医学講座

眼科と形成外科の違い

 米国や韓国には、
 眼形成外科、
 Oculoplastic surgery (オキュロプラスティク サージェリー)
 または
 Oculoplastics (オキュロプラスティク)
 という科があります。
 学会もあります。
 残念ですが日本にはまだありません。
 私を韓国へ招待してくださった先生は、
 この眼形成外科の先生たちでした。
      ■         ■
 私が学生時代に眼科を習ったのは、
 中川喬(なかがわたかし)先生でした。
 札幌医大眼科の教授を退職され、
 現在は、
 医大前中川眼科を開業なさっていらっしゃいます。
 中川先生は、
 眼科の中でも、
 斜視や流涙症などがご専門です。
 お若い頃に、
 ニューヨークに留学され、
 カンバースという有名な形成外科医の下で、
 指導を受けたと伺ったことがありました。
      ■         ■
 私が形成外科医になるきっかけとなった、
 医学部6年生の時の、
 形成外科の特別講義は、
 中川教授が担当されました。
 中川先生は、
 日本でも形成外科に造詣(ぞうけい)が深い、
 眼科医のお一人だと思います。
 私のような若輩者とは大違いです。
 私は斜視や流涙症などは、
 必ず中川先生をご紹介しています。
 中川先生から眼瞼下垂症をご紹介いただくこともあります。
      ■         ■
 一度、私が眼瞼下垂症を手術した方を、
 斜視の疑いで、
 中川先生にご紹介したことがありました。
 斜視は手術をするまでもなく、
 経過観察だけでよいことになりました。
 その時に、
 中川先生から、
 私の眼瞼下垂症手術を褒めていただき、
 とても嬉しかった思いがあります。
      ■         ■
 眼形成外科は、
 眼科医がしても、形成外科医がしても、
 まったく問題はありません。
 一部の眼科医の間では、
 形成外科医が眼瞼下垂症手術をするのを、
 非難されていらっしゃるのを
 目にすることがあります。
 確かに形成外科医は、
 より形態(見た目)を重視するのは確かです。
      ■         ■
 眼瞼下垂症手術を、
 眼科で受けるか、
 形成外科で受けるかは、
 手術を受ける方に選ぶ権利があります。
 HPなどを参考にして、
 自分がなりたい目を選んでください。


手術前です


手術直後です


手術3週間後です


まぶたが下がってものが見えません
手術前です


手術一ヵ月後です


手術3年後です

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医学講座

麻酔器の点検

 今日は麻酔器の点検日です。
 自動車は車検や定期点検が法律で決められています。
 医療器械の法定点検については、
 自動車のような法律は無いと思います。
 薬事法などの規定があるようですが、
 病院や診療所が自主的に
 点検整備しているのが現状だと思います。
 大規模な病院では、
 臨床工学士という方がいるところもありますが、
 クリニックでは、まだ一般的ではありません。
      ■         ■
 これから開業を考えていらっしゃる先生や、
 開業されて日が浅い先生は、
 おそらく医療器械の定期点検まで、
 頭が回らないと思います(失礼ですが…)。
 医学部の講義や
 臨床研修でも、
 医療器械の定期点検については、
 教えていないし、
 医師国家試験にも出ません。
      ■         ■
 私のような小さなクリニックでも、
 医療用レーザー装置、
 麻酔器、
 滅菌機など、
 さまざまな医療機器があります。
 滅菌機は、
 診療に必須のものなので、
 予備機も置いてあります。
      ■         ■
 一番メンテナンス費用がかかるのが、
 医療用レーザー機器です。
 次が麻酔器でしょうか?
 手術用顕微鏡は高価ですが、
 めったに故障はしませんし、
 電球が切れることもマレです。
 安全のことを考えると、
 麻酔器の点検整備は欠かせません。
      ■         ■
 開業する前には、
 金融機関に資金計画や、
 事業計画を提出して審査を受けます。
 銀行が融資をしてくれなければ、
 クリニックを開業することはできません。
 (スポンサーがいる場合とか)
 (自己資金が豊富な先生が別ですが…)
 この資金計画が狂うこともあります。
 メンテナンス費用は資金計画の
 意外な盲点になることもあります。
      ■         ■
 医療費抑制政策や
 100年に一度の不況で、
 医療機関の経営も大変です。
 ただ、安全にかける費用は、
 事故防止の観点からも惜しんではいられません。
 お医者さんもなかなか大変なのです。
 今日の麻酔器の点検は、
 3時間以上もかかりました。
 結果をドイツにまで送るそうです。
 担当の及川様お疲れ様でした。

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昔の記憶

ピアノの発表会

 『先生、今度、市民文化会館で』
 『娘のピアノ発表会があるんです。』
 『よかったら、いらしてください。』
 とピアノ発表会のチケットをいただきました。
 もう20年以上も前のことです。
 そのお嬢さんは、
 生まれつき手が不自由でした。
      ■         ■
 手の先天異常は…
 山形大学整形外科の荻野利彦教授がご専門です。
 形成外科でも…
 生まれつき、
 指が多い多指症(たししょう)とか
 指と指がくっついている合指症(ごうししょう)の
 手術をしています。
 そのお嬢さんは、
 北大形成外科で手術をした方でした。
      ■         ■
 私が釧路労災病院形成外科へ勤務していた時、
 外来で経過を診ていました。
 指の異常があっても、
 ピアノは弾けます。
 障害の程度は人によってさまざまですが、
 練習を重ねると、
 ピアノも弾けるし、
 パソコンのキーボードも打てます。
      ■         ■
 土曜日の夜だったので、
 釧路労災病院から、
 歩いて釧路市民文化会館へ行きました。
 幼稚園か小学生だった、
 そのお嬢さんは、
 とても上手にピアノを弾いて、
 終わった後で、
 ちょっと恥ずかしそうにしていました。
 会場から大きな拍手がありました。
 もちろん手に障害があることはわかりませんでした。
      ■         ■
 お母さんは、
 手が不自由だったので、
 少しでもリハビリになれば…
 と思ってピアノを習わせたと、
 お話しくださいました。
 そのお嬢さんも、
 今は成人して、
 立派になられていることと思います。
      ■         ■
 小さい時に病気をしたので、
 看護師さんになったお嬢さんもいらっしゃいます。
 自分に障害があることで、
 他人の痛みが、
 健常者よりよくわかることもあります。
 父親の目が見えなかったので、
 眼科医になった先生もいます。
 ふつうの人よりも…
 よく理解できることもあると思います。
 病気に負けず頑張ってください♪

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院長の休日

辻井伸行さんのピアノ

 今朝のとくダネ!で
 辻井伸行さんのピアノをお聴きしました。
 朝からとても感動しました。
 小学校6年生の時に、
 ご自身が作曲されたという、
 ロックフェラーの天使の羽
 という曲がよかったです。
 お父様は産婦人科のお医者さんです。
      ■         ■
 医院のHPに書かれていました。
 当院は、
 家庭的な暖かな雰囲気を大切にし、
 納得して頂けるような治療を心がけています。
 どんな事でも結構ですから
 お気軽な気持ちで来院してください。
      ■         ■
 別のインタビュー記事
 先生が回答なさっていらっしゃいました。
 思い出に残っている患者さんとのエピソードをお聞かせください
 産婦人科=おめでたい科というイメージがありますが、決しておめでたいことばかりではなく、流産や死産など、悲しい結末を迎えなくてはならないことも少なくありません。そのようなときに、できる限り力になり、サポートしたいと思っています。
      ■         ■
 思い出に残っていると言えば、ダウン症のお子さんを持ったお母さんのことが忘れられません。お子さんがダウン症だと知ったときはとてもショックを受けていましたが、数年経ってお子さんを連れて来てくださり、元気に子育てをなさっている様子が伝わってきて嬉しくなったものです。私自身もハンディキャップを持つ息子の父ですが、ハンディキャップがあるからと絶望する必要もなければ、悲しむこともないのだと息子に教えてもらいました。私の経験を活かして、医療面からも精神面でもお母さんをサポートしたいと思っています。
      ■         ■
 ご長男の辻井伸行さんはピアニストとしてご活躍されていますね
 息子は目が見えないというハンディキャップがありますが、周囲の方々の協力もあり、ピアニストとして活躍する場を与えていただいています。コンサートの舞台に立つ息子の姿を見るのが一番の楽しみです。家族全員で行ければ良いのですが、父と私の二人が医院を空けるわけにはいきませんので、父と交代でコンサートに行っています。


田園都市.comより引用

     ■         ■

 辻井先生がお話しになっていらっしゃる通りです。
 ハンディキャップがあるからと絶望する必要もなければ、
 悲しむこともないのです。
 逆に私たちが、
 励ましていただくこともたくさんあります。
 辻井伸行さんのピアノは、
 天賦の才能に…
 本人の努力、
 素晴らしい指導者、
 そしてご両親やご家族の愛情によって、
 育(はぐく)まれたのだと思います。
      ■         ■
 ピアノの音色も素晴らしかったですが、
 辻井さんの明るい表情。
 素晴らしい指の動き。
 ピアノを弾き終えた後の、
 満足そうな笑顔。
 これらすべてが、
 日本中の人を引きつける魅力なのだと思います。
 これからも、
 ますますご活躍されることを、
 心から願っています。

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院長の休日

さくらんぼありがとうございました♪

 山形から
 さくらんぼをたくさん送っていただきました。
 ありがとうございました。
 昨日いただいたさくらんぼさんのコメントです。
 山形は 梅雨いりしましたが、
 加温佐藤錦サクランボは終わり、
 来週から紅秀峰(べにしゅうほう)他が収穫期に入り
  あと10日間で終わります。
      ♡         ♡
 露地物(露地でもハウスは張ります)は
 今佐藤錦の 葉摘みが忙しく
 (さくらんぼに葉がくっついているとそこだけ青いままになるので、
 最小限くっついてる葉を手かハサミでとります)
 樹の下に太陽の陽が入るように
 銀色の反射シートを敷き詰めます。
 暑くてなかなか大変な作業です。
 が 作業中 実割れしたさくらんぼなど
 おなか いっぱい食べられるのが特権かな。
 食べ過ぎるとお腹の調子がゆるくなるので注意です。
      ♡         ♡
 山形は さくらんぼ狩りで
 これから 空港付近や 高速道路など
 さくらんぼ渋滞が来月初め過ぎまで続きます。
 ぜひ みちのく山形へ お越しください!
 私の家では観光果樹園はしてないですが、
 空港から降りると(千歳から約一時間で着きます)、
 回りは サクランボ狩りの旗がいっぱい たなびいてますよ。
      ♡         ♡
 宝石のようなさくらんぼをいただき、
 幸せな気分になれました。
 ありがとうございました。
 宝石のようなさくらんぼを作るには、
 ハウスをかけたり、
 葉っぱをとったり、
 反射シートを敷いたり、
 それはそれは大変なことを、
 さくらんぼさんと知り合うまで
 まったくわかりませんでした。
      ■         ■
 私の父が、
 孫のため、自宅の裏に、
 さくらんぼの木を2本植えました。
 『じいちゃん家さくらんぼ』は、
 大部分が鳥の餌になり、
 残った実も小さく、
 それを採るのも大変でした。
 ちょっと触っただけでもキズがついてしまう、
 柔らかなさくらんぼ
 一つひとつ手作業で収穫するのは、
 ほんとうに大変なことと思います。
      ■         ■
 さくらんぼさんには…
 毎日コメントをいただいて…
 私が日記を続ける原動力になっています。
 さくらんぼさんからいただく、
 山形のフルーツは最高です。
 私も時間ができたら、
 必ずみちのくのフルーツ王国、
 山形に行ってみたいと思っています。
 ありがとうございました♪


宝石のようなサクランボ


美味しくいただきました


2008年6月18日の
サクランボ

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昔の記憶

麻酔科研修の想い出⑥

 高橋長雄教授を偲(しの)んで書いた、
 麻酔科研修の想い出シリーズの最後です。
 偉大な教育者とは、
 自分がした失敗を、
 いかに繰り返さないか…?
 ということを正確に教える人のように思います。
 想い出⑤で書いたように、
 私の記憶が正しければ、
 盲腸の手術で患者さんが亡くなったのが、
 高橋先生を麻酔学へと導いたと思います。
      ■         ■
 第35回日本熱傷学会④で書いた、
 日本大学医学部法医学教授、
 押田茂實先生の、
 『医療事故知っておきたい実情と問題点』
 にあったように、
 医療というのは、
 病気を持った人に、
 大きな手術をしたり、
 危険性のある薬を使うことがあります。
 その結果的として…
 予想外の結果が生じる場合があります。
 リスクがある患者さんに麻酔をかけると…
 最悪の結果となることがあります。
      ■         ■
 札幌医大麻酔科には、
 何人もの優秀な先生がいらっしゃいました。
 私はそこで研修を受けさせていただきました。
 私自身が研修期間中に、
 危うく事故を起こしそうになりました。
 麻酔科の研修を受けるというのは、
 自分自身で麻酔をかけなければ覚えられません。
 中には…
 予想できない事態が起こることもありました。
 事故を防ぐには、
 不測の事態が起きた時に、
 いかに対処できるかが問題となります。
      ■         ■
 大学病院の手術部では、
 同時進行で、
 毎日7~8例の手術がありました。
 麻酔科控え室には、
 各手術室の様子がモニターTVで写ります。
 患者さんの状態も、
 心電図などのモニターでわかるようになっています。
 その控え室には、
 インチャージと呼ばれる、
 麻酔科指導医の超ベテランが控えています。
 何かトラブルがあると…
 この先生がお助けマンとして急行してくれます。
      ■         ■
 私を助けてくれたのは、
 多汗症の交感神経節手術をしていらっしゃる、
 本間英司先生でした。
 本間先生は当時、留学から帰国されて、
 医局長をなさっていらっしゃいました。
 とても頼りになる兄貴分の先生でした。
 本間先生は覚えていらっしゃらないと思いますが、
 私は助けていただいたことを一生忘れません。
 札幌医大麻酔科では、
 私のようなトラブルが起きると、
 かならずケースカンファレンスという、
 症例検討会で発表していました。
      ■         ■
 毎週行なわれるケースカンファレンスでは、
 どうしてトラブルが起きたのか?
 トラブルを未然に防ぐにはどうしたら良いのか?
 などを詳細に調べて発表しました。
 私が起こしたトラブルは、
 他の先生が起こす危険性があるからです。
 熱心に討論が繰り返され、
 容赦ない質問が上の先生からも
 下の先生からもありました。
      ■         ■
 こうした
 失敗から学ぶ
 失敗を共有する
 ということが、
 医学の発展には必須だと思います。
 札幌医大では、
 今、三代目の麻酔科教授の選考中です。
 もうすぐ、新教授が選ばれて…
 高橋先生が築かれた札幌医大麻酔学教室は、
 これからもますます発展することと思います。
 先生のご冥福をこころからお祈りいたします。
 先生、ほんとうにありがとうございました。

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昔の記憶

麻酔科研修の想い出⑤

 札幌医大麻酔科の高橋長雄教授は、
 麻酔学の他に、
 医学概論(いがくがいろん)という科目を
 担当されていました。
 医学概論は…
 医学部へ入学した学生に、
 お医者さんになるには…
 とか
 医師としての心構え…
 を教える科目です。
      ■         ■
 高校生や予備校生に…
 毛の生えたような…
 まだ解剖実習も始まらず…
 医学生とは言えないような時期に授業がありました。
 偉い先生が何人か交代で、
 数回の講義がありました。
 講義をしていただいた先生には、
 大変申し訳ございませんが…
 どんな内容だったか?
 覚えていません。
 ただ一つだけ覚えていることがあります。
 高橋先生が麻酔科医を志(こころざ)した理由です。
      ■         ■
 高橋先生は、
 北大医学部をご卒業後に、
 外科医を目指されました。
 当時の北大で外科学を学ぶ傍(かたわ)ら、
 薬理学教室で研究をされました。
 外科医として…
 北海道内のある町へ
 出張された時のことだそうです。
 その町の若い方が…
 盲腸(急性虫垂炎)になりました。
      ■         ■
 町の病院で…
 盲腸の手術をしました。
 ところが…
 不幸にもその患者さんが、
 亡くなってしまったそうです。
 時代は昭和20年代のはじめ、
 戦後の混乱期です。
 十分な設備が無かったのかもしれません。
 手術に問題があったのか?
 麻酔の問題だったのか?
 その辺のこともわかりません。
      ■         ■
 町では、
 『病院で盲腸の手術で死んだ』
 と評判になったそうです。
 当時でも、
 盲腸で死ぬのは…
 珍しいことだったのです。
 小さな町です。
 札幌から来た若いお医者さんは…
 すぐにわかります。
      ■         ■
 高橋先生は、
 患者さんが亡くなってから、
 町の食堂へ食事に行っても…
 買い物へ行っても…
 町の人の視線が…
 ずっと気になった。
 とお話しくださいました。
 町の人が何か話していると、
 すべて…
 ‘盲腸’とか
 ‘盲腸で死んだ’
 に聞こえたそうです。
      ■         ■
 6年間の医学部の講義で、
 自分が体験した医療事故の話しを聞いたのは、
 高橋先生の盲腸のことだけでした。
 おそらく今でも…
 自分の医療事故を講義で話す先生は、
 どこにもいないと思います。
 まだ19歳か20歳程度だった私は、
 『ふ~ん、そんなことがあるのか?』
 程度にしか思っていませんでした。
 今、自分が50歳も半ばとなり、
 そんな高橋先生をすごい!と思います。
      ■         ■
 一人の患者さんの死をきっかけとして、
 高橋先生は麻酔学をこころざし、
 若くして渡米され、
 ニューヨークで麻酔学を研鑽されました。
 私が生まれた頃の話しです。
 帰国後に、
 先生は麻酔学教室を開設され、
 多くの優秀な麻酔科医を育てられました。
 私は高橋先生から麻酔学を学んだことを、
 とても貴重な財産だと思っています。
 高橋先生と、
 高橋先生の下で研修することを許していただいた、
 恩師の大浦武彦先生に心から感謝しています。

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昔の記憶

麻酔科研修の想い出④

 麻酔科は外科系の科から、
 麻酔の依頼があると、
 麻酔をかける科です。
 当たり前のようですが、
 これが大変なことなのです。
 患者さんを選んで…
 麻酔をかけるのではなく、
 依頼があれば引き受けるのが原則です。
      ■         ■
 中には、
 生死にかかわるような手術もあります。
 麻酔をかけただけでも、
 生命の危険を伴うこともあります。
 私も札幌医大形成外科に勤務していた時に、
 心臓の機能が低下していて、
 麻酔科と相談して、
 手術を一度は諦めた患者さんが
 いらっしゃいました。
      ■         ■
 私が北大形成外科で研修をしていた頃、
 北大病院手術部では、
 毎週金曜日のお昼に、
 手術場(しゅじゅつば)会議というのがありました。
 各科から出された、
 翌週の手術予定を調整する会議でした。
 手術室看護師の数や、
 麻酔科医の数には限りがあります。
 全ての科の手術や麻酔を引き受ける、
 人的な余裕がありませんでした。
      ■         ■
 今はどうかわかりませんが、
 看護師さんの数が足りないので…
 直接介助は無しでお願いします。
 【2名の看護師がつくところを1名にしてください】
 【看護師の代わりは研修医です】
 とか
 この手術は次週にまわしてください。
 という調整の会議でした。
 この会議に出るのが、
 形成外科ではチーフレジデントでした。
 私も半年間出席しました。
      ■         ■
 この会議で手術が(予定に)入らなくなると…
 患者さんに説明をして…
 『申し訳ございません。』
 『手術室の都合で来週の手術は延期になりました。』
 と謝るのも、
 チーフレジデントの仕事でした。
 幸い、私の時には断られて…
 中止になった例は無かったと思います。
 ただ、毎週気の重い会議でした。
 患者さんへの説明も、
 金曜日の手術部の会議の後で
 最終的な手術日程を説明していました。
      ■         ■
 麻酔科研修をした札幌医大では、
 手術部の人員の関係で、
 手術ができないとか…
 麻酔科医が足りないので、
 手術ができないとかいうことは…
 まったくありませんでした。
 手術が必要な患者さんを
 手術が必要な時に引き受けるのが、
 麻酔科と手術部の仕事でした。
 優秀な看護師や麻酔科医が、
 たくさんいたのでできたのだと思います。
      ■         ■
 現在の保険医療制度では…
 病棟の看護師を増やすと…
 病院に入る収入が
 増えるようになっています。
 ところが…
 手術室の看護師を増やしても、
 麻酔科医を増やしても、
 病院は経費がかかるばかりで、
 直接の収入増にはなりません。
 私たちが安心して医療を受けるためにも、
 国は麻酔科医や手術部の看護師にも、
 目を向けてほしいと思います。

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昔の記憶

麻酔科研修の想い出③

 私が麻酔科研修を受けた時に、
 私に直接、麻酔技術を指導してくださったのは、
 高橋長雄教授ではありませんでした。
 私に喉頭鏡(こうとうきょう)という器具を使って、
 口から麻酔の管(くだ)
 【挿管(そうかん)チューブと言います】
 を入れる手技を教えて下さったのは…
 当時の講師や助手・研究生の先生でした。
      ■         ■
 そのうちのお一人が、
 風のガーデンで、
 麻酔科の指導をなさった、
 旭川医科大学の岩崎寛教授でした。
 岩崎先生は大学院生で、
 博士号を取得するために、
 日夜研究をなさっていらっしゃいました。
 その他にも、
 当時、助手や研究生だった先生が、
 日本全国で、
 麻酔科教授としてご活躍中です。
      ■         ■
 麻酔科の朝は早く、
 夜は遅くまで研究室で勉強をしていました。
 ほぼ全員…
 夕食は出前でした。
 札幌医大近くのラーメン屋さんだったり、
 食堂だったりしました。
 夜の勉強は強制ではありませんでしたが、
 教室全体が勉強をする雰囲気でした。
 勉強の途中で、
 医局でコーヒーを飲んだり、
 雑談もしました。
      ■         ■
 そこら中に、
 教科書を執筆するような‘先生’が、
 何人もいました。
 医局には本や論文などの資料も、
 豊富にありました。
 わからないことがあれば、
 何でも気軽に質問できる雰囲気がありました。
 この豊富な人材こそが、
 高橋長雄教授が築かれた…
 貴重な財産であり、
 札幌医大麻酔科が、
 多くの教授を輩出した、
 原動力だと思います。
      ■         ■
 私は麻酔科研修で、
 点滴の刺し方から、
 中心静脈カテーテルの入れ方。
 心肺蘇生の基礎。
 とにかく…
 医師として、
 いざという時に必要な手技や知識を
 すべて教えていただきました。
 麻酔科研修を終えた後は、
 医師としての自信が数倍にもなった気がしました。
      ■         ■
 札幌医大麻酔科で教えていただいたのは、
 技術だけではありませんでした。
 事故を起こしてはいけないという、
 極めて基本的なことを何度も言われました。
 医師賠償責任保険にも加入しました。
 依頼があった麻酔は、
 断らないというのも、
 札幌医大麻酔科の特徴でした。
      ■         ■
 われわれは、
 北海道が作った公立大学の職員で、
 札幌医大は道民のための大学病院。
 手術を必要としている患者さんのために、
 最善を尽くすのが当然…と
 当時の並木助教授(現名誉教授)に、
 教えていただきました。
 麻酔の手技とともに…
 私の心の中に生涯、残っている、
 札幌医大麻酔科のスピリットです。

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昔の記憶

麻酔科研修の想い出②

 私が札幌医大の学生だった頃と、
 麻酔科研修をさせていただいたのは、
 昭和50年代でした。
 高橋長雄先生が作られた、
 札幌医大の麻酔科は、
 日本の草分け。
 新進気鋭の麻酔学教室でした。
      ■         ■
 当時は、すでに中央手術室という、
 手術部門が独立していました。
 手術室の中で、
 麻酔科医と、
 麻酔科の看護婦さんは、
 薄い水色の術衣を着ていました。
 外科系の先生と
 看護婦さんは緑色の術衣でした。
      ■         ■
 たかが術衣の色と思いますが…
 これは実にすごいことだと…
 医者になって何十年も経ってから気づきました。
 そもそも…
 麻酔科の看護婦さんが、
 手術部門で独立していたのは、
 札幌医大の他は、
 あまり無かったのでは…?
 と思います。
      ■         ■
 私が平成10年(1998年)に、
 札幌医大に赴任した時には、
 残念ながら…
 水色の術衣は無くなっていました。
 麻酔科医も緑色の術衣でした。
 麻酔科の看護婦さんは、
 その存在が無くなっていました。
 何でも…
 新病院を建築した際に、
 手術部門の看護婦さんに統一されたそうです。
      ■         ■
 確かに…
 現在の看護師不足や、
 手術部門での…
 夜勤を含めた勤務を考えると…
 仕方のないことかと思います。
 ただ、
 麻酔科の看護婦さんは、
 素晴らしかった!
 新米の研修医以上に、
 何でも麻酔のことをご存知でした。
      ■         ■
 風のガーデンに出てきた、
 主人公が麻酔科医でした。
 麻酔科准教授・白鳥貞美(中井貴一)先生は、
 素敵でしたね。
 麻酔科は、
 痛みをとるエキスパートです。
 麻酔は、
 手術を安楽に受ける魔法のような手技ですが、
 医療事故が多いのも麻酔です。
 医療安全のことが最近取り上げられてますが、
 私が医療安全の基礎を教えていただいたのが、
 この麻酔科研修でした。
      ■         ■
 手術室内で、
 水色の服を着た、
 麻酔科医と
 麻酔科専従の看護婦さんが、
 札幌医大中央手術部の、
 医療安全を担(にな)っていたと思います。
 麻酔科の看護師さんを専従にするのは、
 確かに大変なことだと思います。
 ただ、大学病院クラスになると…
 もう一度、麻酔科の看護師さんを見直しても?
 よい時期なのでは?と思います。
 麻酔科研修を受けた、
 古きよき時代のことを想い出します。

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