医学講座

裁判の傍聴

 昨日、診療の合間に、
 高橋智先生が担当されている、
 医療裁判を札幌地裁で傍聴してきました。
 先生の日記に書かれていたので、
 勉強のために行きました。
 私も知らなかったのですが、
 裁判は公開が原則。
 裁判所一階に大学の学生掲示板のようなボードがあり、
 その日に行われる裁判のプリントが貼ってあります。
 何階の○法廷で何時から○○の裁判があると記載してあり、
 それを見て傍聴に行けます。
      ■         ■
 はっきり言って衝撃的でした。
 被告席は訴えられた側の弁護士さんと、
 手術を担当した先生でした。
 カルテより分厚い、
 膨大な資料ファイルを弁護士さんが準備されて、
 それを先生が説明していました。
 手術記録の大切さと、
 カルテ(診療録)の大切さがわかりました。
      ■         ■
 医療に関する裁判だったので、
 医学生が解剖学を勉強する、
 解剖の教科書のカラーコピーがありました。
 そのコピーと手術記録から、
 どこにどうやって麻酔をして、
 手術を進めたかを説明していました。
 私が傍聴できたのは、
 被告側の証人尋問だったので、
 被告側の先生が説明をしていました。
      ■         ■
 あってはならないことですが、
 私が今までに勤務した総合病院で、
 医療訴訟を抱えていない病院はありませんでした。
 明らかに医療側のミスと言えるものから、
 誰が手術をしても、
 今の医学レベルでは避けようがない、
 不可抗力のような事故までありました。
      ■         ■
 厚生労働省は、最近になってようやく、
 医療安全などに力を入れるようになってきました。
 ところが、国がやることと言えば、
 マニュアル作りなどの政策ばかり。
 これで本当に事故が減るのだろうか?
 と疑ってしまいます。
 事故は、
 ほんの一瞬の判断ミスから起こります。
 事故を防ぐためには、
 経験や教育が大切です。
 同じようなミスは誰でも起こす可能性があります。
      ■         ■
 過去に起きた事故は、
 これからも起こる可能性があるのです。
 経験を積んだ医師や看護師は知っています。
 残念なことですが、
 そのような事故を公表する施設や先生は少ないのです。
 裁判記録とか判例を
 大学の授業や学会で教えることもありません。
 昨日、裁判を傍聴させていただいて…
 医学生や医療関係者は、
 一度は医療裁判を傍聴すべきだと思いました。
 また過去の裁判記録を勉強して、
 同じような過ちを繰り返さないようにすることが、
 医療側に必要だと感じました。

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医学講座

性器の手術について

 見えないところで、
 見せることもない部位。
 なんでそんなところ…
 手術なんかするの?
 という人は幸せな方です。
 人に相談もできず、
 悩んでいる人は、
 男女を問わずいらっしゃいます。
      ■         ■
 男性でしたら包茎の手術です。
 仮性包茎なんて手術する必要ない!
 と堂々と生きていらっしゃる方は、
 生涯そのままで、構いません。
 ただ、
 どんなに社会的地位が高くても、
 どんなにお金持ちでも、
 気になる人は気になります。
      ■         ■
 スポーツクラブや
 ゴルフ場の浴室。
 温泉でもそうです。
 タオルで隠す人は、
 だいたい包茎の人です。
 日本人だけではなく、
 外国人にも包茎の人がいます。
 海外でも性器の悩みはあるようです。
      ■         ■
 女性で多いのが小陰唇の肥大です。
 その程度も人によってさまざまです。
 他人がどうであろうと… 
 自分が気になってイヤでしたら、
 手術で改善できます。
 必要なのは、
 勇気とお金だけです。
      ■         ■
 他院の手術メニューに、
 クリトリス包茎という言葉が出てきます。
 正式な医学用語ではないと思います。
 もともと‘正常’な女性の陰核は、
 包皮に包まれているものです。
 ですから、無理に手術をすることはありません。
      ■         ■
 ところが…
 小陰唇が肥大して大きな方の中には、
 小陰唇だけを切除しても、
 クリトリスから上の部分が、
 大きくはみ出してしまう方がいらっしゃいます。
 そうすると、
 小陰唇を切除したことにより、
 かえって目立つようになります。
      ■         ■
 そういう場合には、
 クリトリス周囲とその上部の皮膚を切除します。
 これが‘クリトリス包茎’の手術です。
 この部分を手術すると、
 手術時間が余計にかかります。
 手間もかかります。
 一番難しいのが、
 性感を損ねないように…
 神経を傷つけないように…
 丁寧に手術操作をすることです。
      ■         ■
 ある意味…
 男性の包茎手術より難しい手術です。
 人によって皮膚の余り具合が異なります。
 見られない場所ですが、
 見られた時に…
 わからないように、
 キレイに作るのが難しい部位です。
 私はよく、
 『芸術祭参加作品』と言います。
 そのくらいキレイに作ります。
      ■         ■
 この手術で…
 幸せになってほしいなぁ…
 と考えながら手術をします。
 キレイに完成した時は嬉しいものです。
 札幌美容形成外科では、
 小陰唇の手術に追加料金なしで、
 クリトリス包茎の手術を行っています。
 他院で、追加○○万円と言われた方は、
 ちょっと考えてご相談にいらしてください。

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昔の記憶

はじめての子ども

 さくらんぼさんから、
 平成20年10月3日の日記、
 赤ちゃんが生まれたら…
 にコメントをいただきました。
 初めての子は 神経質になりがちです。
 哺乳瓶はミルトンで消毒したり
 紙おしめを嫌がる息子だったので
 私は布おしめで 育てました。
 さすがに
 私も主人も初めて自宅でお風呂に入れる時は
 コワくて 父や母に入れてもらいました。
 一人で頑張ってるお母さんもいますが、
 お父さん お母さんがいらっしゃるなら
 少し甘えて 手伝ってもらってください。
      ■         ■
 小児科の先生は別として、
 医学部で習った知識も、
 自分の子どもには役立ちませんでした。
 (というより忘れていました…)
 私は形成外科医だったので、
 唇顎口蓋裂の子どもさんの術後管理や、
 アザのレーザー治療をした子どもさんの管理、
 ヤケドの処置なんかは得意でしたが、
 おしめやミルクは不得意分野でした。
      ■         ■
 わが家でも、
 哺乳瓶はミルトンで消毒してたように思います。
 ネットで検索すると、
 今はレンジでチンでしょうか?
 よく考えてみると…
 自然界にいる哺乳動物では、
 消毒しなくても
 ちゃんと病気にならずに育ってますね。
 過度に神経質になる必要はないように思いますが…
 レンジなどの熱で消毒するのが、
 いいのでしょうか?
      ■         ■
 わが家は、9月生まれだったので、
 子どもが寒くないようにと…
 とにかく着せすぎ!
 部屋をあたたかくしすぎました。
 その結果、赤ちゃんの顔や頭に…
 たくさんの‘あせも’ができました。
 皮膚科も勉強したはずなのに…
 こんな状態が、はじめての子どもでした。
      ■         ■
 これからお母さん、お父さんになる人は、
 さくらんぼさんのご指導のように、
 ご両親にお手伝いしていただくとよいと思います。
 近くにご両親がいない方は、
 私のように孫が欲しくてもいない、
 じいちゃん
 ばあちゃんを見つけて、
 相談なさるとよいと思います。
 海外では、
 このような子育て支援ボランティアがいることを、
 何かで見た記憶があります。
 日本にも
 子どもが育てやすい社会が来ると、
 ほんとうの少子高齢化対策になりますね。

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昔の記憶

忘れられない患者さん

 私が医師になったのが、28年前でした。
 昭和55年、1980年です。
 私は札幌医大を卒業して、
 北大形成外科へ入局しました。
 実は…
 北大形成外科をよく知らずに…
 北大へ来てしまいました。
      ■         ■
 私は、形成外科というのは、
 事故のキズをキレイに治したり、
 顔や体の表面を治す外科だと思っていました。
 それは、間違ってはいませんでした。
 私の予想外だったのは、
 皮膚ガンの診断と治療でした。
 北大形成外科は、
 もともと皮膚科から独立したので、
 皮膚ガンの診断、治療(手術や抗癌剤治療)も
 形成外科でしていました。
      ■         ■
 悪性黒色腫(あくせいこくしょくしゅ)
 通称:メラノーマ
 というホクロのガンがあります。
 今でも難しいガンの一つです。
 皮膚ガンの中では、
 もっとも怖いガンの一つです。
 足の裏のホクロが
 突然黒く大きくなってきたら要注意です。
 リンパ節や肺に転移して、
 亡くなってしまう方もいらっしゃいます。
      ■         ■
 私が、免許取立ての新米医師の時に、
 このホクロのガンができて、
 北大形成外科にいらした患者さんが
 いらっしゃいました。
 残念なことに、
 その方は外来にいらした時に、
 ガンがかなり大きくなっていました。
 その上、リンパ節にまで転移していました。
      ■         ■
 本人はガンだと知っていましたが、
 まさかそんなに重体とは思っていませんでした。
 混んでいた北大病院でも、
 大至急手術が必要なので、
 最優先で入院待ちとなりました。
 入院前に、全身の検査をします。
 もちろん会社も休まなくてはなりません。
 本人には、
 『○○さん、大至急入院して手術が必要です。』
 『会社も3ヵ月以上休まなくてはなりません。』
 外来チーフの先生が説明しています。
      ■         ■
 『冗談じゃない、こんなおできで3ヵ月も入院できません。』
 『私は8月に大事な国家試験がある、そのためにずっと勉強してきました。』
 本人は黒いおできができたので、
 それを切ってもらえば治ると思っています。
 本人への説明の後で、
 奥さんへの説明がありました。
 『悪性のガンです。』
 『手術をしても、リンパ節に転移があるので、
 進行が早い方もいらっしゃいます。』
 『早い方は、6ヵ月程度で…』
 と上の先生が説明しています。
      ■         ■
 新米医者の私は…
 まだお若いのに、ガンになって死んでしまう…???
 とてもやり切れない気持ちになりました。
 その方は、北大形成外科へ入院して手術を受けました。
 リンパ節郭清(かくせい)の手術もしたので、
 手術の後はパンパンに腫れていました。
 その上、抗癌剤治療も受けていました。
 ふつうの人でしたら、手術だけで音をあげます。
      ■         ■
 驚いたことに、
 その患者さんは、
 手術後にパンパンに腫れて、
 しかも吐き気がすごい抗癌剤治療まで受けながら、
 病室で毎日消灯まで、
 国家試験の受験勉強をしていました。
 私は、
 こんなに勉強しても…
 余命6ヵ月とか言われていたのに…
 と思いながら、
 上の先生に指示された抗癌剤の点滴をしていました。
      ■         ■
 病理検査の結果も悪性黒色腫で、
 リンパ節にも複数の転移が見つかりました。
 今でも救命が難しいケースだと思います。
 ところが、
 その患者さんは見事に国家試験に合格。
 そのパワーに驚かされたのか?
 ガンも再発せず、
 私が知っているだけで、
 その後15年はお元気でした。
      ■         ■
 私は30年近くたった今でも、
 その患者さんのことが忘れられません。
 人の命は、はかないものですが、
 医学でも説明できない奇跡も起こります。
 1%でも可能性があるのなら、
 最後まで望みを捨てないというのは、
 とても大切なことのように思います。
 私が同じ立場だったら、
 病室で勉強ができるかどうか?は
 わかりませんが、
 主治医を信じて治療を受けると思います。

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医学講座

お医者さんの奥さん

 旦那が医者だと、安心できると思うのは間違いです。
 医師が、一番最初に診なければならないのは、自分の患者さんです。
 家族は後になります。
 どこの先生の奥さんも、‘母子家庭’を経験していると思います。
 私も、‘いい旦那さん’ではありません。
 家内には、
 ‘院長日記の中だけ愛妻家ぶっている’と非難されています。
 家内はこの院長日記を…
 ‘腹が立つから見ない!’と言っています。
      ■         ■
 私が高校生の時に、
 同級生にお医者さんの娘さんがいました。
 その人のお父さんは、
 たまたま私の父と小学校の同級生だったそうです。
 ○○さんの家はすごいねぇ。
 お父さんがお医者さんだから…
 というような話しをした記憶があります。
      ■         ■
 『あら、そんなことないわょ』
 『小さい時から、たくさんさびしい思いをしたわょ』
 『例えば、今度の日曜日は動物園に行こう!』
 『楽しみにしていたのに、患者さんの容態が悪くなって…』
 『動物園に何回行けなかったことか…』
 本間家では、動物園に行けなかったことはありませんが、
 札幌で勤務した時も、
 地方病院に勤務した時も、
 スーパーへ買い物へ行っても、
 必ずポケットベルを持っていました。
 今の先生は携帯ですね。
      ■         ■
 子どもが生まれると…
 夜もミルクを飲ませなければなりません。
 家内には、申し訳ないですが、
 私は一度も子どもにミルクを飲ませていません。
 ミルクの後の、
 『げっぷ』の出し方は、教えたことがありましたが、
 哺乳瓶でミルクを飲ませたことはありません。
      ■         ■
 釧路労災病院形成外科に勤務していた時です。
 子どもは2人になっていました。
 上の子が2歳、
 下の子が0歳でした。
 家内の母もいませんし、
 私の両親も札幌でした。
 ある日、家内が、
 美容室へ行きたいから、ちょっと子どもを見ていて
 と言いました。
      ■         ■
 『だめだよ、急患が来て、病院から電話がかかってきたらどうするの?』
 それじゃ、私は美容室へも行けないの?
 『託児所付きの美容室へ行けばいいじゃないか』
 これで大喧嘩になりました。
 その後、家内がどうやって美容室へ行ったか?
 まったく記憶にありませんが、
 お医者さんの奥さんなんてこんなものです。
 経済的に困ることは、
 他業種の人よりも少ないとは思いますが、
 孤独に強くて、忍耐強い人でないと、
 なかなか大変かもしれません…

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昔の記憶

赤ちゃんが生まれたら…

 私は26歳の時、
 1981年(昭和56年)に結婚しました。
 形成外科の同期3人の中では、
 一番早く結婚しました。
 家内は24歳でした。
 結婚したのは、研修医2年目の時でした。
 まだ、何もできない若者でした。
      ■         ■
 『本間君、結婚してもね…』
 『2年間くらいは、奥さんと二人だけがいいょ』
 『二人で、いろいろなところへいったり…』
 『二人だけの時間を楽しんだらいいょ…』
 『子どもができると、大変だからね…』
 北大形成外科の先輩のあたたかいお言葉です。
 私はとても恵まれていました。
 2DKの家賃4万2千円の公団住宅で、
 幸せな新婚生活を送っていました。
      ■         ■
 子どもが生まれたのは、
 先輩のご指導通り、
 結婚して2年後の、
 1983年(昭和58年)でした。
 当時、私は函館中央病院形成外科に勤務していました。
 とても素晴らしい病院でした。
 函館中央病院に勤務して、
 そこで積んだ経験は私の財産となっています。
 子どもも函館中央病院で生まれました。
      ■         ■
 函館中央病院形成外科はとても忙しい病院でした。
 当時は土曜日も診療があり、
 日曜日も交替で回診をしていました。
 私の両親は札幌。
 家内の両親は兵庫県西宮市に住んでいました。
 私は、子どもが生まれてから、
 家内の両親に頼んで、
 家内の母親に函館まで来てもらいました。
      ■         ■
 函館で住んでいたのが、
 病院が借りてくれた、
 キャッスル富岡という賃貸マンションでした。
 エレベーターなしの3階だったと思います。
 赤ちゃんが生まれて、
 生活は一変しました。
 すべてが赤ちゃん中心の生活です。
 楽しい反面、
 いろいろと大変だったことも事実です。
      ■         ■
 私の担当は主として、
 風呂入れでした。
 早く帰ってきた日は、
 私がお風呂に入れていました。
 私の方が手が大きいので、
 片手で楽に子どもを持って、
 身体を洗ったり、頭を洗ったりできました。
 でも、それ以外は何もせず…
 家内は一人で子育てをしていました。
      ■         ■
 函館では、
 家内の母親は産後約1ヵ月いてくれました。
 10月の紅葉がキレイなころに、
 家内の父親が迎えに来てくれて、
 そのまま関西に帰りました。
 その後も、
 引越しや2人目の子どもの誕生など、
 何かある度に、
 家内の母親に来てもらいました。
 ほんとうにお世話になりました。
      ■         ■
 医師という職業は、
 急患や当直もあり…
 私自身が、
 育児休業とか育児休暇なんて…
 考えたこともありませんでした。
 家内の母親は、
 今は札幌に住んでいます。
 本間家の子育ては、
 家内の母親のサポートではじまりました。

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院長の休日

新しい生命(いのち)の誕生

 札幌美容形成外科を開業して4年になります。
 勤続4年の職員は、
 その間に結婚をして、
 家庭を持った人もいます。
 職員2人に新しい生命(いのち)が誕生しました。
 本人の了解を得て、日記で公開します。
 私は、おじいちゃんになった心境です。
 最近、あまりいいことがなかったのですが、
 とても楽しみにしています。
      ■         ■
 毎日一緒に仕事をしていると、
 家族以上に長い時間を過ごすのが職場の仲間です。
 少子高齢化で日本が困っている時代に、
 新しい生命(いのち)が誕生するのは、
 ほんとうに嬉しいものです。
 職員のおなかが少しずつ大きくなってきました。
 先日、マタニティーの制服も届きました。
 おなかが大きくなっても、
 調節できるようになっています。
      ■         ■
 来年になると、
 産前6週間、
 産後8週間の産休がはじまります。
 その後、子どもさんが満1歳になるまでは、
 育児休業が取得できます。
 札幌美容形成外科としては、
 はじめてのケースです。
 職員と一緒にいろいろと勉強をしました。
      ■         ■
 国も少子化対策のために、
 子どもを生みやすくするように力をいれています。
 私は、初孫の誕生を控えて、
 じいちゃんとして、
 できるだけの支援をしようと考えています。
 子どもを生んで育てるのは、
 大変なことです。
 家族や周囲のサポートが必要です。
 小さなクリニックですが、
 私自身は初孫の誕生を楽しみにして取り組んでいます。
      ■         ■
 産休に入る職員がいるため、
 契約社員を募集します。
 まず、看護助手が一名。
 その後で受付が一名です。
 看護助手には資格は要りません。
 しいて言えば、
 血を見ても大丈夫な人です。
 受付には医療事務の資格が要ります。
 医療事務は未経験でも可能です。
 PCの操作ができることが、
 受付の条件の一つです。
 年齢は24歳程度までの若い方を希望します。
 みなさんのご応募をお待ちしています。

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医学講座

講義の持つ意義

 私が尊敬する、
 弁護士の高橋智(さとる)先生の日記に、
 北海道大学ロースクール医療訴訟法の授業が開始した。
 と書いてありました。
 来年1月まで全15回もの講義はすごいと思います。
 受講生の中には、
 医師や歯科医師までいらっしゃると書かれていました。
 受講資格があれば、私も是非受講したいと思いました。
      ■         ■
 私は、不遇な形で札幌医大を追い出されましたが、
 4年間の教員生活で得たものもありました。
 それは、私の講義を通じて、
 形成外科とはどんなものか?
 ということを医学部の学生さんに伝えられたことでした。
 こうして日記を書いているのも、
 何らかの形で形成外科や美容外科を伝えたいという、
 私からの情報発信です。
      ■         ■
 他人(ひと)にものを教えるというのは、
 想像以上に難しいものです。
 有名大学の教授の講義が100%おもしろくて、
 ためになるか?
 ということはないと思います。
 私が学生時代に一番印象に残っているのが
 予備校時代にお世話になった、
 生物の矢野雋輔(やのしゅんすけ)先生でした。
      ■         ■
 形成外科医になった大きなきっかけの一つが、
 札幌医大6年生の時に、
 北大から特別講義にいらしていただいた、
 形成外科の大浦武彦教授の講義でした。
 北大の教官が、
 札幌医大に来て講義をするというのは、
 当時では珍しいことでした。
 6年間で数回しか覚えていません。
      ■         ■
 その特別講義では、
 口腔外科の小浜教授、
 眼科の中川教授、
 北大形成外科の大浦教授、
 北大形成外科の濱本助教授、
 の講義がありました。
 私が学生時代に形成外科を教わったのは、
 この一回だけでした。
 わずか2時間程度の特別講義でしたが、
 これで私の人生が決まりました。
      ■         ■
 高橋智先生の北大での講義でも、
 きっと将来、先生の後継者になるような、
 立派な弁護士さんが育つと思います。
 ひとを育てるのは難しいものですが、
 自分の講義を通じて、
 感動とか生きがいを伝えられるのは、
 すごいことだと思います。
 私も3回の講義を担当しますが、
 今年もしっかりと準備をして臨みます。

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昔の記憶

忘れられない味

 北大病院近くの、
 札幌市北区北13条西4丁目の角に
 味の広龍(あじのこうりゅう)というお店があります。
 開店してから、もう45年くらいになるそうです。
 私が北大病院の研修医になったのが、
 1980年(昭和55年)でした。
 当時は土曜日も外来診療がありました。
 札幌市内の総合病院で形成外科があったのは、
 北大だけでした。
      ■         ■
 当時の北大形成外科は、
 患者さんであふれていました。
 手術を申し込んでも、
 手術日は未定。
 まともに待っていると、
 手術を受けられるのは、
 2~3年先でした。
 (2~3ヵ月ではなく、‘年’です)
      ■         ■
 医師免許証をいただいても、
 手術ができるわけではなく…
 研修医の私は、朝9:00から、
 上の先生がいらっしゃる前に、
 予診(よしん)という問診をして、
 ポラロイド写真を撮って、
 外来診療の準備をします。
 上の先生がいらした後は、
 処置をしたり、
 手術や入院の説明をしたり…
 何もできないけれど、一生懸命に働いていました。
      ■         ■
 当時は25歳でした。
 とにかく外来は混んでいました。
 順調に終わって、
 土曜日でも13:30とか14:00までかかりました。
 外来が終わってからも、
 新患台帳という厚い台帳に記入したり、
 手紙の返事を代筆で書いたり…
 とにかく、忙しく働いていました。
      ■         ■
 今でこそ、
 15:00頃まで昼食を食べなくても平気ですが、
 当時は若かったのか、
 とにかく‘腹ペコ’になりました。
 最後の方になると…
 ‘腹へったなぁ~’しか考えられなくなります。
 そんな時、
 当時、講師だった
 ‘杉さん’こと、杉原平樹(すぎはらつねき)先生が、
 『腹へっただろう、出前とってやるよ』
 と私たち研修医に、
 広龍から出前をとってくださいました。
      ■         ■
 私が頼んだのが、中華飯でした。
 出前が早く来たので、
 私が食べる頃には冷めていましたが、
 丁寧にラップがかかっていました。
 ラップを取って食べた
 その中華飯の美味しかったこと。
 今でも杉原先生にご馳走になった
 その味が忘れられません。
      ■         ■
 昨夜、15年ぶりくらいで
 その中華飯を食べました。
 おじさんは少し歳をとっていらっしゃいましたが、
 味は昔のままでした。
 北大病院でかつて働いていた偉い先生も
 たまにいらっしゃるそうです。
 忘れられない味は誰にでもあるようです。
 私は今でも…
 冷たくなった中華飯が好きです。

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医学講座

高須克弥先生

 昨日の日記(信じてはいけない人)に
 たくさんのコメントをいただきありがとうございました。
 一番最初に…
 思いもかけない先生からコメントをいただきました。
 高須クリニックの高須克弥先生です。
 東大形成外科教授のお名前を知らない人でも、
 高須先生をご存知ない方はいないと思います。
 今週号の週刊文春には、
 麻生首相の口を治した漫画まで掲載されています。
      ■         ■
 高須先生まで…
 この日記を読んでいただいているとは…
 夢にも思いませんでした。
 高須先生、
 心あたたまるコメントをありがとうございました。
 高須先生は、
 私が大学をクビになって、
 美容外科医になってから、
 学会であたたかく私を迎えてくださいました。
      ■         ■
 残念なことですが、
 日本形成外科学会の中には、
 高須先生に批判的な方もいらっしゃいます。
 でも、実際に学会でお会いして、
 お話しをしてみると…
 高須先生は、
 ほんとうの意味での、
 『真の美容外科医』だと思います。
      ■         ■
 世界中探しても、
 高須先生ほど、
 ご自分の身体にメスを入れている美容外科医はいません。
 私自身も、
 高須先生と同じようにできるか?
 と問われると自信がありません。
 それほど、
 高須先生はすごい先生です。
      ■         ■
 また、高須先生は愛妻家です。
 私など、家内にいつも言われています。
 『院長日記の中でだけ愛妻家ぶっている!』
 確かに、仕事も忙しいし、
 日記のネタを考えている時に話しかけられると…
 『うるさい。静かにしてて!』
 と声が大きくなります。
 高須先生の奥様はお医者さんです。
 もの静かに見えますが、
 すごい内助の功だとお聞きしたことがあります。
      ■         ■
 高須ファミリーはお医者さんと歯医者さんです。
 一族でクリニックを経営するのは、
 他人同士よりも大変だと思います。
 高須クリニックがうまく運営されているのは、
 家庭円満の証拠です。
 11月15日から、
 東京のホテルニューオータニで
 高須先生が主催される、
 第5回国際美容外科学会があります。
 学会で先生にお会いできるのを楽しみにしています。
 高須先生ありがとうございました。

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