医学講座

病院診療所ジョイントミーティング

 昨夜(2015年3月20日)、
 KKR札幌斗南病院と近隣診療所の勉強会がありました。
 2つの講演がありました。
 【講演1】
 難治性慢性頭痛の診断と治療
 北見クリニック 
 院長 北見公一 先生
 【講演2】
 乳線専門クリニックにおける乳がん診療の現状について
 札幌駅前しきしま乳線外科クリニック
 院長 敷島裕之 先生

      ■         ■
 北見公一先生は、
 市立札幌病院時代にお世話になった、
 脳神経外科の先生です。
 今は頭痛専門の
 北見クリニックを開業していらっしゃいます。
 私の身内も職員も診ていただきました。
 信頼できるいい先生です。
      ■         ■
 昨夜の講演会で、
 札幌駅前しきしま乳線外科クリニック
 敷島裕之先生のお話しが勉強になりました。
 日本人女性の12人に一人が乳がんになる時代で、
 女性のがんでは一番多いそうです。
 欧米女性と比べて、
 乳癌検診の受診率が低いそうです。
      ■         ■
 今まで乳がんについては
 札幌医大第一外科のおっぱいチームだった、
 札幌ことに乳腺クリニック(浅石和昭先生)
 札幌乳腺外科クリニック(岡崎亮先生)をご紹介していました。
 どちらのクリニックもとても混んでいます。
 会社を休んで行くにしても、
 なかなか予約が取れません。
      ■         ■
 札幌美容形成外科のすぐ近くにできた、
 札幌駅前しきしま乳線外科クリニック
 いいクリニックです。
 敷島裕之先生は、
 北大第二外科のご出身で、
 NTT札幌病院や、
 KKR斗南病院で乳がん手術をなさった先生です。
      ■         ■
 もっと驚いたのは、
 開業された後も、
 斗南病院で手術をなさって、
 斗南病院まで回診にも行かれていることです。
 これは開業医としては、
 実にすごいことです
      ■         ■
 ご自分のクリニックで、
 乳がんが見つかった患者さんは、
 KKR斗南病院で手術を受けられます。
 しかも先生が行って、
 手術を執刀してくださいます。
 患者さんにとっては実に安心です。
 乳がん手術は、
 ビルの診療所で、
 簡単にできる手術ではありません
      ■         ■
 敷島裕之先生の講演で私が質問しました。
 豊胸術を受けた患者さんの乳がんについてです。
 豊胸(バッグか注入か)2015
 豊胸手術の歴史2015に書いたように、
 シリコンバッグを使う方法は、
 たとえ乳がんになってもわかりやすい
ですか?と質問しました。
      ■         ■
 豊胸バッグを入れた方は、
 マンモグラフィーはできませんが、
 エコーで診断ができます
 注入は
 脂肪でもヒアルロン酸でも、
 わかりにくいそうです

 注入を受けた人は、
 ふつうの人の何倍も乳がんに気をつけてほしいです。
 大手美容外科の宣伝に気をつけてください。
 注入を受ける人は手術前に、
 先生の奥様にも、
 同じ手術をなさいますか

 …と質問してみてください。

“病院診療所ジョイントミーティング”へのコメントを見る

昔の記憶

国家試験合格率といい先生

 昨日の院長日記、
 医師国家試験合格発表2015に書いた、
 受験の難易度と、
 医師国家試験合格率は関係ありません。
 いい先生と、
 悪い先生も、
 医師国家試験合格率には関係ありません。
 美容整形に関して言うと、
 腕の良い先生と
 医師国家試験合格率も大学も関係ありません。

      ■         ■
 もっと私が言いたいことは、
 現役で国立難関大学医学部に合格し、
 6年間でストレートで卒業し、
 一発で医師国家試験に合格した先生と、
 優秀
 やさしく
 いい先生
 優れた人間性
 …はまったく関係ありません
      ■         ■
 残念なことですが、
 現在も過去も、
 医師国家試験は、
 医学的知識の記憶力をテストする試験です。
 人間性をチェックする機能はありません
 すべてマークシートです。
 膨大な記憶力のテストです。
      ■         ■
 私が知っている、
 やさしく
 いい先生は、
 苦労した先生です
 ストレートで医学部に進学し、
 ストレートで卒業した先生ではありません。
 国家試験に落ちた先生でも、
 いい先生はたくさんいます。
      ■         ■
 お医者さんを選ぶのに、
 出身大学を規準にする人がいます。
 ブランド物のバッグではないので、
 医師の人間性と、
 出身大学は比例しません。
 いろいろな先生がいます。
 大学教授だから
 外国に留学したから、
 やさしく
 いい先生とは限りません。
      ■         ■
 国家試験合格率にも秘密があります。
 合格率を上げるために、
 卒業させない大学があります。
 卒業認定を厳しくすると、
 国家試験合格率は上がります。
 高いお金をかけて私立医大に入ったのに、
 卒業できない学生もいます。
      ■         ■ 
 昨日ご紹介した、
 TECOMという医師国家試験予備校があります。
 そんな予備校があるの?
 …と思われた方も多いと思います。
 国家試験に通るためには、
 国立大学医学部といえども、
 大学の講義だけでは通らないこともあります。
      ■         ■
 国家試験対策が充実しているのは、
 いわゆるお金がかかる私立医大です。
 あえて名前は出しませんが、
 そのような大学の教員は必死で教えます。
 合格率を上げないと大学の存続にかかわります。
 国立大学医学部では、
 (私立医大にくらべると)
 熱心に国家試験対策を教えません。
 医学部の教育を読んで下さい。
 国家試験に2回も落ちたのに、
 とってもいい先生を私は知っています。

“国家試験合格率といい先生”へのコメントを見る

昔の記憶

医師国家試験合格発表2015

 昨日(平成27年3月18日)、
 第109回医師国家試験合格発表がありました。
 医師国家試験合格発表
 2012年3月19日の院長日記です。
 私が受験したのは…
 今から32年前でした。
 私の時は、
 第69回医師国家試験でした。
 受験番号129番でした。
      ■         ■
 受験票は今でも持っています。
 『69』回の回数、
 受験地、札幌
 氏名、
 生年月日は、
 手書きでした。
 32年前は、
 国家試験合格者名が、
 北海道新聞に掲載されました。
 実は、
 私たちの時代には、
 国家試験の合否を、
 発表の前日に…
 北海道新聞社に電話で問い合わせていました。
      ■         ■
 詳しい理由はわかりませんが…
 当時の新聞は…
 活字をひろって紙面を組む時代だったと思います。
 厚生省から、
 各新聞社に前日午前に原稿が配られたようです。
 その原稿を見て…
 新聞社の人が合否を教えてくれました。
      ■         ■
 当時は4月に国家試験がありました。
 発表は5月でした。
 北大病院の研修医になっていた私は…
 おそるおそる…
 『受験番号129番の本間賢一』です…
 …と聞いた記憶があります。
 『おめでとうございます
 …と北海道新聞社の人が教えてくれました。
      ■         ■
 今から考えると…
 古き良き時代だったと思います。
 どきどきしながら… 
 合否を聞いた覚えがあります。
 実際に医師免許証を手にしたのは6月でした。
 合格発表の後で保健所に診断書や申請書を提出し、
 医籍という医師の戸籍みたいなところに登録されたのが、
 昭和55年(1980年)5月26日でした。

      ■         ■
 今は便利な時代です。
 ネットで合否が確認できます。
 大学別の合格率もわかります。
 TECOMという医師国家試験予備校のHPに詳しく書いてあります
 多くの医学生が、
 このTECOMの模試を受けたり、
 ネットを使った授業に参加しています。
 今年の医師国家試験合格率は91.2%でした。
      ■         ■
 興味深いのは、
 受験の難易度と、
 医師国家試験合格率は関係ありません。
 いい先生と、
 悪い先生も、
 医師国家試験合格率には関係ありません。
 美容整形に関して言うと、
 腕の良い先生と
 医師国家試験合格率も大学も関係ありません。
      ■         ■
 2015年の大学別合格率です。
【北海道・東北】
北海道大学医学部 113人受験 105人合格 92.9%
旭川医科大学 108人受験 101人合格 93.5%
札幌医科大学 108人受験 103人合格 95.4%
山形大学医学部 126人受験 118人合格 93.7%
【難関大学】
東京大学医学部 113人受験 100人合格 88.5%
京都大学医学部 118人受験 110人合格 93.2%
慶應義塾大学医学部 117人受験 110人合格 94.0%
【最高合格率】
浜松医科大学 107人受験 106人合格 99.1%
自治医科大学 112人受験 111人合格 99.1%
順天堂大学医学部 111人受験 110人合格 99.1%
20150319

“医師国家試験合格発表2015”へのコメントを見る

医学講座

眼窩ブローアウト骨折の診断

 小児ブローアウト骨折は24時間以内の緊急手術です。
 難しいのが、
 子どもさんの診断です。
 CTやMRIなどの診断機器が進歩しました。
 携帯がスマホ進歩したのと同じように、
 診断機器と診断技術が進歩しています。
      ■         ■
 昔だったらわからなかった、
 小さな病変でもよく見えます。
 ただし条件があります。
 CTやMRIを撮る時に、
 動かないことです。
 じっとしていないと、
 鮮明な画像は得られません。
      ■         ■
 CTやMRIを撮る部屋へ入ったことがあると思います。
 子供が一人で、
 おとなしくできる環境ではありません。
 診断機器は進歩しましたが、
 子どもを、
 安全に
 簡単に
 おとなしくさせる
 これが一番の難関です
      ■         ■
 学校で友だちと衝突して、
 保健室に運ばれます。
 救急車が学校に来て、
 救急病院に搬送される。
 これだけで大騒ぎになります。
 学校の先生、
 ご両親、
 おじいちゃんおばあちゃんまで病院に来ます。
      ■         ■
 子どもさんの顔は紫色になり、
 目を開くこともできません。
 たいていの子どもさんは泣き叫んでいます。
 お母さんは心配しておろおろ、
 泣き出すお母さんもいます。
 血が出ていると、 
 それだけ見て倒れるお母さんもいます。
      ■         ■
 この混乱した状況の中で、
 子どもさんも動揺します。
 採血ひとつするのも大変です。
 目の診察のために…
 上を向いて
 下を向いて
 …と言っても簡単に向いてくれません。
      ■         ■
 点滴を入れるのも大変です。
 せっかく点滴を入れても、
 大暴れして抜けてしまうこともあります。
 そうすると、
 また点滴のやり直しです。
 ごはんを食べたばかりだと、
 全身麻酔もすぐにかけられないことがあります。
      ■         ■
 CTやMRIを撮るために、
 全身麻酔をかけることも簡単にできません。
 麻酔科医もいません。 
 CTの部屋に麻酔装置はありません。
 MRIの部屋には、
 酸素ボンベなどの金属は持ち込めません。
 ボンベがロケットのようにMRIを壊してしまいます。
 MRIが磁石だからです。
      ■         ■
 自分の孫が学校でけがをしたら、
 まず落ち着くことです。
 採血や点滴は小児科医が上手です。
 意識不明だったら仕方がありませんが、
 意識があれば孫をよく観察します。
 ブローアウト骨折の診断は、
 CTが撮れなくてもできることがあります。
      ■         ■
 ブローアウト骨折があると、
 上口唇がしびれることがあります。
 孫に
 腫れている方の唇だけしびれていないか
 聞いてみます。
 物をかんだ時、
 片方だけ変な感じがしないか
 聞いてみます。
 眼窩下神経がんかかしんけいという三叉神経第二枝の麻痺症状です。
 日本形成外科学会HPも見てください。

“眼窩ブローアウト骨折の診断”へのコメントを見る

医学講座

眼科と形成外科のコラボ

 私は長い間、形成外科医として、
 救命救急センターがあるような大きな病院で働きました。
 勤務は大変でしたが、
 医師として得るものがたくさんありました。
 他の科の先生と仲良く仕事をすることです。
 たくさんの信頼できる先生と仕事をしました。
      ■         ■
 大きな病院には眼科があります。
 眼球を損傷するような外傷の時は、
 眼科の先生とよく手術をしました。
 眼科の先生は眼球、 
 形成外科は眼瞼(まぶた)を担当しました。
 順番としては、
 眼球が先です。
      ■         ■
 手術中にいろいろと話しをしながら、
 眼科の先生の手術を見たり、
 手伝ったりして学びました。
 一人の患者さんを通じて、
 眼科と信頼関係ができて、
 勉強になりました。
 いいことだと思います。
      ■         ■
 形成外科外来には、
 視力表や、
 視野測定の機器はありません。 
 眼圧を測定する機器もありません。
 患者さんは、
 眼科と形成外科を行き来して大変ですが、
 二人の医師に診てもらうことになります。
 より診断が確実になります。
      ■         ■
 眼窩床骨折を手術する眼科医でも、
 腸骨を採取して、
 薄く削って、
 眼窩床に移植する先生はまれです。
 私たち形成外科医は、
 腸骨採取も上手です。
 うすく削るのも得意です。
 眼科と形成外科が仲良く手術をするといい結果が出ます。
      ■         ■
 昨日の小児ブローアウト骨折のような例はまれです。
 救急外来に搬送されて、
 嘔吐している時などは、
 小児科医が診て小児科に入院することもあります。
 小児科医が気づくといいのですが、
 眼科や形成外科を受診するのが遅れることもあります。
 誰か一人でも、
 下直筋がはさまっていると気づくといいのですが、
 遅れることもあります。
      ■         ■
 小児はなかなかじっとしてくれないので、
 CTを撮ること自体が難しいこともあります。
 下直筋がはさまっても、
 失明することはありませんが、
 下を向いた時にものが2つに見えます。
 子供さんが目を強打したら、
 私の院長日記を思い出してほしいです。
 眼科と形成外科のコラボは大切です

“眼科と形成外科のコラボ”へのコメントを見る

医学講座

子どもが目を強打した時

 平成27年3月14日に北大で開催された、
 第26回日本眼瞼義眼床手術学会
 私が一番勉強になったのがこの手術手技フォーラムでした。
 第一回眼窩手術手技フォーラム:
 「小児のブローアウト骨折
 小児のブローアウト骨折の特徴と手術加療の目標
 【座長】
 京都府立医科大学 眼科
 渡辺彰英 先生
 機能と解剖から考える小児の眼窩骨折
 群馬大学 眼科
 鹿嶋友敬 先生
 成人例との比較
 兵庫医科大学 形成外科
 藤原敏宏 先生
 治療の実際
 北海道大学 形成外科
 小山明彦 先生

      ■         ■
 ブローアウト骨折とは聞き慣れない言葉です。
 人間の頭蓋骨を思い出してください。
 ドクロ髑髏とか
 しゃれこうべとか
 されこうべ晒され頭とか
 あのがいこつです。
      ■         ■
 眼球が入る部分を、
 眼窩がんかと呼びます。
 頭蓋骨はとても硬い骨ですが、
 目が入る部分だけ、
 とても薄い構造になっています。
 卵の殻を少し厚くした程度です。
      ■         ■
 私は形成外科で手術をする時に、
 この卵の殻のように薄い構造は、
 車の衝撃吸収バンバーだと説明していました。
 つまり、
 目という大切な器官を守るために、
 強い外力が加わった時に、 
 卵の殻が壊れて、
 眼球を保護する役割を持っています。
      ■         ■
 子どもさんが目を強打したとします。
 体育で、
 自分の膝がぶつかることもあります。
 他人の頭が目に当たることもあります。
 そうすると、
 目に強い力がかかります
      ■         ■
 最悪なのは眼球破裂です。
 眼球が破裂しないように、
 目の入れ物である、
 眼窩の床が破れて、
 眼球内容が下に落ちるようになっています。
 これを、
 眼窩床骨折がんかしょうこっせつと呼びます。
 ブローアウト骨折と言います。
      ■         ■
 眼窩の下と内側が弱く、
 骨折しやすいです。
 私が形成外科をやっていた頃は、
 診断も単純レントゲン写真だけでした。
 CTスキャンの精度も今ほど高くありませんでした。
 今は画像診断がとても進歩しました。
      ■         ■
 新しい知見として、
 小児のブローアウト骨折で、
 下直筋という筋肉が骨に挟まっている時は、
 24時間以内に緊急手術が必要だと、
 土曜日の手術手技フォーラムで知りました。
 下直筋という、 
 目を下向きにする筋肉が、
 骨に挟まって、
 壊死になってしまうそうです。
      ■         ■
 小児の骨は、
 大人と違って若い竹のようにしなります。
 簡単に卵の殻が割れないのです。
 ですから、
 ひびが入った骨に、
 筋肉が挟まってしまい、
 下直筋が壊死になります。
      ■         ■
 救命救急の先生や、
 小児科の先生でも知らない人いるそうです。
 私も不勉強で知りませんでした。
 子どもさんが目を強打して、
 目が腫れて、
 動きが悪ければ、
 CTスキャンで精査して緊急手術です。
 学会に出て勉強になりました。

“子どもが目を強打した時”へのコメントを見る

医学講座

第26回日本眼瞼義眼床手術学会(札幌)②

 昨日の学会は実にいい学会でした。
 はじめて参加しました。
 眼科医と形成外科医が、
 自由に活発に討論をしていました。
 厳しい質問もありました。
 切磋琢磨せっさたくまという言葉がぴったりでした。
      ■         ■
 1990年に関西医大形成外科の小川豊先生が、
 難しい義眼床の患者さんを、
 どうしたら上手に治せるか?
 眼科医、
 義眼師に呼びかけて、
 義眼床手術研究会の名称で発足しました。
      ■         ■
 昨日の学会で、
 これまでの25年と本日の討論を振り返って
 …という座談会が最後にありました。
 司会進行:辻 英貴 先生、土井秀明先生
 中村泰久先生、小川豊先生、冨士森良輔先生、田邊吉彦先生、
の4人が、
 壇上でお話しをされました。
      ■         ■
 創設者の小川先生が、
 自分はラグビーが好きで、
 試合の間は真剣に闘った相手と、
 試合後にノーサイドで仲良くする

 学会後の懇親会で、
 形成外科と眼科、義眼師が仲良く討論できる学会
 さすが小川先生の発想が素晴らしいと感じました。
      ■         ■
 昨日の発表では、
 最初の義眼床に限らず、
 眼瞼や眼窩(がんか)の疾患について、
 活発な討論が交わされました。
 眼科の先生の意見もお聞きすることができ、
 とても勉強になりました。
      ■         ■
 学会の歴代会長です。
 来年も学会に参加したいと思いました。
 小川先生、楠本先生、土井先生、
 関西医大形成外科の皆様、
 足もとが悪い札幌にいらしていだき、
 ありがとうございました。

(第1回~第17回までは義眼床手術研究会
第1回(平成2年) 大阪 関西医科大学形成外科 小川 豊
第2回(平成3年) 大阪 関西医科大学形成外科 小川 豊
第3回(平成4年) 大阪 関西医科大学形成外科 小川 豊
第4回(平成5年) 大阪 関西医科大学形成外科 小川 豊
第5回(平成6年) 大阪 関西医科大学形成外科 小川 豊
第6回(平成7年) 大阪 関西医科大学形成外科 小川 豊
第7回(平成8年) 大阪 関西医科大学形成外科 小川 豊
第8回(平成9年) 大阪 関西医科大学形成外科 小川 豊
第9回(平成10年) 大阪 関西医科大学形成外科 小川 豊
第10回(平成11年) 大阪 関西医科大学形成外科 小川 豊
第11回(平成12年) 大阪 神戸中央市民病院形成外科 澤田正樹
第12回(平成13年) 名古屋中部労災病院形成外科 田邊吉彦
第13回(平成14年) 大阪 大阪市立大学形成外科 村岡道徳
第14回(平成15年) 大阪 市立伊丹病院眼科 萩原正博
第15回(平成16年) 岸和田 岸和田市民病院形成外科 久徳茂雄
第16回(平成17年) 浜松 聖隷浜松病院眼形成眼窩外科 中村泰久
第17回(平成18年) 神戸 神戸大学形成外科 田原真也
(第18回~第24回までは眼瞼・義眼床手術研究会
第18回(平成19年) 京都 京都府立医科大学眼科 木下 茂
第19回(平成20年) 京都 京都大学形成外科 鈴木茂彦
第20回(平成21年) 岡山 岡山医療センター眼科 大島浩一
第21回(平成22年) 大阪 関西医科大学形成外科 楠本 健司
第22回(平成23年) 東京 がん研有明病院眼科 辻 英貴
第23回(平成24年) 東京 昭和大学藤が丘病院形成外科 角谷 徳芳
第24回(平成25年) 広島 広島大学眼科 山田貴之
(第25回~日本眼瞼義眼床手術学会
第25回(平成26年) 名古屋 愛知医科大学形成外科 横尾和久
第26回(平成27年) 北海道 北海道大学眼科 野田実香
第27回(平成28年) 神奈川 横浜市立大学形成外科 前川二郎

“第26回日本眼瞼義眼床手術学会(札幌)②”へのコメントを見る

医学講座

第26回日本眼瞼義眼床手術学会(札幌)①

 今日は第26回日本眼瞼義眼床手術学会が、
 北大で開催されます。
 会長は北大眼科の野田実香先生です。
 この学会に参加するのははじめてです。
 学会HPからの引用です。
      ■         ■
 1990(平成2)年に代表世話人小川豊(現関西医科大学形成外科名誉教授)が形成外科医、眼科医、義眼師に呼びかけて「義眼床手術研究会」の名称で発足しました。
 年に1回の会を重ね、第11回以降は形成外科、眼科が交互に会長を担当し、2013(平成25)年に第24回の研究会を開催しました。
 研究会は当初より、治療や手術について形成外科医、眼科医、義眼師が自由に充分の討議ができることを主眼にしています。また、2006(平成18)年2月に討議内容の実情にあわせ会の名称を「眼瞼・義眼床手術研究会」に改め、義眼床に限らず、眼瞼、眼窩の種々の病態の治療を検討対象にしています。
 2014(平成26)年2月15日より本研究会は、第25回より「日本眼瞼義眼床手術学会」と改称し、スタートしました。
      ■         ■
 第26回日本眼瞼義眼床手術学会のご案内
 期日:2015年3月14日(土)
 場所:北海道大学医学部学友会館「フラテ」(札幌市)
 会長:野田実香 先生(北海道大学 眼科)
 *特別プログラム
 特別講演/ランチョンセミナー(共催:(株)参天製薬)
 講師 野平久仁彦 院長(蘇春堂形成外科)
 第1回眼窩手術手技フォーラム(共催:(株)メディカルユーアンドエイ)
 司会 京都府立医科大学 眼科 渡辺彰英 先生
 演者 群馬大学 眼科 鹿嶋友敬 先生
 北海道大学 形成外科 小山明彦 先生
 兵庫医科大学 形成外科 藤原敏宏 先生

      ■         ■
 学会の内容については、
 明日以降の院長日記でご報告いたします。
 今日は日本褥瘡学会北海道地方会と重なってしまったため、
 北大と札幌コンベンションセンターを往復して、
 忙しい一日でした。
 先ほど学会懇親会から帰宅しました。
 実に充実した学会でした。
 とても勉強になりました。
 野田実香先生ありがとうございました。

“第26回日本眼瞼義眼床手術学会(札幌)①”へのコメントを見る

医学講座

前向きにがんばって生きる

 昨日の院長日記、
 動けぬ母に最後の言葉
 2015年3月11日、
 東京都千代田区の国立劇場で行われた
 東日本大震災政府主催の追悼式
 宮城県代表、菅原彩加(さやか)さん(19)のスピーチです。
      ■         ■
 この中にあった、
 失ったものは戻ってこない、
 悲しみが消えることもない

 でも前向きにがんばって生きる
 実に大切なことだと思います。
 受験でも、
 病気でも同じです。
      ■         ■
 よくお医者さんや弁護士さんは、
 いい仕事
 生活に困らない
 …と思われがちです。
 実際、私も小さい頃や、
 学生の頃にはそう思っていました。
      ■         ■
 でも実際に医師として30年以上仕事をしていると、
 とても
 楽で
 もうかる
 仕事ではありません
 ストレスが多い職種です
      ■         ■
 美容形成外科は別としても
 私たち医師の仕事は、
 突然病気になったとか、
 事故でけがをしたという、
 困っている人たちを助ける仕事です
 困っている人たちから、
 お金をいただいいて生計を立てています。
      ■         ■
 お金がなくて、
 病院に行けない人もいます。
 手遅れになることもあります。
 弁護士さんも、
 困っている人を助ける仕事です。
 お金がない人でも助ける仕事です。
      ■         ■
 医師として真面目に仕事をすればするほど、
 助けられない人に出合うことがあります。
 そんな時でも、
 前向きにがんばって生きることを、
 サポートするのが医療従事者の仕事です。
 癌になって手術をして、
 失ったものは戻ってきません。
 癌になった悲しみが消えることもありません。

      ■         ■
 たとえ癌になっても
 前向きにがんばって生きることが大切です。
 新しい治療法が見つかることもあります。
 私たち形成外科の仕事には、
 再建外科も含まれます。
 癌で失った組織を、
 前向きにがんばって再建する仕事です。
 最後まであきらめないことです。 

“前向きにがんばって生きる”へのコメントを見る

院長の休日

動けぬ母に最後の言葉

 今日は平成27年3月12日
 東日本大震災から4年、
 今朝の朝日新聞一面のトップ記事です。
 祈る、大好きな人へ
 動けぬ母に最後の言葉
 東日本大震災4年
 東日本大震災から11日で4年を迎えた。死者1万5891人、行方不明者2584人。避難生活を送る人はいまも約22万9千人にのぼり、避難先は福島・宮城・岩手を中心に47都道府県のすべてに及ぶ。地震の起きた午後2時46分、各地で犠牲者へ祈りが捧げられた。
 政府主催の追悼式が11日午後、東京都千代田区の国立劇場であった。天皇、皇后両陛下や安倍晋三首相ら約1120人が参列。被災3県の遺族代表が追悼のことばを述べた。
 宮城県代表は、母(当時35)と祖母(同64)、曽祖母(同83)の3人を津波に奪われた菅原彩加(さやか)さん(19)。《15歳だった私には受け入れられないような悲しみがたくさんありました》。祭壇に向かい、読み上げた。
 石巻市大川地区の自宅で大きな揺れに襲われた。家族は、買ったばかりのテレビが倒れることを心配していた。その矢先。濁流にのまれた。気づくとがれきの山の上だった。足元から低い声が聞こえた。「さやー」。母の理子(りこ)さんだった。
 《釘や木が刺さり、足は折れ、変わり果てた母の姿がありました。がれきをよけようと頑張りましたが、私一人にはどうにもならないほどの重さ、大きさでした。母のことを助けたいけれど、ここにいたら私も流されて死んでしまう。「行かないで」という母に、私は「ありがとう、大好きだよ」と伝え、近くにあった小学校へと泳いで渡り、一夜を明かしました》。声をふるわせた。
 高校入学後、60回近く体験を語ってきた。でも可哀想と思ってほしくないという。あの時の判断を問われると「仕方がなかった」と答えてきた。
 仮設暮らしの祖父、秀幸さん(64)は、ふびんに思って声をかけた時の答えが忘れられない。「自分は不幸じゃない」。彩加さんは泣いて抗議したという。明るい性格の孫が理不尽な境遇を懸命に生きているように、秀幸さんには見えた。
 それでも彩加さんには、母を思って涙がこみ上げることがある。片付けをせずに怒られたこと、一緒に洋服を選んだこと。浮かぶのは「あの日」ではなく、家族が一緒だった日常だ。
 《失ったものは、もう戻ってくることはありません。悲しみが消えることもないと思います。しかし前向きに頑張って生きていくことが、亡くなった家族への恩返しだと思い、生きていきたい》
 春からは神奈川県の大学に進み、防災学をまなぶ。
 (中林加南子、吉浜織恵)

20150312-1

菅原彩加(さやか)さん
(以上、朝日新聞より引用)

      ■         ■
 今朝のTVで菅原彩加(さやか)さんを見ました。
 19歳とは思えない、
 立派なスピーチでした。
 見ていて、
 思わず涙が出ました。
 神奈川県の大学に進学され、
 防災学を勉強される。
 なんてすばらしいことでしょうか。
      ■         ■
 震災の恐怖は、
 実際に体験した人でなければわからず、
 大切な人を失った悲しみは、
 どんなにつらいものでしょうか。
 失ったものは、
 もう戻ってくることはありません。
 悲しみが消えることもないと思います。
 しかし前向きに頑張って生きていくことが、
 亡くなった家族への恩返しだと思い、
 生きていきたい。

 この言葉を忘れないようにしようと思いました。
 菅原彩加(さやか)さんのご活躍をお祈りしています。
 天国のお母さんも喜んでいらっしゃると思います。

“動けぬ母に最後の言葉”へのコメントを見る

TEL 011-231-6666ご相談ご予約このページのトップへ