医学講座
HIFUハイフによるやけど2024
今日は2024年6月17日(月)です。
2024年6月7日に厚生労働省から通達が出ました。
医政医発0607 第1号
医師免許を有しない者が行った高密度焦点式超音波を用いた施術について
何のことかわからないと思います。
HIFUハイフのことです。
■ ■
美容医療によるやけどはめずらしいことではありません。
熱で『たるみ』をとるのですから、
当然、やけどのリスクがあります。
美容皮膚科でも、
美容外科でも、
エステでも、
セルフエステでもやけどがあります。
消費者安全調査委員会の報告書があります。
■ ■
今年、厚生労働省から出た通達です。
HIFUを人体に照射し、細胞に熱凝固(熱傷)を起こさせ得る行為は、医師免許を有しない者が行えば医師法第17条に違反する
医師が行ってもやけどのリスクがあります。
HIFUだけではなく、
脱毛レーザーによるやけど、
IPLやラジオ波などによるいやけどもあります。
メスを使わないから安全ではありません。
気をつけていただきたいです。

院長の休日
さくらんぼをいただきました2024
今日は2024年6月16日(日)です。
今年も山形のさくらんぼさんから、
さくらんぼをいただきました。
今年は昨年夏の猛暑でめしべが2つになる異常が出て、
壊滅的な被害が出ました。
今年はご遠慮したのですが、、、
送っていただきました。
申し訳ございませんでした。
■ ■
実はさくらんぼさんのお宅では、
昨年サクランボの木を伐採されました。
長いことお疲れ様でしたと感謝しながらの伐採でした。
ほんとうにお疲れ様でした。
私も今年70歳になるので、
仕事量を減らしています。
20年前に開業した時は49歳でした。
じじ医にしかできないことをしています。
いっしょに働いてくれる若い人に感謝しています。
今までにいただいた記録です。
2023年
2022年
2021年
2020年
2019年
2018年
2017年
2016年
2015年
2014年
2013年
2012年
2011年
2010年
2009年
2008年

一年に一度の集合写真です
医学講座
第50回日本熱傷学会(大阪)③
今日は2024年6月15日(土)です。
昨夜、日本熱傷学会から戻りました。
♡熱傷♡LOVE♡の先生たちのあついお話しをたくさん聞いてきました。
形成外科の先生たちとお話しができました。
日本熱傷学会50年の歴史を見て聞いてきました。
私も熱傷治療をしていた時代がありました。
大変でしたが医師として充実した日々だったと思います。
■ ■
2024年になって状況が変わってきました。
♡熱傷♡LOVE♡の若い先生が、
形成外科でも救急でも減っているようです。
熱傷治療は大変です。
今の医師働き方改革にはなかなか対応できません。
ちょっと油断すると患者さんが亡くなってしまいます。
それだけ大変な熱傷治療です。
■ ■
今年の50周年では、
重鎮の先生から大きな事故のことをたくさんお聞きしました。
2013年8月15日、兵庫県福知山市_花火大会の事故
2015年6月27日、台湾のテーマパークで発生した爆発事故
2019年7月18日、京都アニメの事件
世界で起きている戦争でも熱傷患者さんが出ます。
■ ■
若い先生たちの熱傷離れで、
重症熱傷の患者さんが発生した時に対応できない可能性が心配されています。
2015年6月27日、台湾のテーマパークで発生した爆発事故では、
日本からたくさんの応援が台湾に届きました。
とても感謝されたそうです。
台湾はとても医療レベルが高い国です。
でも熱傷治療の経験を積んだ医師が少なかったそうです。
■ ■
台湾の事故で活躍したのが、
台湾の現役を引退した形成外科医だったとお聞きしました。
今年70歳になるじじ医の私はとても元気になりました。
救急医療の現場でばりばり働くのは無理でも、
予備役として登録しておいて、
いざという時に熱傷治療に参加できます。
大災害はいつ起こるかわかりません。
じじ医は健康に気をつけて、
現役を引退しても活躍できるようにします。
とても有意義な♡第50回日本熱傷学会♡でした。
医学講座
第50回日本熱傷学会(大阪)②
今日は2024年6月14日(金)です。
昨夜、日本熱傷学会50周年記念式典がありました。
♡熱傷♡LOVE♡の先生たちとお話しができました。
教授職だった先生たちが退官され、
部長職だった先生が退職し嘱託医になったとお聞きし、
45年前のことを思い出していました。
■ ■
私が医師になった1980年頃は、
形成外科病棟で熱傷患者さんを診ていました。
点滴をして輸液をし、
尿量を測定して、
輸液量を管理して、
輸血もしていました。
形成外科で一番大変な仕事の一つでした。
■ ■
昨日の、
日本熱傷学会50周年特別企画
熱傷診療のこれまでとこれからで、
東京女子医大形成外科教授の櫻井裕之先生がご指摘されました。
形成外科病棟で熱傷患者さんを診ていた時代と、
救急の先生が全身管理をするようになった今では、
救命率に大きな差が出ています。
■ ■
私もその通りだと思います。
形成外科医がECMOエクモを使うことは無理です。
形成外科医は熱傷創面の管理とか、
機能再建は得意ですが、
急性期の管理は救急医と救急病棟が得意です。
重症熱傷患者さんは減っていますが、
京都アニメのような事件もあります。
熱傷治療は50年で素晴らしい進歩をしました。
医学講座
第50回日本熱傷学会(大阪)①
第50回日本熱傷学会(大阪)で大阪に来ました。
今日の最高気温は32℃です。
覚悟して来ましたが、
朝は22℃でした。
会場は大阪大学中之島センターです。
立派な施設です。
■ ■
私が医師になった1980年に第6回日本熱傷学会が札幌で開催されました。
私は熱傷のことは何もわからず、
25歳だった私は写真係として、
レディースプログラムという、
偉い先生の奥様の観光ツアーの写真係りをしていました。
■ ■
はじめての学会発表は、
1984年5月に東京で開催された、
第10回日本熱傷学会でした。
はじめての論文投稿は、
糖尿病を基礎疾患にもった老人熱傷の1例,
熱傷,10,237-243,1985でした。
日本熱傷学会にはたくさんの思い出があります。
■ ■
日本熱傷学会50周年には感慨深いものがあります。
熱傷はだれもが一度は経験する、
一番身近な外傷です。
50年の間に熱傷治療は進歩しました。
フィブラストスプレーという特効薬もできました。
あつい大阪に来てあつい熱傷治療を学びます。
今日の学会で聞いたことです。
会長講演
LOVE!熱傷診療
織田 順
大阪大学医学部救急医学教授
■ ■
日本熱傷学会 50周年特別企画
熱傷診療のこれまでとこれから
川上重彦 金沢医科大学名誉教授
猪口貞樹 東海大学医学部客員教授
櫻井裕之 東京女子医科大学形成外科学教室教授
佐々木淳一 慶應義塾大学医学部救急医学教授
日本熱傷学会重鎮の先生からあつい思いをお聞きしました。
医学講座
明日から第50回日本熱傷学会(大阪)
今日は2024年6月12日(水)です。
札幌の最高気温は28℃、
一気に真夏です。
私は明日から大阪で開催される、
第50回日本熱傷学会に参加するため、
神戸経由で大阪に行きます。
■ ■
ある先輩から、
熱傷(学会)まで行くの?
…と言われたことがありました。
私は恩師吉田哲憲先生に推薦していただき、
日本熱傷学会評議員にしていただきました。
札幌医大をクビになってからも熱傷学会に参加していました。
■ ■
下のHPのように、
熱傷学会に参加する先生たちは、
♡熱傷♡LOVE♡の、
超まじめな先生ばかりです。
お金もうけのかけらもありません。
大阪の最高気温も30℃です。
2日間あつい熱傷診療を勉強してきます。

医学講座
奈井江町ヒグマ駆除_猟友会への依頼断念
今日は2024年6月11日(火)です。
札幌は晴れのいいお天気です。
今日の北海道新聞の記事です。
Yahoo!ニュースにも載っていました。
奈井江・ヒグマ駆除辞退問題 町、猟友会部会への依頼断念
【奈井江】空知管内奈井江町の北海道猟友会砂川支部奈井江部会がヒグマ出没時などに対応する「鳥獣被害対策実施隊」の活動を辞退した問題で、町が同部会への依頼を断念したことが10日、分かった。町はヒグマの捕獲や捕獲後の殺処分を同部会に所属していない町内のハンターや他の民間事業者に委託する協議を進めている。
三本英司町長は北海道新聞の取材に対し「同部会にこれ以上無理強いはできないと判断した」と述べた。山岸辰人部会長(72)は「町が断念すると判断したなら、部会として問題はない」と話している。
同部会は報酬の低さなどを理由に5月19日に参加を辞退する旨の書面を町長宛てに送付。町は同24日に報酬を増額する方針を固め、協議の再開を模索していた。
町がまとめた2018~24年度のヒグマの捕獲頭数は、23年度が3頭で、19と20、24年度が各1頭。いずれも町が依頼したものではなく、主に奈井江部会とは別の町内のハンターグループが山中で遭遇し、駆除した。
一方、札幌市内で10日に開かれた道猟友会の総会では、一部支部から「(奈井江町の一件で)地域の格差が明らかになった。全道の状況を調べてほしい」といった要望も出た。出席した山岸部会長は、総会後の報道陣の取材に対し「ハンターの多くが疑問に思っていることで、至極当然だ」と述べた。(宇田川創良、岩崎志帆)


「町内のハンターや道内の民間事業者と協議を進めている」と話す三本英司町長
(以上、北海道新聞より引用)
■ ■
猟友会がクマ駆除辞退_北海道奈井江町
ヒグマ駆除報酬増額_奈井江町
北海道奈井江町ないえちょうです。
私は小学校3年生から6年生まで、
隣町の美唄市びばいし茶志内ちゃしないに住んでいました。
奈井江町にも行ったことがあります。
■ ■
私は単に報酬額の問題ではないと思います。
私の想像です。
日当:8500円
高校生のコンビニのバイトみたいな金額
猟友会を怒らせた原因があると思います。
私が小学生の時に奈井江町に北電の火力発電所が建設されました。
建設工事をしているところが、
茶志内の山からよく見えました。
残念なことに石炭火力発電所なので廃止されます。
奈井江町に予算がないのは理解できます。
■ ■
予算がないならもっと丁寧に話し合うべきです。
きっと山岸辰人部会長(72)が怒った原因があると思います。
日本全国でクマの被害が増えています。
北海道は横路孝弘知事の時代に決めた、
春グマ駆除の廃止がよくなかったと思っています。
1990年度の5200頭から
2020年度は1万1700頭に増えすぎました。
国の責任でクマを減らすべきです。

医学講座
第33回 YOSAKOIソーラン祭り_平岸天神7年ぶり11回目の大賞
今日は2024年6月10日(月)です。
昨日第33回 YOSAKOIソーラン祭りが終わりました。
なっちゅんさんのコメントのように、
雨で始まり雨で終わったYOSAKOIでした。
私はすぐ近くの大通公園に会場がありましたが、
自宅のTVで見せていただきました。
■ ■
国内外から255チーム
約2万5千人が参加されました。
すごいなぁ~
若い人たちの迫力に驚きました。
うちの奥さんが、
衣装がすばらしいと言ってました。
雨の中をすごい迫力でした。
■ ■
昨夜のYahoo!ニュースです。
YOSAKOI祭り閉幕、札幌 255チーム2万5千人が演舞
初夏の札幌市で5日間にわたって開かれた「YOSAKOIソーラン祭り」が9日、閉幕した。国内外から参加した255チーム約2万5千人が、大通公園など15会場を舞台に迫力ある演舞を披露した。
最終日は、鮮やかな衣装を身に着けた参加者が大通公園のステージや周辺でのパレードで鳴子を手に舞った。
YOSAKOIソーラン祭りは、鳴子を鳴らして踊る高知県の「よさこい祭り」と北海道の民謡「ソーラン節」を融合させ、1992年に誕生した。今年は33回目。

YOSAKOIソーラン祭りがフィナーレを迎え、パレードする踊り子=9日午後、札幌市(KYODONEWS)
(以上、Yahoo!ニュース、KYODONEWSより引用)
■ ■
札幌の平岸天神が7年ぶり11回目の大賞を受賞しました。
札幌市民として、
地元の平岸天神が優勝してくれてうれしいです。
それにしても、
TVで見ただけですが、ものすごい迫力でした。
これからもがんばっていただきたいです。
医学講座
領土問題と形成外科外来
今日は2024年6月9日(日)です。
第33回 YOSAKOIソーラン祭り最終日です。
北大形成外科は皮膚科の三浦祐晶教授のおかげで、
1978年に北大病院の診療科として独立できました。
当時、形成外科ができたのは東大、京大、北大の3大学でした。
今でも形成外科教授がいない国立大学医学部があります。
■ ■
日本形成外科学会から要望を出しても、
なかなか日本全国で医学部の学生全員に、
形成外科教育をできる体制にはなっていません。
私は医師になるために、
形成外科学は必要な学問だと思っています。
〇〇美容外科のようにお金もうけだけではなく、
キズをきれいに治す学問が必要です。
■ ■
大学病院や国公立病院に形成外科をつくるのは容易ではありません。
職員定数が決まっているので、
どこかを削らなければ形成外科を新設できません。
大変なのが外来スペースです。
ロシアとウクライナのようなものです。
外来スペースは各診療科の領土なので、
病院長でもなかなか分割できません。
■ ■
新病院建設の時などでなければ、
既存の病院に新しい診療科を作るのは難しいです。
1995年に市立札幌病院が桑園そうえんに移転しました。
この時にはじめて形成外科ができました。
私は新病院の設計図を北大に持って行き、
北大形成外科講師だった吉田哲憲先生と相談しました。
吉田先生は市立札幌病院事業管理者に昇進されました。
実に感慨深いものがあります。
医学講座
北大皮膚科の三浦祐晶教授のおかげです
今日は2024年6月8日(土)です。
札幌はいいお天気です。
事務方を大切にの続きです。
私が開業して20年、
形成外科医になってから44年です。
残念なことですが形成外科はまだまだ無名です。
形成外科の保険診療も知られてません。
■ ■
形成外科と宣伝
2007年6月3日、17年前の院長日記です。
北大の関連病院で、一番最初に形成外科を作っていただいたのが旭川厚生病院の菅野かんの院長先生です。北大の先生が旭川に出張して手術をしていました。
関連病院を増やすのも大変で、病院長の理解はもとより外科系の先生のご理解がなければできませんでした。形成外科ができるということは、自分の科の患者さんが減ることにもつながりかねません。患者をとられたら困ると思えば形成外科なんて作りませんし紹介もしません。
私が30代に勤務した函館中央病院では、外科の藤井正三院長が、自らたくさんの患者様を形成外科に紹介してくださいました。『形成外科で手術してもらった方がキレイに早く治るから…』と紹介してくださいました。
■ ■
恩師、大浦武彦先生が事務方を大切にしたのも、
後発組の形成外科を少しでも広めたいからでした。
北大病院に形成外科ができた1978年には、
北大と旭川厚生病院にしか形成外科がなくて、
手術待ちの患者さんがたくさんいました。
関連病院のご協力で少しずつ形成外科が増えました。
■ ■
形成外科ができるということは、
自分の科の患者さんが減ることにもなります。
患者をとられたら困ると思えば形成外科なんて作りません。
北大形成外科の発展につながったのは、
北大皮膚科の三浦祐晶教授が、
皮膚科外来のスペースを形成外科に分けてくださり、
積極的に形成外科を育ててくださったことが大きいです。
大浦武彦先生は三浦先生にいつも感謝していました。