医学講座
患者さんを自分の彼女だと思う
私の生涯で一番記憶に残る特別講演、
福田慶三先生の
美容外科医の心得3段活用は、
巨匠と呼ばれる、
著名な先生へのインタビューでした。
東京、大阪、岐阜へわざわざ行かれて、
福田先生みずからインタビューされました。
■ ■
ためになることが満載でした。
一番印象に残ったのが、
ノエル銀座クリニック院長の
保志名勝先生のお言葉でした。
保志名先生は、
どんなことがあっても、
患者さんを怒ったりしないそうです。
■ ■
福田先生が、
『どうして怒らないのですか?』と質問されました。
保志名先生のお言葉は、
『すべての患者さんを、自分の彼女だと思ったら、怒れないじゃないですか』
これをお聞きして、
私はすごいと思いました。
私は彼女でも奥さんでも怒ります。
人間性の問題かと思ったら違いました。
■ ■
福田先生:
『どうやって怒らないようになったのですか?』
保志名先生:
『十仁で鍛えられました』
私:なるほど!と思いました。
十仁スピリット
2008年5月12日の院長日記です。
■ ■
こんなことを書くと、
十仁病院の梅澤先生に叱られるかもしれません…
私が勝手につけた名前です。
私に美容外科を指導してくださったのは、
中央クリニック新宿院の日高先生でした。
日高先生は、東海大学医学部をご卒業後、
正確に言うと、東海大学在学中から…
美容外科に興味を持っていらした先生です。
■ ■
日高先生に形成外科の講義をなさったのが、
昨日、特別講演をしてくださった、
東海大学形成外科の谷野隆三郎教授でした。
日高先生は東海大学卒業後に十仁病院へ入職。
私が形成外科医として経験したのと同じ歳月を、
美容外科医として活躍された、生粋の美容外科医です。
日高先生と中央クリニック新宿院で、
ご一緒に手術をさせていただいた日々は、
私にとって何物にも代えがたい、
貴重な財産となりました。
■ ■
2002年(平成14年)春に札幌医大をクビになって、
毎日落ち込んでいて…
うつ病になりかけていた私を救ってくれたのが、
日高先生と中央クリニック新宿院のスタッフでした。
人生でもっとも辛かった時期でした。
この時期に、
日高先生から教えていただいたのが、
十仁スピリットです。
■ ■
日高先生から教えていただいた…
美容外科スピリット。
美容外科は‘技術’だけでは食べて行けません。
‘お客様のニーズ’に合わせた手術や治療を提供できるのが
美容外科だと日高先生から教えていただきました。
私はまだまだ修行が足りません。
横柄な形成外科医のままです。
自分の考えに合わない手術はお引き受けしていません。
■ ■
十仁系の日本美容外科学会に出席すると…
この美容外科スピリットが気になります。
私は自分の技術を安売りするつもりはありません。
ただ、自分の技術を押し売りしてはいないか?と反省します。
つまり、切らない手術を希望される方には…
たとえ数年後には効果が少なくなる方法でも…
お客様のニーズに合わせた手術を‘売る’ことができるのが
真の美容外科医のような気がします。
■ ■
形成外科出身の(自称)美容外科医は、
技術が売り物でも、
なかなか…
すべての患者さんを、
♡自分の彼女♡だと、
思えないことも多くあります。
私は、
すべての患者さんを、
自分の家族だと、
思っています。
家族だから怒りもしますし、
できないものはできないと言います。
■ ■
持って生まれた性分だから、
もう還暦も過ぎているから、
こんなガンコな性格は直せないと思います。
保志名先生のような素敵な美容外科医に、
自分の彼女だと思って
手術をしていただくのは、
女性にとって幸せなことだと思いました。
福田慶三先生のおかげで勉強になりました。
ありがとうございました。
医学講座
美容外科医の心得3段活用
2015年6月6日と7日の日本美容外科学会(JSAS)が終わりました。
今年の学会で一番勉強になったのが、
A6特別講演
美容外科医の心得3段活用
怒られない、怒らせない、怒らない
福田慶三
ヴェリテクリニック
Keizo Fukuta,M.D.
Verite Clinicでした。
■ ■
私が今まで聴いた特別講演の中でも、
最高の講演でした。
演者の福田慶三先生に感謝します。
この講演を聴けただけでも、
2日間も休んで、
東京まで行った甲斐がありました。
実に中味が濃い内容でした。
■ ■
私を含めて多くの先生が、
どんな内容なんだろう~?
抄録集を読んで、
発表を楽しみにしていました。
最初は、
仏教や映画に出てくる、
怒りのお話しからはじまりました。
遺伝性で難治性の、
先天性怒りんぼ病の私としては、
耳の痛い出だしでした。
■ ■
抄録集の内容です。
抄録
仏教では(むざぽり)・(いかり)・(仏教の教えに対する無知)を三毒と呼びます。怒りの感情は人の幸せな気持ちを破壊し、さらに周囲に拡散する猛毒です。患者が怒ると私たちの心は折れます。そして、私たちの中にも怒りの感情が生まれます。患者に対して怒った時には、すかっとした気持ちになるかもしれませんが、後からたいへん嫌な気持ちになり後悔します。美容外科医の目標は患者の満足を得ることと、自分の幸福です。そのためには、患者から怒られない、患者を怒らせない、自分自身も怒らないことが大切です。
今回は、私の臨床経験に加え、先輩同輩の美容外科の先生方からの聞き取り調査を基に、患者はなぜ怒るのだろうか?私はなぜ患者に対して腹を立てるのだろうか?その理由を検討してみました。そして、怒りを治めるために私が講じてきた対策を報告します。
■ ■
福田先生の講演は約45分間のビデオでした。
そのビデオの冒頭は仏教の教えにはじまり、
映画に出てくる父親と娘の間の怒りを紹介し、
怒ることは、
自分にも、
相手にも、
周囲にもよくないということを、
とてもわかりやすく示されました。
私:大いに反省です
■ ■
その次は、
美容外科医としての苦労です。
日本の美容外科業界で、
知らない人はいないという、
有名な6人の先生へのインタビューでした。
①高須克弥先生、
②高橋金男先生、
③保志名勝先生、
④北村義洋先生、
⑤勝間田宏先生
⑥市田正成先生
それぞれの先生が、
どのようにして患者さんに怒られないように日々の診療をしているか?
もし怒られた時はどうしているか?
実に詳しく解説してくださいました。
■ ■
私も含めて、
どんなに丁寧に手術をしても、
予想外の結果とか、
(患者さんにとって)不満足な結果はあります。
そんな時に、
どう対処するのか?
どうやって防ぐのか?
とてもよくわかりました。
福田慶三先生、ほんとうにありがとうございました。
医学講座
第103回日本美容外科学会(JSAS)東京②
昨夜の懇親会では高須克弥先生と握手ができました。
高須先生の手は、
力強く優しい手でした。
私も見習いたいと思います。
ご子息の高須幹弥先生とは会場でお会いしました。
朝早くから、
しっかり講演を聴いていらっしゃいました。
親子ともまじめな先生です。
■ ■
学会長の相川先生のご挨拶がありました。
相川先生は2年前から経営に専従され、
ご自身は手術をなさらないそうです。
懇親会には、
衆議院議員、
参議院議員の先生もいらしてました。
経営者になるには、
政治家とも親しくないとだめなようです。
■ ■
学会を聞いて感じたことです。
日本でも、
韓国でも、
ヒアルロン酸など、
フィラーと呼ばれる注入剤で、
鼻や顔が壊死になる患者さんがいます。
■ ■
顔面の血管解剖を知らない先生が、
不用意に注射すると事故になります。
顔面動脈に間違って注入した場合に、
どこの範囲が詰まって壊死になるか?
ここは注意しなくてはいけない
…という内容の発表がありました。
形成外科医で、
顔面の局所皮弁や血管吻合、
顔面神経麻痺の手術をした医師だったら、
よくわかっていることなのにと思って聞いていました。
■ ■
最近のヒアルロン酸の注射方法が、
昔と違って深い層に注射するのも、
血管閉塞による壊死が起こる原因だと感じました。
美しくなるためのヒアルロン酸で、
鼻や顔が壊死になったら大変です。
訴訟にならないためにも、
しっかり解剖学を勉強する必要があります。

朝8:55学会がはじまる前です
医学講座
第103回日本美容外科学会(JSAS)東京①
第103回日本美容外科学会(JSAS)に参加するため、
昨夜、東京に来ました。
昨日の東京は雨でした。
昨年も雨だった記憶があります。
飛行機が10分くらい遅れました。
機内アナウンスによると、
向かい風が強かったためだそうです。
■ ■
日本美容外科学会には、
形成外科系の日本美容外科学会(JSAPS)と、
十仁系と呼ばれる日本美容外科学会(JSAS)の2つがあります。
高須クリニックの高須克弥先生と、
蘇春堂形成外科の新冨芳尚先生が、
2つの学会を1つにしようとご尽力されていました。
■ ■
残念なことに、
2つの学会を1つにしようという流れは止まってしまいました。
私のように、
毎年2つの学会に参加する医師もいます。
以前に比べると、
こちらの日本美容外科学会(JSAS)に参加する、
形成外科医も増えています。
■ ■
今回の学会長は湘南美容外科の相川先生です。
今日から2日間の学会。
韓国から親しい先生もいらっしゃいます。
しっかり勉強して帰ります。
夜の懇親会で、
私が尊敬する高須克弥先生とお会いできました。
とてもいい日になりました。

医学講座
指先の感覚
昨日の院長日記、
手足の多汗症とボトックス注射に、
なっちゅんさんからコメントをいただきました。
手足はそんなに痛いのですか。
脇や眉間のシワのボトックスは痛くないのでしょうか?
手足と顔の感覚は違います。
■ ■
手のぬくもり
2007年10月28日の院長日記です。
私たちの手は、さまざまな作業をするため、
実に精密に作られています。
目以外に字が読めるのは手だけです。
ホッペに点字を当てても読めません。
指先には神経のセンサーがたくさんついているので、
細かな違いも読み取れるのです。
■ ■
指のけが
2012年6月13日の院長日記です。
指先は…
点字が読めるほど神経が発達しています。
ものをつかんでも…
皮膚が破れないように…
とても丈夫にできています。
爪があるのも…
指先を丈夫にするためです。
■ ■
私が手掌発汗や足底の発汗にボトックス注射をしないのは、
保険適応外ということもありますが、
痛みを上手にコントロールして、
精密に注射をするのが難しいからです。
ボトックス注射は細い針でします。
手掌や足底は皮膚が厚いので、
細い注射針ではうまく注射ができません。
■ ■
指の手術をする時には、
ふつうの局所麻酔ではなく、
神経ブロックという麻酔を使います。
鋭敏な感覚を上手にコントロールするには、
指神経ブロックという麻酔や、
腋窩神経ブロックを使います。
手掌にボトックスを注射するのは、
かなり痛いと想像します。
■ ■
昔、ある先生が、
手掌多汗のボトックス注射に、
全身麻酔をしていたのを知っています。
汗で手掌が濡れるのも困ります。
どうしても困る人には、
私は胸部交感神経の手術を検討するように説明します。
今はNTT札幌病院麻酔科をご紹介しています。
医学講座
手足の多汗症とボトックス注射
毎年6月に多いのが、
腋窩多汗症のボトックス注射です。
札幌美容形成外科では、
開院以来6月の件数が一番多いです。
従来は保険適応外でしたが、
2013年5月から保険診療で注射をしています。
■ ■
私は自分が多汗症で、
恥ずかしながら…
わきに汗染みができます。
メールや、
SNSの投稿で、
汗!
(;^_^A アセアセ・・・
(汗
汗の絵文字を使う人がいますが、
ほんとうにお気持ちがよく理解できます。
■ ■
メールでいただくお問い合わせに、
手足にも多量の汗をかきますが、
手足のボトックス注射もできますか?
…という質問をいただきます。
残念ですが、
国が認めた多汗症のボトックス注射は、
わきだけです。
■ ■
重度の手汗で、
書類が濡れてしまう人もいます。
手掌にボトックス注射をするクリニックもあります。
申し訳ありませんが、
札幌美容形成外科では、
保険外でも手掌や足底にボトックス注射はしていません。
とても痛いからです。
■ ■
重度の腋窩多汗と手掌発汗を認める患者さんには、
NTT札幌病院麻酔科をご紹介することもあります。
胸部交感神経の手術をすることにより、
手掌発汗を少なくする治療法があります。
入院手術ですが保険適応です。
交感神経の手術には
代償性発汗という副作用があります。
訴訟になった例もあるようです。
■ ■
脇のボトックス注射では、
私自身は重篤な副作用は経験していません。
世界的に見ると、
ボトックスには副作用もあります。
ボトックスで死者16人
2008年1月27日の院長日記です。
私は慎重に使えば副作用もなく、
とてもよく効く薬だと思います。
心配な方には
ボトックス注射も手術もおすすめしません。
院長の休日
アカシアの花2015
アカシアの花
2008年6月10日の院長日記です。
この道はいつか来た道
ああ_そうだよ
あかしやの花が咲いてる
「この道」という歌の一節です。
北原白秋がうたった、
「この道」は札幌の道です。
■ ■
札幌美容形成外科のある、
札幌駅前通りにも、
アカシアの並木がありました。
残念なことに…
地下歩道の建設工事で、
大部分が移植されてしまいました。
■ ■
2011年3月に地下歩行空間が開通してから4年です。
駅前通りには、
アカシアが植樹されました。
残念なことにまだ小さいです。
枯れてしまった木もあります。
枯れたところには、
再植樹されました。
造園業者さんが手入れもされています。
■ ■
樹が小さいので、
まだ昔のように…
アカシアの香りがするまでには成長していません。
朝の通勤途中で、
伊藤邸の横を通ります。
とてもよい香りがします。
心配なのが、
伊藤邸のマンションです。
先月末頃から、
工事用の建物ができています。
いよいよ高さ100mの
30階建344戸のマンションができると思うと、
残念な気持ちになります。



2008年
昔の記憶
町村信孝前衆議院議長ご逝去
謹んでご冥福をお祈りいたします。
勝沼栄明衆議院議員のFBからの引用です。
町村信孝前衆議院議長がご逝去されました。
私が政治を志して、初めてお会いした政治家が町村先生です。
北海道で一期目の衆議院議員を務めさせて頂いた時、右も左もわからない私を優しく諭して下さり、
衆院解散後に国替えをして2期目として国会に戻った時も、
君の勇気を心から誇りに思うと声をかけて下さった町村先生。
常にその大きな背中に多くの事を教わりました。
国家が抱える山積の難問を大局から捉え、正しく命を削って国家国民の為に尽くされた方でした。
町村先生、本当にお疲れ様でした。
今はただゆっくりお休みになり、我々を暖かく、厳しく、見守っていて下さい。
■ ■
私は町村信孝前衆議院議長にお会いしたことも、
直接お顔を見たこともありません。
選挙区も違いますから、
投票をしたこともありません。
でも、
昨夜はショックでした。
まだ70歳なのに、、、
■ ■
Wikipediaによると、
町村信孝前衆議院議長は、
1944年(昭和19年)10月17日生。
私よりちょうど10歳年上です。
東京都立日比谷高等学校
東京大学経済学部卒業
…というエリート中のエリート。
■ ■
1969年(昭和44年)東大を卒業し通商産業省に入省。
1983年(昭和58年)の第37回衆議院議員総選挙で初当選。
2014年12月には三権の長である。
衆議院議長に就任。
2015年4月に病気療養のため衆議院議長を辞任し、
2ヵ月もたたないのに急逝。
治療にあたっていた医療スタッフも、
さぞ無念のことと思います。
医療が発達しても、
まだまだ治せない病気があることをあらためて知りました。
心からご冥福をお祈りいたします。
昔の記憶
いつまでも○○ちゃん
昨日の院長日記、
藤枝正道先生叙勲祝賀会に、
なっちゅんさんからコメントをいただきました。
お子さんが生まれると
お父さん、
お母さんと
呼びあうようになるのに
ずっとラブラブな秘訣を教わりたいです。
■ ■
藤枝先生には2人のお子様がいらっしゃいます。
とても円満なご家庭です。
私たちが高校生や大学生の頃に、
先生のご自宅におじゃましたことがありました。
いつでも大歓迎してくださいました。
高校生から見て、
将来、こんな家庭を築きたい!
…と思うようなご家庭でした。
■ ■
藤枝先生は、
よき先生であり、
よき夫であり、
よき父親だと思います。
札幌西高校3年7組だった時、
放課後が掃除の時間でした。
藤枝先生はよくクラスにいらして、
私たちといっしょに掃除をしてくださいました。
■ ■
今から考えると、
私たちは掃除当番がありましたが、
先生は毎日掃除当番?だったの?と思います。
昨年の還暦クラス会で、
藤枝先生の奥様からお言葉をいただきました。
正確に覚えていないのですが、
定年後に、
ご主人が家にいて困る
…という奥さんがいらっしゃるそうですが、
うちはそんなことはありません。
という内容だったと記憶しています。
■ ■
私の想像では、
藤枝先生は、
ご家庭でも、
ごく自然に、
家事などを分担していらっしゃるのでは?
これぼく掃除しておくょ
…とおっしゃるのではと思います。
本間家ではとっくの昔に、
○○ちゃんは消えてなくなりました。
定年後に粗大ゴミとならないように、
風呂掃除などの役割分担は今からやっています。
昔の記憶
藤枝正道先生叙勲祝賀会
昨夜、京王プラザホテル札幌で、
札幌西高校の恩師、
藤枝正道先生の叙勲祝賀会が開催されました。
同期の石丸修太郎さんが幹事をしてくださり、
西高20期9人、
西高23期21人、
西高26期4人の
合計34人が参加しました。
■ ■
藤枝先生は、
平成27年春の叙勲で瑞宝双光章を受章されました。
長年の教育功労に対しての叙勲です。
勲章など、
まったく縁のない私ですが、
恩師の叙勲はうれしいものです。
同期や先輩・後輩と、
とても楽しい時間を過ごしました。
■ ■
藤枝先生の経歴を、
昨日はじめて知りました。
藤枝先生から、
昭和43年5月に札幌西高校に赴任した時のことをお聞きしました。
道教委から連絡があり、
札幌西高校に面接にいらしたそうです。
当時の校長先生から、
お昼にラーメンをご馳走になり、
断りきれなくて受諾されたとお聞きしました。
■ ■
西高にいらしてから、
生徒に日本一の日本史を教える!と、
毎晩勉強なさったそうです。
先生も勉強しないと、
いい授業はできません。
準備を入念になさいました。
私は罰あたりな生徒でした。
日本史を受験で選択せず、
せっかくの藤枝先生の日本史はさっぱりできませんでした。
先生ごめんなさいです。
■ ■
先生は、
だれもが認める、
♡仲良しご夫妻♡です。
なんと、
先生が20歳、
奥様が18歳の時からのお付き合いです。
現在先生が78歳、奥様が76歳、
60年の歳月を、
ず~っと♡としちゃん♡と奥様のことを呼ばれます。
すごいことです。
藤枝先生、
これからもず~っとず~っと♡としちゃん♡と
♡仲良し♡でいらしてください。
おめでとうございます。
■ ■
藤枝正道先生の御略歴
昭和12年1月1日 函館市にて出生
昭和30年3月 北海道函館東高等学校卒業
昭和34年3月 東北大学教育学部卒業
昭和35年3月 東北大学教育学部研究科修了
昭和35年4月 常盤木学園高校 赴任
昭和38年3月27日 御結婚
昭和38年4月 北海道函館商業高等学校 赴任
昭和39年4月 北海道旭川北都商業高等学校 赴任
昭和43年5月 北海道札幌西高等学校 赴任
昭和55年4月 北海道教育委員会に転出
この間幾つかの学校に赴任
平成元年4月 北海道天売高等学校 校長 平成3年2月に優秀賞受賞
平成3年4月 北海道函館東高等学校 校長
平成5年4月 北海道教育委員会 指導参事
平成7年4月 北海道札幌月寒高等学校 校長
平成9年3月 北海道札幌月寒高等学校 退官
平成9年4月 北工学園 札幌福祉医業専門学校 理事・校長
現在に至る
■ ■

