ちから)氏。和田健夫小樽商科大学学長を交えて、学生時代の思い出や世界的企業での体験、今の学生に期待することなどをお伺いした。
子どものころから「海外』に思いをはせる
和田 佐野さんは日本オラクルの会長として、世界を舞台にご活躍されましたが、子ども のころは外国への憧れはお持ちでしたか?
佐野 父は19歳のとき、新聞配達でためたお金で、シンガポール行きの貨物船の片道切符を購入し室蘭港を出発しました。シンガポールでは、英国人から写真技術を学び、帰国後は写真館を開業しました。私は父が持ち帰った多くの写真の中で育ちました。そしていつかは自分も父のように海外で働くのだと思っていました。
和田 その思いは、後につながっていくのですね。
佐野 高校2年生の時です。母に頼んで修学旅行の積立金で短波ラジオを買ってもらいました。英語講座を聞くためです。ラジオから流れる素晴らしい英 語に触れとてもうれしかったのですが、その反面、修学旅行に行かなかったことを一生悔いています。IBMに入社して6年目、スイスで行われた英語によるプレゼンテドションの審査において、審査員40人全員から満点をもらったときは、英語を勉強したことが報われた瞬間でした。それからは「英語と世界は怖くない」と思うようになりました。
先輩との絆や恩師が、次の道を開いた
和田 佐野さんの商大時代のお話をお聞きしたいのですが。
佐野 かなり蛮カラな学生でした。応援団としてげたを履いて今も続く北大との対面式に臨んだり、柔道部員として北大の定期戦に出場していました。先輩が便宜を図り東京の講道館で練習をさせていただいたことも。「後輩に対する思い」や「絆の強さ」を感じ、いつか私も後輩に対して同じ思いを味わってもらいたいと思ったものです。
和田 商大は創立以来100年を超える歴史があり、経済界を中心に有為な人材を輩出しています。卒業生の方々の結束力、母校を応援する気概を本当に強く感じます。卒業生が組織する公益社団法人緑丘会・公益財団法人小樽商科大学後援会(島崎憲明理事長)には募金活動や学生に対する支援などをいただき、またお膝元の小樽支部(庄司俊雄支部長)、札幌支部(山田二郎支部長)をはじめ、全国26支部の支援体制が整備されていることから、大学としても大変心強く感じています。
和田 学業についての思い出はいかがでしょうか?
佐野 何といっても経営学の伊藤森右衛門教授(後に第4代学長)との出会いです。また先生がテキストとして用いたピータードラッカーの『会社という概念』という原書ですね。伊藤教授は「経営学は社長の学問」が持論で「社長と副社長では天と地の差がある。どうせならトップを目指せ」と。その後の私の生き方に大きな影響を与えました。また、より確かなビジネスを遂行するためには、簿記会計の知識は社長から新人社員まで必要な基本的知識です。一方、文学、芸術、歴史といった一般教養はとても重要であり、世界共通の話題として身につける必要があると考えています。英語のみならず第2外国語を用いて相手に感動を与えるような対話をしなければこれからの競争には勝てません。
和田 簿記の重要性は今の学生も感じているのでしょう。現在1年生から履修できる科目の「簿記原理」は必修ではありませんが履修率はほぼ100%となっています。
実学・語学を進化させ「世界」を学ぶ
和田 ご存じの通り本学は「実学、語学、品格」を教育のモットーとしてきました。とりわけ外国語教育は「北の外国語学校」とも称されるほど力を入れてきました。今は対面型の学習とオンラインによる学習を組み合わせたブレンデッド・ラーニングという新しい授業形態を取り入れ、さらに充実を図っているところです。
佐野 大学として学生に求める将来像をお聞かせいただけますか?
和田 本学の伝統は「実学」教育ですが、これは深い専門知識と教養としての幅広い分野の 知識を合わせもち、現実問題への解決に取り組む意欲と能力を備えた人材、それに加えて実 践的な語学能力と異文化理解能力を身につけて世界でも活躍できる人材を育成することにあります。そして今挑戦しているのが、アクティブ・ラーニング(学生の主体的・能動的な学び)や先に述べたブレンデッド・ラーニングの開発です。最新のICT機器を備えた教室やラーニング・コモンズ(自由な学習スペース)を整備しました。この点では、本学は一歩進んでいると自負しています。さらに今年度、グローバルな視点をもって北海道の発展に貢献できる人材を育成するために「グローカルマネジメント副専攻プログラム」をスタートさせました。佐野さんにはプログラムの骨幹である「留学」に関する費用支援をしていただく「佐野力海外留学奨励金」を創設いただきました。心からお礼申しあげます。
佐野力海外留学奨励金、創設への思い
和田 このたび、佐野さんには10年間で600名にも上る留学支援のための奨学金を創設 いただきましたが、その意図を教えていただけますか?
佐野 それはごく単純な発想からです。先輩が後輩に「きっかけ」を作り、与えられた「きっかけ」を「チャンス」に変えることができる人材に対して援助をしたかったからです。海外留学を経験した学生が帰国後にその経験を生かし、周りの人間にも刺激を与える存在になってほしい。
私は、たった5人で日本オラクルを立ち上げ、わずか10年で一時はあの世界のソニーを時価総額で抜く企業としました。なぜそのようなことが成し遂げられたかを振り返ると、いつか来るチャンスに対して常に準備を怠らなかったからだと思います。ここぞの際には先手を打つ。今、私が創設した奨励金により、学生が早くから海外を経験し、何かを感じ、学んだ上で、日本という国を考え、いつか必ず訪れるチャンスをつかみ取ってくれたら、先輩としてこんなうれしいことはないと考えました。
言葉、環境、伝統を跳び越える力を
和田 世界的企業を育て上げ、海外での実績も豊富な佐野さんですが、最後に、企業経営 における「グローバル」について、どうお考えですか?
佐野 今振り返ると子会社が親会社にはっきりと「NO」をいうことが「グローバル」の始まりだったかもしれません。当時、日本で販売を開始するにあたり、米国オラクルの会長であるラリー・エリソンは「代理店」を通して販売することに反対しました。
私は日本には日本のやり方があるとして「NO」を突き付け、結果、代理店を通じた「日本方式」により業績を圧倒的に向上させました。「グローバル」という考え方は、各国々の風習や文化の違いなどをお互いに理解した上で初めて成り立つものです。そして10年後、日本オラクルは東証一部上場を果たしましたが、それは名実共に日本企業になった証しでした。「グローバル」はあらゆる垣根を跳び越えて、その地の環境の中で独自のビジョンを深め広めていくことだと思います。
経営者にはもうひとつ必要なことがあります。私が2000年にドラッカーとお会いした際「自分の能力を公共や社会的弱者のために使うという使命感を持った人間」がりーダーになるべきだと語り熱い握手をしてくれました。さらに私の持論を付け加えるなら、その企業で誰よりも、一番クリエイティブでなければならないと思います。
和田 本学は2013年8月8日に「№1グローカル大学宣言」を行いました。グローバル時代における地域(北海道)の教育研究拠点として、グローバルな視野のもとで、ローカルな視点から考え行動できを能力の育成を目指すことを「宣言」として発信したのですが、佐野さんのおっしゃる通り、クリエイティブな感覚と行動はまさしく「グローカル」な人材育成に最も必要なファクターだと思います。
佐野 力(さの・ちから)
1941年タ張郡栗山町生まれ。1963年小樽商科大学卒業後、日本IBM札幌営業所入社。米IBM(ニューヨーク)出向、中国(北京)事業開発部長、西部営業本部長などを歴任。1990年IBM退社、日本オラクル社長就任。社員5人でスタートし、その後業績を急伸させ10年目で売上657億円、社員1421人に。 2000年東証一部上場。会長就任後60歳で経営を退く。
2001年千葉県我孫子市に白樺文学館を自費で設立、館長に就任。また、母校の先輩である小林多喜二の研究者としても知られ、白樺文学館に小林多喜ニライブラリーを併設。後に日本の若年労働者のワーキング・プア問題が重なり「蟹工船」ブームの火付け役となる。
(以上、北海道新聞より引用)
■ ■
高校生の時に、
短波放送でCNNを聴き、
英語を勉強なさった佐野社長です。
ラジオを買ったために修学旅行に行けなかった。
その佐野力さんが、
日本を代表する資産家になり、
母校のために留学奨励金を創設されました。
すごいことだと思います。
北海道が生んだ日本の社長です。
二重・眼瞼下垂
二重の幅を広くしてください
美容外科には、
二重の幅を広くしてくださいという患者さんが来ます。
毎日、右目だけ苦労しています。
よくよく聞いてみると、
すでに埋没法を3回も受けていて、
また狭くなってきたので、
ちょっとだけ広くしてほしいという人もいます。
■ ■
二重の幅の左右差は、
糊で直すと簡単でも、
手術で治すのは、
とても難しいことがあります。
どんなに経験を積んだ名医でも、
糊のようにはできないことがあります。
手術は簡単に微調整ができません。
■ ■
手術と糊が一番違う理由は、
本人が起きた状態で、
鏡を見ながら作る二重が糊です。
視力が悪い人でも、
自分の目で確認して二重にしますから、
眉の位置もふだん通りで、
自分の好みの目にできます。
■ ■
手術は、
ふつうは寝た状態でします。
手術中に起き上がって確認します。
手術中は眼鏡もコンタクトも外します。
起き上がって本人に確認してもらっても、
本人がよく見えていないことがあります。
眼鏡をかけた時に、
眉の高さが変わって、
二重の幅も変わることがあります。
■ ■
二重の幅と眉の位置①
二重の幅と眉の位置②
二重の幅と眉の位置③
二重の幅と眉の位置④
二重の幅と眉の位置⑤
2012年1月4日から8日までの院長日記を読んでください。
糊でつくると簡単にできる二重でも、
手術ではできないことがあります。
片目だけの手術はおすすめしません
医学講座
心療内科と精神神経科
なっちゅんさんから、
心療内科のコメントをいただきました。
心療内科と精神神経科の違いって?
わかっているようで、
なかなか難しいです。
私がいつも怒っている、
厚生労働省に親切な解説ページがあります。
■ ■
みんなのメンタルヘルス総合サイト
医療機関の選び方というサイトです。
精神科、神経科、精神神経科、心療内科、神経内科の違いは?
医療機関の看板に書かれている診療科目名がいろいろなので、迷いやすいですね。
「精神科」「神経科」「精神神経科」は同じものです。
どれかが書いてある場合や、併記してある場合は、
「うつ病」「統合失調症」「神経症性障害」などのこころの病気を診ている精神科の医療機関と考えて間違いありません。
心療内科
「心療内科」は心理的な要因で身体の症状(胃潰瘍、気管支ぜんそくなど)が現れる、いわゆる「心身症」を主な対象としています。
しかし、「心療内科」と看板に書いてあっても、実際にはこころの病気を診ている医療機関がたくさんあります。ただし、こころの病気を全て診るわけではなく、軽い「うつ病」や「神経症性障害」など一部のこころの病気しか診ないところもあります。
神経内科
「神経内科」は、パーキンソン病や脳梗塞、手足の麻痺や震えなど、脳や脊髄、神経、筋肉の病気を診る内科です。精神的な病気を主に診ているわけではありません。
しかし「神経内科」と看板に書いてあっても、実際にはこころの病気を含めて診ているところがあります。また、「認知症」や「てんかん」は、精神科でも神経内科でも診ています。
■ ■
医師の私でも選ぶのは難しいです。
心療内科は新しい診療科目です。
正式に名前が認められたのが1996年。
形成外科や美容外科より後になって、
正式に認められました。
現在心療内科の講座・診療科を持つ医学部や医科大学は、
九州大学、東京大学、東邦大学、関西医科大学、鹿児島大学の5大学のみです。
心療内科が生まれたのが九州大学です。
■ ■
心療内科にも専門医制度があります。
残念なことですが心療内科専門医はとても少ないです。
日本心療内科学会専門医は、
2015年6月10日現在で127人です。
それと比べて
日本精神神経学会専門医は、
2015年7月24日現在10325人のデーターが登録されています。
■ ■
一般の方は、
精神科、
神経科、
精神神経科という看板のクリニックより、
心療内科、
こころのクリニックという名前のクリニックが、
何となく入りやすいです。
でも日本全体で心療内科専門医が127人しかいないのです。
■ ■
私が不眠症になったら、
精神神経科の専門医や指導医に相談します。
実際には、
精神神経科の医師が、
看板に心療内科を掲げているところもあります。
そのほうが入りやすいからだと思います。
専門医でも先生との相性もあります。
措置入院などの診断ができるのは、
精神保健指定医です。
クリニックを選ぶ時に参考にしてください。