昔の記憶
小田島哲哉先生88歳のお誕生日
今日4月15日は、
小田島哲哉先生の88歳のお誕生日です。
45年前、
北海道夕張市の山奥で、
NHKラジオの中学生の勉強室でお世話なった先生です。
私を国語好きにしてくださった恩人です。
小田島先生の国語を聴いていなかったら、
私は一生国語苦手を克服できなかったと思います。
小田島哲哉先生に感謝しています。
■ ■
平成27年4月12日に東京の日本出版クラブ会館で開催された、
小田島哲哉先生の米寿を祝う会で、
先生のお話しを伺いました。
実にいいお話しでした。
今日はその続きを書きます。
私たちの次の世代にも聴いていただきたいお話しです。
■ ■
私は昭和29年9月生まれです。
安倍晋三首相と同じです。
私たちは戦争を知りません。
私が子供の頃に、
父親と風呂に入っていた時に、
仙台で空襲に遭ったことを聞きました。
なぜかこの空襲の話しはよく覚えています。
■ ■
私の父親は、
札幌工業高校の木材工芸科という、
家具などをつくる学科へ進学しました。
薬学専門学校へ行くと、
徴兵免除になったので、
(戦争に行って死にたくなかったので)
仙台の東北薬学専門学校へ進学しました。
■ ■
戦争中の仙台で空襲に遭(あ)い、
山へ避難して難を逃れたと、
私が子どもの頃に聞きました。
途中の防空壕(ぼうくうごう)で、
学生さんここに入りなさいと、
親切に言ってくれた人がいたそうです。
父はその防空壕へは入らず、
山へ逃げたそうです。
■ ■
空襲が終わって、
山から下りる時に、
その防空壕は焼夷弾(しょういだん)に撃たれ
防空壕の人たちは亡くなっていた。
あの時、
逃げていなかったら死んでいたと、
聞かされた覚えがあります。
子どもの頃に聞いた話しを
何故かよく覚えています。
■ ■
小田島先生が進まれたのが、
江田島の海軍兵学校です。
何もわからない私が、
先生の履歴を見た時に、
『先生は海軍士官になりたかったんだ』
…と勝手に思っていました。
それは違いました。
■ ■
いろいろ調べてみると、
当時、江田島の海軍兵学校は、
今の東大(理Ⅲ)や京大(医)に進学するのと同じか、
それ以上に難易度が高い学校でした。
海軍兵学校からは、
たくさんの優秀な人が出ています。
海軍は陸軍と違って、
敗戦を予想していました。
■ ■
陸軍は英語を禁止しましたが、
海軍兵学校は、
校長の権限で英語の勉強を続けさせました。
昭和20年の終戦の時に、
若き小田島先生が副校長から、
日本は敗れたけれど、
諸君がこれから日本を復興させる。
米軍が来ても死んではいけない。
日本はまた復興する。
…と教えられたそうです。
■ ■
小田島先生のお言葉の中に、
戦争はいけない
子供たちが自由に夢を持てる国にしなくてはいけない。
…というメッセージが込められていました。
戦争を知らない私たちの世代や、
私たちの次の世代に、
戦争の悲惨さやつらい日々を教えていただきたいと思いました。
小田島先生は、
中国との交流にも力を入れられ、
何回も中国を訪問していらっしゃいます。
近隣諸国とも仲良くしたいと思いました。
小田島先生、これからもお元気で、
私たちにたくさんのことを教えてください。
お誕生日おめでとうございます。
日記_わきが
わきがの臭いと汗の臭い2015
ワキガのにおいと汗のにおい
2012年7月28日の院長日記です。
偉そうに院長日記を書いていますが、
反省の毎日です。
特に昔のことを思い出すと、
悪いことをしたなぁ~
…と反省しています。
■ ■
形成外科の教科書にも、
わきがのにおい
汗のにおい
…について詳しく書いていません。
欧米の教科書や、
英文論文を読んでも、
わきが手術も、
多汗症手術も同じと書いてあります。
■ ■
札幌美容形成外科を開業して10年。
たくさんのワキガ手術や多汗症治療をしました。
私の結論です。
わきが体質で、
わきがの臭いがする人に、
わきが手術をすると満足されます。
たとえ固定がつらくても、
手術後に臭いがするという人はまずいません。
■ ■
多汗症の人に、
わきが手術をしても、
数ヵ月は汗が出ません。
でも、
脇の皮膚の感覚が戻るころ、
つまり脇の神経が再生すると、
しっとりとした汗が出るようになります。
■ ■
どんなに丁寧に手術をしても、
ふつうの汗を出す、
エクリン汗腺までは取りきれないからです。
手術範囲が狭いと、
大胸筋という筋肉の近くから、
玉のような汗が出ることもあります。
患者さんからのクレームになります。
■ ■
間違いだらけのわきが診断
2015年3月8日の院長日記です。
東京の稲葉クリニックはすごいと思います。
大手美容外科のHPに書いてある、
わきがチェックポイントは間違いです。
高いお金を払ったのに、
汗も臭いも残っている人がたくさんいます。
■ ■
診断が難しいのが、
わきがと多汗症を合併している人です。
手掌発汗があって、
脇にべたべたとしたクリームみたいな汗があると、
腋臭症と多汗症の合併の可能性があります。
大切なのは、
【金儲け主義】ではない病院で、
しっかりと診断していただくことです。
【重度】腋窩多汗症には保険適応でボトックス注射ができます。
昔の記憶
小田島哲哉先生の米寿を祝う会
昨日(2015年4月12日)東京で、
小田島哲哉先生の米寿を祝う会がありました。
私が15歳だった45年前に、
北海道夕張市の山奥、大夕張おおゆうばりで、
NHKの中学生の勉強室の講師だった先生です。
私を国語好きにしてくださって、
小田島先生ありがとうございました。
…といつかお礼を言いたいとずっと思っていました。
■ ■
その思いを、
この院長日記で何回か書いたところ、
たまたま先生の目にとまりました。
先生からお手紙をいただきました。
昨年秋には、
さくらんぼさんの果物をお送りしました。
とても喜んでいただきました。
ありがたいことに、
米寿を祝う会に私を招待してくださいました。
■ ■
昨日の東京は暖かでいいお天気でした。
はじめてお会いした小田島哲哉先生は、
私が45年前にNHKでお聴きした通りの先生でした。
88歳なのにとてもお元気でした。
私たちに、
国語の先生のように、
お話しをしてくださいました。
原稿なしで、
とてもいいお話しでした。
東京まで行った甲斐がありました。
■ ■
小田島哲哉先生は、
昭和2年4月15日、東京でお生まれになりました。
江田島の海軍兵学校に進まれました。
昭和20年の終戦で東京に戻られた時、
ご実家は空襲で焼かれ、
残っていたのは2本の石の門柱だけでした。
食料がありません。
当時は米穀通帳がなければ、
米を買うことができませんでした。
■ ■
兵学校へ行っていて、
親類縁者もなかったので、
小田島先生は米穀通帳を持っていませんでした。
寮のある学校へ進学しようと試験を受けても、
米穀通帳を持っていない学生さんには、
食事を出せないので餓死すると言われたそうです。
若い小田島哲哉さんを助けてくださったのが、
先生の恩師だった先生たちでした。
餓死しそうだった青年に
自分たちの食料から分けて
食事を与えてくださったそうです。
■ ■
困っていた時に、
かつての恩師に助けていただき、
小田島先生は教育者としての道を歩むことにしました。
先生は、
都立高校の先生になりました。
当時、英語の教員免許を持っていた先生が少なく、
最初は英語と国語の両方を担当されたそうです。
大学の教員にならないかという誘いもあったそうですが、
小田島先生は高校の先生になりました。
■ ■
小田島先生のお話しから、
♡子供に夢をあたえる教育♡
♡夢を持つことが生きがい♡
♡夢を持つことの大切さ♡
…を教えていただきました。
米寿を祝う会には、
先生の教え子や、
教育関係、
古くからのご友人が
たくさん集まっていらっしゃいました。
とても楽しい会でした。
お世話になった明治書院の方たちに御礼申し上げます。
医学講座
第58回日本形成外科学会【京都】⑤
京都の日本形成外科学会シリーズの最後です。
学会長の鈴木茂彦教授は、
京都大学形成外科で、
ペルナックという人工真皮を研究開発されました。
私たちの世代には、
京大の鈴木先生といえば、
ペルナックでした。
今は京都大学と言えばiPS細胞研究です。
■ ■
他の会場と重なっていたため、
iPS細胞研究の講演は聴けませんでした。
私がお聞きしたのは、
教育講演2
京都大学再生医科学研究所
生体組織工学研究部門
生体材料学分野 田畑泰彦教授の
再生医療の最前線と今後の方向性
-自然治癒力を高める医療-
です。
■ ■
第116回日本美容外科学会でもお聞きしました。
田畑泰彦教授のお話しは、
はっきり言ってすごいです。
何がすごいといって、
まさに機関銃のように、
すごいスピードで、
すごい内容をお話しになります。
圧倒されます。
■ ■
田畑先生のお話しから、
bFGFべーしっくえふじーえふが有望だと思いました。
今は問題になっている使い方もありますが、
しっかり研究をして、
正しい使い方をすれば、
これほど有望な薬はありません。
小児熱傷には、
今までの薬にはない効果があります。
■ ■
【金儲け主義】ではない、
【良心的な先生】が、
正しい、
安全な、
bFGFべーしっくえふじーえふの使い方を、
研究する会もできつつあるようです。
将来、
bFGFを使った若返り治療が
安全に
安心して受けられるといいなぁと
田畑先生の講演をお聞きして思いました。
医学講座
第58回日本形成外科学会【京都】④
昨日で学会が終わり、
夜、新千歳空港に帰ってきました。
さすがに北海道は寒いです。
京都の比ではありません。
寒くても、
私は北海道がいいです。
道産子ですから、、、
■ ■
今年の第58回日本形成外科学会、
最終日はケロイドを聞いてきました。
ケロイドは、
私たち形成外科医の大敵です。
どんなにがんばっても、
手術だけでは治せません。
英語で発音すると、
Keloidが、
キーロイドと聞こえます。
■ ■
ケロイド治療最前線2014でご紹介した、
小川令先生が
日本医大形成外科の教授にご就任されました。
おそらく、
全国で最年少の形成外科教授です。
すばらしい先生です。
ケロイド治療が進歩すると思います。
■ ■
最終日に私が聴いた、
ミニシンポジウム6
ケロイドです。
この中で、
MS6-1 実際のケロイド治療
―完遂できる治療法を目指して―
北海道大学形成外科 林 利彦
MS6-2 小児のケロイド・肥厚性瘢痕に対する治療戦略
―フルドロキシコルチド(ドレニゾン®)テープの有用性―
日本医科大学形成外科 小川 令
…の2つが印象に残りました。
■ ■
北大の林利彦先生は、
以前の院長日記でご紹介した先生です。
林先生は、
患者さんがどのくらいの頻度で通院できるか?
ケロイドの治療に、
毎月いくらまでならお金を出せるか?
そこまで考えて治療をなさっていらっしゃいます。
■ ■
ケロイド治療に使うシリコンゲルシートは効果的です。
残念なことに、
【保険適応外】です。
高価なので、
札幌美容形成外科にも在庫はありません。
患者さんには、
北大病院売店のローソンをご紹介しています。
そこで売っています。
■ ■
小川先生はケロイドのスペシャリストです。
手術も丁寧でお上手です。
でも子供さんのケロイド治療は、
まず痛くないテープからはじめます。
お母さんが毎日まいにち丁寧に貼る治療です。
通院は、
子供さんの学校が休みの時期です。
■ ■
春休み、
夏休み、
冬休み、
年に3回の通院治療をします。
その間は自宅でテープです。
痛くない治療からはじめて、
どうしてもテープだけでは治らない時に、
手術を考えます。
■ ■
手術の後もテープを続けます。
小川先生のお言葉から、
この子のケロイドを治してあげよう
少しでもよくしてあげたい
…という情熱が感じられました。
とてもよい発表だったと思います。
■ ■
林先生も、
小川先生も、
ケロイドの治療は難しいと言うだけではなく、
必ずよくなるからがんばろう
…という
勇気づけ、
元気づけ、
…が大切だと言われました。
治療が難しい疾患だからこそ、
いい先生にしっかり治していただきたいです。
医学講座
第58回日本形成外科学会【京都】③
京都の日本形成外科学会も2日目は、
少しだけ暖かくなりました。
桜は散っていますが、
しだれ桜は咲いています。
北海道にはあまりないので、
しだれ桜に見とれます。
京都は美しい街です。
■ ■
2日目の学会は、
眼瞼の発表を聴きました。
午前9:00から11:56までの一般演題と、
午後のパネルディスカッション、
先天性眼瞼下垂を聞きました。
先天性眼瞼下垂は難しいです。
先天性眼瞼下垂症は原因不明の疾患です。
■ ■
先天性眼瞼下垂
司会:慶應義塾大学形成外科 貴志和生
PD3-1 神経生理学的アプローチによる先天性眼瞼下垂手術
信州大学形成外科 松尾 清
PD3-2 当科における先天性眼瞼下垂症の治療
慶應義塾大学形成外科 清水雄介
PD3-3 当科における先天性眼瞼下垂症に対する筋膜移植法
-自然な開閉瞼のために
神戸大学形成外科 一瀬晃洋
PD3-4 先天性眼瞼下垂に対してゴアテックスシートを使用した前頭筋吊上げ術
藤沢市民病院形成外科 小久保健一
PD3-5 先天性眼瞼下垂の治療に関わる3つの論点
帝京大学形成外科 権太浩一
PD3-6 デジタル画像解析システムを用いた先天性眼瞼下垂の評価
福岡大学形成外科 小野澤久輔
■ ■
先天性眼瞼下垂の治療が難しいのは、
眼瞼挙筋がない、
あるけれど機能しない、
…ので、
なんらかの方法で、
瞼を引き上げる必要があるからです。
■ ■
多くの先生が使っているのが、
大腿筋膜という太もも外側にある、
筋肉の膜です。
太ももに傷をつけなければ
採取できません。
移植する本数や、
形状にも工夫が必要です。
簡単な手術ではありません。
■ ■
生まれた時から目が開かないので、
放置すると、
赤ちゃんが弱視になってしまいます。
赤ちゃんには、
目を開いて、
もの見るという刺激が必要です。
■ ■
小さな赤ちゃんに、
太ももから筋膜を取って移植すのは至難のわざです。
移植した筋膜が収縮することもあります。
私がいいと思ったのが、
慶應義塾大学形成外科清水雄介先生のご発表です。
赤ちゃんの目を、
侵襲が少ない方法で開く手術です。
■ ■
清水先生の手術は、
ナイロン糸で瞼を吊り上げる方法です。
埋没法ではありません。
ナイロン糸で、
目を開く手術です。
他の材料に比べて、
患者さんへの侵襲が少ないです。
自分の孫だったらまずこの方法をお願いします。
■ ■
大腿筋膜移植は、
いろいろな術式があります。
先生による差が大きい手術です。
下手な先生がすると、
瞼が変形して、
角膜に傷がつきます。
ある程度大きくなってからするのがいい手術です。
■ ■
移植する筋膜を、
何本、
どんな形で移植するのかも難しいです。
札幌美容形成外科では筋膜移植は実施していません。
入院設備がある病院で手術を受けることをおすすめします。
移植した大腿筋膜が収縮するため、
目の開きが変わることもあります。
赤ちゃんの手術は視機能に影響するため、
従来は眼科が手術をすることが多かったのですが、
形成外科でも良い結果を出しています。
私のおすすめは信州大学形成外科の松尾清先生です。
従来の問題点を改良して、
よい結果が出ていました。
医学講座
第58回日本形成外科学会【京都】②
今日の京都も寒いです。
東京でも4月に雪が降ったと新聞に書いてありました。
寒いのには慣れていますが、
もう少しあたたかくなって欲しいです。
一日中、学会会場にいるので、
寒さを感じるのは外に出た時だけです。
■ ■
学会初日の平成27年4月8日水曜日は、
午前中はレーザー、
午後は美容外科の発表を聞きました。
夕方には、
専門医機構による、
新しい専門医制度に必要な、
医療安全講習会に出席しました。
■ ■
この新しい専門医制度による、
医療安全講習会が、
一番出席者が多く、
会場も2つ準備されていました。
メインの会場と、
ビデオ中継による会場の2つでした。
■ ■
厚生労働省、医政局総務課医療安全推進室長
厚生労働省医療安全推進官
大坪寛子先生による、
わが国の医療安全対策について
~医療事故調査制度を中心に~
…という講演が1時間ありました。
■ ■
大坪先生は、
平成4年、東京慈恵医大のご卒業。
慈恵医大第2内科の助手や国立感染症研究所を経て、
平成20年から厚生労働省に入られた先生です。
わかりやすい講演で、
日本の医療安全行政の歴史がわかりました。
平成27年10月から、
医療事故で患者さんが亡くなった場合の、
届出や調査方法が変わります。
■ ■
一般演題で私の記憶に残った発表です。
Qスイッチルビーレーザー装置による太田母斑のレーザー治療
―20 年間の治療法の変遷とその長期経過―
札幌スキンケアクリニック松本敏明
松本先生は北大形成外科の先輩です。
日本でもっとも古くからレーザー治療をはじめられた先生のお一人です。
松本先生の発表で、
太田母斑の治療で、
鼻の部分が見落とされやすく、
大人になってから再治療が必要な例があることを知りました。
太田母斑は、
小学校入学前までに、
レーザー治療を受けるのがいいと認識しました。
■ ■
美容外科の発表で印象に残ったのが、
リハビリメイクとカモフラージュメイクの比較に関する検討
REIKO KAZKI かづきれいこ
かづきれいこさんは、
日本医大形成外科とリハビリメイクをなさっていらっしゃいます。
私が驚いたのは、
眼瞼痙攣の女性が、
テーピングとリハビリメイクでよくなっていたことです。
■ ■
眼瞼痙攣は治療が難しい疾患です。
ボトックス注射をしますが、
ボトックスが切れると、
また症状が再発します。
テーピングとメイクで症状がよくなるなら、
こんなにいいことはありません。
井上眼科病院と一緒に治療をされていると伺いました。
■ ■
パネルディスカッション2
レーザー(肝斑)
基調講演 レーザー(肝斑)の現状と問題点
東海大学形成外科宮坂宗男
PD2-1 肝斑に対するレーザー治療:表皮メラニン治療のパラダイムシフト
湘南鎌倉総合病院形成外科山下理絵
PD2-2 当院における肝斑の長期成績と治療戦略
KO CLINIC 黄 聖琥
PD2-3 肝斑の長期間複合治療法と新しい概念(リセット:強制沈静化)による挑戦
-TRT からTDT理論へ-
銀座HALクリニック菱田康男
PD2-4 肝斑に対する低フルエンスQ スイッチNd:YAG レーザー治療(レーザートーニング)の危険性
葛西形成外科葛西健一郎
■ ■
肝斑は治療が難しい疾患です。
紫外線で増悪すること、
夏に症状が悪化することが知られています。
レーザー治療で悪化することもあります。
座長の宮坂宗男教授も、
一時期肝斑のレーザー治療をしなかったそうです。
肝斑と正確に診断することも難しいです。
■ ■
私の印象に残ったのが、
葛西形成外科葛西健一郎先生の、
自分は肝斑にレーザー治療はしない。
肝斑がレーザーで悪化している患者さんがたくさんいる。
安易にレーザートーニングをするべきではない。
QスイッチYAGレーザーは、
照射方法を間違うと高出力で皮膚にダメージを与える。
…というご発表でした。
■ ■
葛西形成外科葛西健一郎先生は、
レーザートーニングの真実というHPを立ち上げていらして、
レーザートーニングにかかわる医療関係者に、
レーザートーニングの危険性・問題点を知っていただくことで、
レーザートーニングによる健康被害を減少させる啓蒙活動をしていらっしゃいます。
このHPを知っただけでも、
京都まで来た価値がありました。
札幌美容形成外科では実施していませんが、
簡単にできると思うと、
大間違いだということを知りました。
医学講座
第58回日本形成外科学会【京都】①
日本形成外科学会に出席するため、
京都に来ました。
昨日は移動日でした。
ANA772便で、
札幌から伊丹空港まで来ました。
ANA772便や、
ANA778便は、
私にとってなつかしい便名です。
■ ■
北大形成外科の研修医だった頃、
家内が住んでいたのが…
兵庫県西宮市でした。
最初は西宮を‘にしのみや’と読むことも、
甲子園球場があることも知りませんでした。
結婚する前に…
♡心をときめかして♡行きました。
■ ■
30年前には、
関空も神戸空港もなく、
大阪国際空港(伊丹空港)が、
関西唯一の空港でした。
ANAは一日3便を、
札幌⇔大阪(伊丹)に飛ばしていました。
機材はジャンボジェットで500人乗りでした。
■ ■
昨日乗った飛行機は、
小型の機材でした。
エアバスA320
166人乗りです。
時代も変わったものです。
166人乗りでも、
飛行機には空席が目立ちました。
航空会社も大変です。
■ ■
伊丹空港からは、
空港バスで京都まで来ました。
昔はなかった空港モノレールが、
高速道路の横を通っていました。
京都に着いたら、
桜がまだ少し咲いていました。
例年より一週間程度早かったそうです。
■ ■
桜は咲いていましたが、
とにかく寒いです。
札幌から着てきたコートを、
そのまま着ています。
今週だけ寒いようです。
寒さと学会は関係ないので、
今日から3日間勉強して帰ります。
医学講座
心電図自動解析に注意
私が弁護士の高橋智先生から教えていただいた、
医療事故情報センターニュースです。
全国の医療機関や医育機関に購読していただきたい、
とても有意義な情報が満載です。
今月号の記事をご紹介します。
一年間でたった3240円です。
これで不幸な医療事故が減ります。
■ ■
センターニュース
2015年4月1日発行 N0.325(9)
症例報告 その1
胸痛を訴えてきた患者の心電図に軽微なST上昇があったにもかかわらずST上昇なしとした自動解析の結果を信用した医師に心筋梗塞の症状を見逃した過失があるとして和解が成立した事例
阿部浩基(静岡県弁護士会)
【患者】34歳・男性
【医療機関】私立病院・診療所
■事案の概要
平成24年]11月14日、仕事中に胸の痛みを訴え、午前中で早退。
同日、午後1時に会社の近くのクリニックを受診。
カルテには次のとおり記載がある。
主訴 前胸部痛 30分前から
動悸はしていない。痛みに波がある。
既往歴 糖尿の気配がある。コレステロールが高い。
lung ; no rale,no wheez
heart; no murmur,synus rythm
Xp 気胸所見なし 肺炎所見なし
ECG 単発PVCのみ
肋間神経痛疑い
痛み止めを処方(ロキソニン メチコバール ムコスタ錠)
なお、会社で行った健康診断の結果によると、患者は、3年前からヘモグロビンA1cが9.5、11.0、10.2を示しており、糖尿病の治療を勧められていたが、治療は受けていなかった。また一見して肥満していた。
そのまま帰宅したところ、心筋梗塞にて死亡。翌日発見され死体解剖の結果、心筋梗塞と診断されている。
■争点
クリニックの医師に心筋梗塞の見逃しがあったのではないか。
■経過
平成25年9月18日
横浜地裁に提訴(証拠保全はしていない)
平成27年1月16日
和解(5000万円)
■コメント
父親がカルテ、画像等の資料を予め入手していたので、証拠保全はしなかった。
循環器専門の協力医に見てもらったところ、心電図は、肢誘導で0.1mVのST上昇を示していた。0.1mVの上昇は軽度であるが、30分前から前胸部痛を訴えている患者にST上昇が見られれば、心筋梗塞を疑ってしかるべきである。しかし、心電図の自動解析結果は、ST上昇をとらえていなかった。
担当医は経歴からは消化器内科が専門だったようで、自動解析結果をそのまま信用し、胸部痛は肋間神経痛だと判断して痛み止めを処方して帰らせたのである。
訴訟では、循環器の専門でない医師が軽微なST上昇を見逃し心電図の自動解析の結果をそのまま信用したとしても過失があるとは言えないとして、病院側が争ってくるのではないかと思った(参照、福岡高裁平成22年11月26日判決、判例時報2110号73頁)。
そのような主張に備えて、予め次のような主張をしておいた。
「被告クリニックのホームページを見ると、診療科目として内科があり、具体的な疾病・症状として『風邪、頭痛、胸痛、インフルエンザなどの急性疾患』があげられている。そして心電図を備えて『狭心症、心筋梗塞、不整脈など心臓に異常がないかどうか、その場で見る検査です。』と宣伝している。急性心筋梗塞は胸痛を催す代表的な疾患の一つで
あるから、被告は、その診断、鑑別について、心電図の見方も含めて、専門性があること(ないし得意分野であること)を自認しているのである。そのような被告クリニックの唯一の医師であり院長である医師が自動解析の結果を鵜呑みにして責任がないとは到底言えない。」
しかし、予期に反して病院側は争ってこず、過失を認めたために、早期の和解となった。
但し、裁判所が和解案を出すに当たり、重度の糖尿病を放置していたとして患者の余命を10年も短くして逸失利益を削り、患者にも健康管理の落ち度があるとして慰謝料まで減額したのは、納得がいかなかった。
(以上、医療事故情報センターニュースから引用)
■ ■
正直に告白します。
もし私が診ていたとしても、
この心電図は見落としていたと思います。
ただ私なら、
すぐに糖尿病専門医に紹介します。
HbA1cが10はまずいです。
肥満もあります。
心筋梗塞は予測できませんでしたが、
本人に健康管理について指導していたと思います。
■ ■
自分が専門外のことは、
HPには記載していません。
患者さんが来院されても、
私が一番よいと思う先生をご紹介しています。
心電図自動解析装置は、
私が心電図を読影するより、
よほど正確だと思っていました。
30年以上前に心電図を勉強した私より、
今の自動解析が正確だと信じていました。
■ ■
どんなに立派な診断機器でも、
最後に、
医師の確認が必要ですと出てきます。
そうです。
最後に責任を取るのは、
その機械を信用して、
患者さんに説明した医師本人です。
この事例から言えることは、
循環器内科の専門医に紹介するのが一番いいということです。
私の義父も、
循環器内科医が診ていたら、
もう少し長生きできたか?と思います。
医療事故情報センター
〒461-0001
名古屋市東区泉1丁目1-35ハイエスト久屋6階
電話:052-951-1731
FAX:052-951-1732
●日本形成外科学会で京都に来ました。
気温10℃で寒いです。
桜はまだ少し咲いていました。
昔の記憶
命日2015
今日4月6日は家内の父親の命日です。
命日(めいにち)
2009年4月6日の院長日記です。
今日、4月6日は、
岳父(がくふ:家内の父)、
故_片寄茂八(かたよせもはち)の命日です。
平成5年(1993年)に、
兵庫県三田市(さんだし)のゴルフ場で、
急性心筋梗塞で亡くなりました。
64歳でした。
65歳になる23日で前でした。
■ ■
その日は火曜日でした。
市立札幌病院皮膚科の外来で、
13:30から診療を開始して、
間もなくでした。
看護婦さんが、
『先生、奥さんから電話です』
と電話を取り次いでくれました。
『こんな時間に何だろう?』
『子どもがケガでもしたのかなぁ…?』
と思って電話に出ました。
■ ■
電話を取ると…
家内の声が震えていました。
『おじいちゃんが…』
『おじいちゃんが…、死んだって…』
それを聞いて、
私は自分の父親が亡くなったと、
一瞬、思いました。
市立札幌病院へ勤務してから、
私は、毎日、救急部で、
‘ある日突然亡くなる人’を見ていました。
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亡くなる2日前まで、
私の子どもたち2人(小4と小2)が、
(ジュニアパイロットという子どもだけのフライトで)
家内の実家に遊びに行っていました。
『おじいちゃんに遊園地に連れて行ってもらった』
『おじいちゃん、ちょっと辛そうだった』
『酸欠でなぁ』と休んでいた。
など子どもと話していたところでした。
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今から考えると、
下肢の動脈が細くなって、
足が冷たいというので、
登山用の靴下を送っていました。
他にも前兆らしき症状がありました。
亡くなった年のお正月は、
はじめて正月に家内の実家に行きました。
(当直や仕事でお正月には行けませんでした)
孫たちと遊園地に行って、
義父はうれしそうでした。
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お正月の前から、
間欠性跛行かんけつせいはこうという症状があり、
整形外科に通っていました。
下肢の血管が細くなっているので、
血管を広げる注射をしていました。
お正月は病院が休みなので、
遊びに行った私が義父に注射をしていました。
確かに足が冷たかったのを覚えています。
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その他、
亡くなる前年に、
眼科で目の血管が詰まっていると指摘され、
眼底の血管を撮影していました。
亡くなる前日には、
体調不良で、
会社の近くの病院を受診し、
胸部写真と心電図を撮っていました。
診断は風邪だったそうです。
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今から考えると、
私も甘かったと反省しています。
下肢と目の血管が詰まったら、
心臓や頭の血管も検査すべきでした。
前日に撮った心電図にも、
微細な異常はあったと思います。
ゴルフ場で心臓が停止し、
救急車が来た時に、
大丈夫やと言っのが、
義父の最期の言葉です。
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今だったら、
高性能のCTで心臓の血管を調べられます。
ステントという管を心臓の血管に入れて、
心臓の血流を確保できます。
私の知り合いにも、
心臓にステントが何本も入った先生がいます。
元気にしています。
亡くなってしまったおじいちゃんの年齢まで、
あと4年になりました。
私も健康に気をつけて、
迷惑をかけないような生き方をしたいです。
亡くなった時桜が満開でした。
22年前です。