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緒形拳さん

 平成20年10月10日、朝日新聞の天声人語です。
 歌舞伎役者のように虚空をにらんで、
 緒形拳さんは静かに息を引き取ったそうだ。
 臨終に立ち会った津川雅彦さんは、
 その時を
 「おれもあんな死に方をしたいと思うほど
 格好いい最期だった」とまとめた
▼危篤と聞いて病院に駆けつけると、
 71歳の名優は一度ベッドに座り直したという。
 ひとしきり仕事の話をし、
 「治ったらウナギ食いに行こうな。
 白焼きをな」。
 この誘い、
 津川さんの激励ではなく、
 緒形さんの言葉というから驚く。
 淡いユーモアがにじむ、
 骨太の幕である
▼照れ、愁い、狂気。
 どれも一流だったが、
 影をまとうほど輝きは増した。
 「楢山節考」で背負われ、
 山に捨てられる老母を演じた坂本スミ子さんは
 「演技でこなさず、役になりきるすごみを感じた。
 心では今も親子のままです」と語る
▼肝臓がんのことは、家族限りとしていた。
 遺作のテレビドラマ「風のガーデン」の撮影では、
 玄米食で半年の長丁場を耐えた。
 倉本聰さんの脚本は命を正面から描く。
 訪問医役の緒形さんには
 死を語る台詞(せりふ)も多い。
 万感を込めたであろう仕事を結び、
 制作発表の5日後に逝った
▼あったかい味の書をたしなんだ。
 絵手紙を交わした
 東京都狛江市の小池邦夫さん(67)のもとには、
 「でくのぼう」と朱書きした賀状がある。
 別の一葉には
 「牛はのろのろとあるく」
▼そんな墨跡の通り、
 武骨に、ゆっくりと大きく、
 役者道を全うした。
 坂本さんの感慨に寄り添えば、
 演じた役のすべてが本物の緒形拳である。
 最後はあの白髪で、
 優しげな背中で、
 秋の夕景の一部になりきった。
(以上、朝日新聞より引用)
      ■         ■
 フジテレビの風のガーデンで、
 拳さんが演じる、
 白鳥貞三先生の台詞(せりふ)があります。
 『生きているものは必ず死にます。』
 『死ぬ…ってことはね、』
 『生きているものの必ず通る道です。』
 白髪の老先生が、
 静かに話す言葉に重みがあります。
      ■         ■
 名優でも、
 医師でも、
 お金持ちでも、
 勝てない病気があります。
 私たちは、いつかは死にます。
 自分が死んだ後で、
 お金とか財産ではなく…
 何かを遺(のこ)したいと、
 50台も半ばになって考えるようになりました。
 偉大な俳優、
 緒形拳さんのご冥福をお祈りします。

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医学講座

日本美容外科学会(広島)③

 今年の日本美容外科学会は、
 広島の宮本義洋先生が会長でした。
 宮本先生は、
 広島で医療法人宮本形成外科を、
 ご開業なさっていらっしゃいます。
 奥様も形成外科専門医です。
 私より10歳も上の大先輩です。
      ■         ■
 広島大学医学部助教授(皮膚科)を歴任され、
 現在は、
 岡山大学医学部医学科形成再建外科の
 臨床教授をなさっていらっしゃいます。
 毎年、
 学会にご夫妻で参加なさいます。
 学会発表も活発にされている先生です。
      ■         ■
 毎年の学会には、学会長のカラーが出ます。
 今年の学会のテーマは、
 『安全で効果がある』でした。
 5つのシンポジウムのうち、
 4つのシンポジウムのテーマに
 『安全で効果ある美容外科治療を求めて』
 という題名がついていました。
 シンポジュウム1
 安全で効果ある美容外科治療を求めて:
 眼瞼形成術の長期結果と合併症
 シンポジュウム3
 安全で効果ある美容外科治療を求めて:
 フラクショナルレーザーの適応と効果
 シンポジュウム4
 安全で効果ある美容外科治療を求めて:
 レーザー治療の効果と合併症
 シンポジュウム5
 安全で効果ある美容外科治療を求めて:
 ノンサージカル治療(フィラー、Botox、自家脂肪注入など)
 の効果と合併症
      ■         ■
 確かに、どこの美容外科のHPを見ても、
 この手術でこんなにキレイになりますょ!
 とは、書いてありますが、
 こんな副作用がありますょ!
 とか、
 失敗したらこんなになっちゃいますょ!
 とは書いてありません。
 学会発表も、
 私はこの手術をしてこんな失敗をしました…
 なんてのはありません。
      ■         ■
 今回の学会で印象に残った発表は、
 大阪大学美容外科の
 矢野先生と高田先生のご発表でした。
 阪大は白い巨塔のモデルといわれる大学病院です。
 ここに美容外科講座があります。
 残念なことに、
 阪大に美容外科があることは‘宣伝’できず、
 患者さんの数は一年間で28人だったそうです。
 大手美容外科でしたら、
 半日で28人くらいになりそうです。
      ■         ■
 また、せっかく阪大病院に美容外科がありながら…
 保険診療しかできないために、
 自由診療で手術が必要な患者さんは、
 阪大以外のクリニックで手術をしているそうです。
 阪大で手術をしたのは、
 美容外科で受けた‘治療’によって、
 重篤な後遺症や合併症が残ってしまった方でした。
 阪大では、
 この後遺障害の‘手術’を保険診療で行っています。
      ■         ■
 阪大の矢野教授は、
 『患者の利益よりも、
 自分の利益を優先する、
 医師の根本的行動原理に問題がある。』
 と指摘なさっていらっしゃいました。
 また、
 何かが起こっても、
 それに対処ができる、
 基礎的な知識や技術の欠如した医師
 が問題であると話されました。
      ■         ■
 ヒアルロン酸の注入を、
 ‘安全だと思って’受けた結果として、
 大学病院で手術をしなければならなかった、
 お気の毒な方が学会で発表されていました。
 私が手術や治療をしても、
 副作用や後遺障害が
 ゼロということはありません。
 問題なのは、
 何かが起こった時に対処できる
 知識と技術力です。
 医師は何歳になっても勉強が必要だと感じました。
 宮本先生ありがとうございました。

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院長の休日

日本美容外科学会(広島)②

 私ははじめて広島へ来ました。
 会場のリーガロイヤルホテルから、
 原爆ドームはすぐ近くにあります。
 時間を作って、原爆ドームへ行きました。
 8月6日に、毎年、広島が映ります。
 私は、原爆ドームと平和記念公園が、
 川の傍(そば)にあることを知りませんでした。
      ■         ■
 元安川というキレイな川の横に、
 原爆ドームがありました。
 昨日の夕方もたくさんの市民や観光客が来ていました。
 昨日は、ホテルでたくさんの結婚式もありました。
 今は、平和に暮らしている広島市民にも、
 被曝二世や三世がたくさんいると伺いました。
 ここに来て、
 平和の大切さや、
 原爆の悲惨さがよくわかりました。
      ■         ■
 広島在住の方から、
 広島人の気質について伺うことができました。
 原爆で一瞬にして、すべてを失った広島。
 その後も、
 いつ白血病などを発症するかわからない不安。
 生き残った人にも、
 ヤケド痕のケロイドが残り、
 生涯、その痒みや痛みに苦しんだ被爆者。
      ■         ■
 昭和20年代には、
 元気だと思われた人が、
 ある日突然、具合が悪くなり、
 そのまま亡くなってしまう…
 という方が大勢いらしたそうです。
 広島人というと、
 『放射能が残っている』と誤解を受け、
 他人から避けられた嫌な思い出もある。
      ■         ■
 広島の人は、
 原爆を落とされて、
 すべてを失い、
 生きていても、
 不安に駆られていました。
 そんな広島人に勇気を与えたのが、
 野球だったそうです。
 広島の人は、
 野球をして応援をすることで、
 市民が一体となって、
 戦後を生きて来られたと伺いました。
      ■         ■
 私たち日本人は、
 一度は広島へ来て、
 戦争や原爆の悲惨さを考えるべきだと思いました。
 高校の修学旅行は、
 京都や奈良、
 ディズニーランドや海外なんて行かないで、
 広島に来るべきだと思いました。
 美容外科学会で広島へ来て、
 平和の大切さと、
 原爆の悲惨さ、
 日本人として、
 核廃絶を訴える重要性を認識しました。

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医学講座

日本美容外科学会(広島)①

 広島の日本美容外科学会へ来ました。
 今日は3連休の初日。
 札幌からの飛行機は満席でした。
 早い便に搭乗しようと思いましたが、
 私が取れたのはお昼の便でした。
 そこで、私は空席待ちをするために、
 朝6:00発のJRに乗りました。
      ■         ■
 新千歳空港駅についたら、
 地下のJR駅から、カウンターがある2階まで、
 混んでいたエスカレーター横の階段を、
 ダッシュで駆け上がりました。
 54歳になりましたが、
 毎日、階段で鍛えたので、
 ANAのカウンターには息も切れずに着けました。
      ■         ■
 早い便に変更していただくために、
 ここで空席待ちのカードをいただきました。
 私は5番目でした。
 午前中の東京行きは全便満席。
 5人がキャンセルされたらしく…
 私は運良く7:30発のANA50便に乗れました。
      ■         ■
 東京で広島行きに乗り換えです。
 東京10:05発、ANA675便。
 広島着が11:33頃でした。
 学会会場のリーガロイヤルホテルに着いたのが、
 12:30過ぎでした。
 乳房インプラントのランチョンセミナーを
 半分だけ聴くことができました。
      ■         ■
 発表はカナダの先生でした。
 もちろん英語です。
 NHKのビジネス英語で鍛えているので、
 英語の講演も大丈夫です。
 毎日の勉強が役に立っています。
 これから医学を志す学生さんは、
 英語を勉強することをおすすめします。
 聴けるだけで十分です。
 私も昔はわかりませんでした。
 NHKラジオ英語会話のおかげです。
      ■         ■
 その後は、レーザーの発表を聞きました。
 今年の特徴は、刺青のレーザー治療の発表です。
 札幌美容形成外科では刺青のレーザー治療をしていません。
 札幌スキンケアクリニックの、
 松本敏明先生をご紹介しています。
 18歳~20歳頃にいれた刺青を、
 25歳~30歳近くになって、
 『取って欲しい』と来院される女性が多いようです。
      ■         ■
 取らなければならないのは、
 結婚のため…
 子どもができたため…
 男性でしたら、
 自衛隊に入隊するため…
 など切羽詰った理由で受診されるそうです。
      ■         ■
 レーザーだけでキレイに治ると思うのは間違いです。
 レーザーで黒い色は取れても、
 白く抜けた痕が残り、
 刺青が入っていたことがバレてしまいます。
 松本敏明先生は、
 たとえキズが残っても、
 刺青があったことを残さないのが大切だと
 コメントを述べられていました。
      ■         ■
 一度、刺青をいれてしまうと、
 キレイに元通りに治すのはほぼ不可能です。
 アートや
 おしゃれは
 別の方法でして、
 刺青だけは入れないで欲しいと思います。
 『若気の至り』の代償は、
 時間もお金もかかり、
 キズ痕も残るのです。
 マスコミなどで、
 一度取り上げていただきたい題材です。

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白井幸吉さん

 私が尊敬する親しい方が、
 お亡くなりになりました。
 享年65歳でした。
 身内や親しい人の死は、
 言葉では表現できないほど辛いものです。
 その方は、
 私の人生の先輩であり、よき相談相手でした。
 医師ではありませんが、
 会社を経営されていました。
      ■         ■
 今日は、帯広で、お通夜に参列しました。
 美容外科学会へは、
 明日、朝の飛行機で行くことに変更しました。
 親しい人の死はとても辛いものです。
 私の親しい方は、
 白井幸吉(しらいこうきち)さんです。
 帯広市の方です。
 私が帯広厚生病院形成外科に勤務していた時に
 知り合いました。
      ■         ■
 白井さんご自身も、
 ご家族も、
 懸命に病魔と闘いました。
 残念なことに、
 お亡くなりになってしまいました。
 私は白井さんに、
 経営のこと、
 自分自身のことなどを相談していました。
 白井さんからは、
 医療について、
 ご自身の病気について相談を受けました。
      ■         ■
 白井さんの病気は肺ガンでした。
 昨年、見つかり、
 相談を受けた私は、
 私が信頼する先生にお願いし、
 その先生から、
 主治医となられた、
 黒沼幸治先生をご紹介いただきました。
 考えられる最高の治療をしていただきました。
 そのおかげで、
 昨年の発症から、
 奇跡的とも言える回復をなさいました。
      ■         ■
 白井さんは、先生に、
 『私は事業をしています』
 『他人に迷惑をかけることは、できません』
 『私は自分があとどれだけ生きられるか、
 できるだけ正確に知りたいのです』
 こう言われると、
 医師としても、
 できるだけ正確に話さないわけにはいきません。
      ■         ■
 白井さんは、
 担当の先生と治療法について話し、
 自分でも医師以上に勉強をして、
 情報を集めて、治療を受けられました。
 医療者として、
 ほんとうにすごいことだと思いました。
 治療の効果が出て、
 肺ガンの陰が消える程度まで回復され、
 その間に、
 ご自分の事業の後継者を見つけられました。
      ■         ■
 これから残された時間を、
 奥様と過ごそうと考えられていた時に、
 ガンが再発しました。
 9月には私と食事をするほどお元気だったのに、
 わずか2週間余りで容態が急変し、
 一昨日、旅立たれてしまいました。
 私は平成20年2月6日に書いた、
 北大第一内科准教授でいらした、
 山崎浩一先生のことを思い出しました。
      ■         ■
 山崎先生と同じように、
 白井さんも最後の1%まで望みを捨てずに、
 担当の先生を信じて治療を続けられました。
 入院先のNTT東日本札幌病院呼吸器内科
 黒沼幸治先生と看護師の皆様には、
 大変お世話になりました。
 最期までよくしていただきました。
 白井さんもお幸せだったと思います。
 心からご冥福をお祈りいたします。

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医学講座

風のガーデン

 今日からフジテレビ系で、
 『風のガーデン』がはじまりました。
 私は倉本聰さんのファンです。
 富良野へ毎年行くのも、
 北の国から以来です。
 私が結婚した、1981年(昭和56年)に、
 北の国からがはじまりました。
      ■         ■
 新婚で、釧路労災病院形成外科へ赴任しました。
 毎日夜遅くまで仕事をしていた病棟婦長が
 金曜日は楽しみにしているTVがあるから、
 22:00に間に合うように帰りたいと言われたのを
 記憶しています。
 それだけ、忙しい病院でした。
 北の国からがはじまったのが、
 1981年10月でした。
 今から27年前です。
      ■         ■
 今日からはじまった、
 風のガーデンは麻酔科医が主人公です。
 番組HPの記載です。
 東京の有名医大病院の麻酔科准教授・白鳥貞美(中井貴一)。
 死期の迫った患者を楽にする
 緩和医療(かんわいりょう)のエキスパートでもある貞美は、
 麻酔学界の権威である。
 麻酔科は手術中の痛みをとるために、
 さまざまな薬剤を使って麻酔をかけるのが仕事です。
 麻酔薬にはもちろん麻薬も含まれます。
      ■         ■
 ガンの痛みから、
 患者を救ってくれるのが、
 緩和医療(かんわいりょう)です。
 麻薬であるモルヒネが使われます。
 このモルヒネの使い方が、
 この20年近くで大きく変わりました。
 古くからあるモルヒネが、
 使い方によってとてもよいことがわかりました。
 その他にフェンタニルという麻薬もあります。
 このフェンタニルにはテープになった貼り薬もあります。
      ■         ■
 麻酔科では、手術中の痛みの他に、
 手術後の痛みの管理もします。
 手術で使用した硬膜外麻酔という麻酔の、
 細い管から、麻薬を入れることで、
 手術後の痛みが劇的に緩和されます。
 麻酔科は、
 痛みをとるエキスパートです。
 麻薬を含めた薬を上手に使えるのが麻酔科医です。
 病院の中で一番多く麻薬を使い、
 麻薬の使い方が上手なのが麻酔科医です。
 私も麻酔科研修を受けた時に、
 麻薬免許証をいただきました。
      ■         ■
 第一回目の放送を見た感想です。
 富良野のガーデンがキレイでした。
 緒形拳さんの演技も最高でした。
 まさか亡くなってしまうとは、
 拳さん、ご自身も考えてもみなかったことと思います。
 心からご冥福をお祈りいたします。
 今日のドラマの麻酔科医は、
 ほんものの麻酔科医でした。
 ただ、手術や仕事を終わった後で、
 糊のきいたYシャツを着て、
 ネクタイをしていたのは現実離れしていました。
 手術の時に着ている、
 青い術衣も、実際にはもっとヨレヨレです。
      ■         ■
 医療指導をなさったのが、
 旭川医大麻酔科の岩崎寛教授だと、
 ドラマの最後にちょっとだけ出ました。
 岩崎先生は、
 札幌医大麻酔科のご出身で、
 私が麻酔学を実際に習った先生です。
 上富良野のご出身だったと記憶しています。
 岩崎先生のご指導があったので、
 医師が見てもリアルな手術室だったのだと思います。
 来週からの番組も楽しみです。

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医学講座

裁判の傍聴

 昨日、診療の合間に、
 高橋智先生が担当されている、
 医療裁判を札幌地裁で傍聴してきました。
 先生の日記に書かれていたので、
 勉強のために行きました。
 私も知らなかったのですが、
 裁判は公開が原則。
 裁判所一階に大学の学生掲示板のようなボードがあり、
 その日に行われる裁判のプリントが貼ってあります。
 何階の○法廷で何時から○○の裁判があると記載してあり、
 それを見て傍聴に行けます。
      ■         ■
 はっきり言って衝撃的でした。
 被告席は訴えられた側の弁護士さんと、
 手術を担当した先生でした。
 カルテより分厚い、
 膨大な資料ファイルを弁護士さんが準備されて、
 それを先生が説明していました。
 手術記録の大切さと、
 カルテ(診療録)の大切さがわかりました。
      ■         ■
 医療に関する裁判だったので、
 医学生が解剖学を勉強する、
 解剖の教科書のカラーコピーがありました。
 そのコピーと手術記録から、
 どこにどうやって麻酔をして、
 手術を進めたかを説明していました。
 私が傍聴できたのは、
 被告側の証人尋問だったので、
 被告側の先生が説明をしていました。
      ■         ■
 あってはならないことですが、
 私が今までに勤務した総合病院で、
 医療訴訟を抱えていない病院はありませんでした。
 明らかに医療側のミスと言えるものから、
 誰が手術をしても、
 今の医学レベルでは避けようがない、
 不可抗力のような事故までありました。
      ■         ■
 厚生労働省は、最近になってようやく、
 医療安全などに力を入れるようになってきました。
 ところが、国がやることと言えば、
 マニュアル作りなどの政策ばかり。
 これで本当に事故が減るのだろうか?
 と疑ってしまいます。
 事故は、
 ほんの一瞬の判断ミスから起こります。
 事故を防ぐためには、
 経験や教育が大切です。
 同じようなミスは誰でも起こす可能性があります。
      ■         ■
 過去に起きた事故は、
 これからも起こる可能性があるのです。
 経験を積んだ医師や看護師は知っています。
 残念なことですが、
 そのような事故を公表する施設や先生は少ないのです。
 裁判記録とか判例を
 大学の授業や学会で教えることもありません。
 昨日、裁判を傍聴させていただいて…
 医学生や医療関係者は、
 一度は医療裁判を傍聴すべきだと思いました。
 また過去の裁判記録を勉強して、
 同じような過ちを繰り返さないようにすることが、
 医療側に必要だと感じました。

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医学講座

性器の手術について

 見えないところで、
 見せることもない部位。
 なんでそんなところ…
 手術なんかするの?
 という人は幸せな方です。
 人に相談もできず、
 悩んでいる人は、
 男女を問わずいらっしゃいます。
      ■         ■
 男性でしたら包茎の手術です。
 仮性包茎なんて手術する必要ない!
 と堂々と生きていらっしゃる方は、
 生涯そのままで、構いません。
 ただ、
 どんなに社会的地位が高くても、
 どんなにお金持ちでも、
 気になる人は気になります。
      ■         ■
 スポーツクラブや
 ゴルフ場の浴室。
 温泉でもそうです。
 タオルで隠す人は、
 だいたい包茎の人です。
 日本人だけではなく、
 外国人にも包茎の人がいます。
 海外でも性器の悩みはあるようです。
      ■         ■
 女性で多いのが小陰唇の肥大です。
 その程度も人によってさまざまです。
 他人がどうであろうと… 
 自分が気になってイヤでしたら、
 手術で改善できます。
 必要なのは、
 勇気とお金だけです。
      ■         ■
 他院の手術メニューに、
 クリトリス包茎という言葉が出てきます。
 正式な医学用語ではないと思います。
 もともと‘正常’な女性の陰核は、
 包皮に包まれているものです。
 ですから、無理に手術をすることはありません。
      ■         ■
 ところが…
 小陰唇が肥大して大きな方の中には、
 小陰唇だけを切除しても、
 クリトリスから上の部分が、
 大きくはみ出してしまう方がいらっしゃいます。
 そうすると、
 小陰唇を切除したことにより、
 かえって目立つようになります。
      ■         ■
 そういう場合には、
 クリトリス周囲とその上部の皮膚を切除します。
 これが‘クリトリス包茎’の手術です。
 この部分を手術すると、
 手術時間が余計にかかります。
 手間もかかります。
 一番難しいのが、
 性感を損ねないように…
 神経を傷つけないように…
 丁寧に手術操作をすることです。
      ■         ■
 ある意味…
 男性の包茎手術より難しい手術です。
 人によって皮膚の余り具合が異なります。
 見られない場所ですが、
 見られた時に…
 わからないように、
 キレイに作るのが難しい部位です。
 私はよく、
 『芸術祭参加作品』と言います。
 そのくらいキレイに作ります。
      ■         ■
 この手術で…
 幸せになってほしいなぁ…
 と考えながら手術をします。
 キレイに完成した時は嬉しいものです。
 札幌美容形成外科では、
 小陰唇の手術に追加料金なしで、
 クリトリス包茎の手術を行っています。
 他院で、追加○○万円と言われた方は、
 ちょっと考えてご相談にいらしてください。

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昔の記憶

はじめての子ども

 さくらんぼさんから、
 平成20年10月3日の日記、
 赤ちゃんが生まれたら…
 にコメントをいただきました。
 初めての子は 神経質になりがちです。
 哺乳瓶はミルトンで消毒したり
 紙おしめを嫌がる息子だったので
 私は布おしめで 育てました。
 さすがに
 私も主人も初めて自宅でお風呂に入れる時は
 コワくて 父や母に入れてもらいました。
 一人で頑張ってるお母さんもいますが、
 お父さん お母さんがいらっしゃるなら
 少し甘えて 手伝ってもらってください。
      ■         ■
 小児科の先生は別として、
 医学部で習った知識も、
 自分の子どもには役立ちませんでした。
 (というより忘れていました…)
 私は形成外科医だったので、
 唇顎口蓋裂の子どもさんの術後管理や、
 アザのレーザー治療をした子どもさんの管理、
 ヤケドの処置なんかは得意でしたが、
 おしめやミルクは不得意分野でした。
      ■         ■
 わが家でも、
 哺乳瓶はミルトンで消毒してたように思います。
 ネットで検索すると、
 今はレンジでチンでしょうか?
 よく考えてみると…
 自然界にいる哺乳動物では、
 消毒しなくても
 ちゃんと病気にならずに育ってますね。
 過度に神経質になる必要はないように思いますが…
 レンジなどの熱で消毒するのが、
 いいのでしょうか?
      ■         ■
 わが家は、9月生まれだったので、
 子どもが寒くないようにと…
 とにかく着せすぎ!
 部屋をあたたかくしすぎました。
 その結果、赤ちゃんの顔や頭に…
 たくさんの‘あせも’ができました。
 皮膚科も勉強したはずなのに…
 こんな状態が、はじめての子どもでした。
      ■         ■
 これからお母さん、お父さんになる人は、
 さくらんぼさんのご指導のように、
 ご両親にお手伝いしていただくとよいと思います。
 近くにご両親がいない方は、
 私のように孫が欲しくてもいない、
 じいちゃん
 ばあちゃんを見つけて、
 相談なさるとよいと思います。
 海外では、
 このような子育て支援ボランティアがいることを、
 何かで見た記憶があります。
 日本にも
 子どもが育てやすい社会が来ると、
 ほんとうの少子高齢化対策になりますね。

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昔の記憶

忘れられない患者さん

 私が医師になったのが、28年前でした。
 昭和55年、1980年です。
 私は札幌医大を卒業して、
 北大形成外科へ入局しました。
 実は…
 北大形成外科をよく知らずに…
 北大へ来てしまいました。
      ■         ■
 私は、形成外科というのは、
 事故のキズをキレイに治したり、
 顔や体の表面を治す外科だと思っていました。
 それは、間違ってはいませんでした。
 私の予想外だったのは、
 皮膚ガンの診断と治療でした。
 北大形成外科は、
 もともと皮膚科から独立したので、
 皮膚ガンの診断、治療(手術や抗癌剤治療)も
 形成外科でしていました。
      ■         ■
 悪性黒色腫(あくせいこくしょくしゅ)
 通称:メラノーマ
 というホクロのガンがあります。
 今でも難しいガンの一つです。
 皮膚ガンの中では、
 もっとも怖いガンの一つです。
 足の裏のホクロが
 突然黒く大きくなってきたら要注意です。
 リンパ節や肺に転移して、
 亡くなってしまう方もいらっしゃいます。
      ■         ■
 私が、免許取立ての新米医師の時に、
 このホクロのガンができて、
 北大形成外科にいらした患者さんが
 いらっしゃいました。
 残念なことに、
 その方は外来にいらした時に、
 ガンがかなり大きくなっていました。
 その上、リンパ節にまで転移していました。
      ■         ■
 本人はガンだと知っていましたが、
 まさかそんなに重体とは思っていませんでした。
 混んでいた北大病院でも、
 大至急手術が必要なので、
 最優先で入院待ちとなりました。
 入院前に、全身の検査をします。
 もちろん会社も休まなくてはなりません。
 本人には、
 『○○さん、大至急入院して手術が必要です。』
 『会社も3ヵ月以上休まなくてはなりません。』
 外来チーフの先生が説明しています。
      ■         ■
 『冗談じゃない、こんなおできで3ヵ月も入院できません。』
 『私は8月に大事な国家試験がある、そのためにずっと勉強してきました。』
 本人は黒いおできができたので、
 それを切ってもらえば治ると思っています。
 本人への説明の後で、
 奥さんへの説明がありました。
 『悪性のガンです。』
 『手術をしても、リンパ節に転移があるので、
 進行が早い方もいらっしゃいます。』
 『早い方は、6ヵ月程度で…』
 と上の先生が説明しています。
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 新米医者の私は…
 まだお若いのに、ガンになって死んでしまう…???
 とてもやり切れない気持ちになりました。
 その方は、北大形成外科へ入院して手術を受けました。
 リンパ節郭清(かくせい)の手術もしたので、
 手術の後はパンパンに腫れていました。
 その上、抗癌剤治療も受けていました。
 ふつうの人でしたら、手術だけで音をあげます。
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 驚いたことに、
 その患者さんは、
 手術後にパンパンに腫れて、
 しかも吐き気がすごい抗癌剤治療まで受けながら、
 病室で毎日消灯まで、
 国家試験の受験勉強をしていました。
 私は、
 こんなに勉強しても…
 余命6ヵ月とか言われていたのに…
 と思いながら、
 上の先生に指示された抗癌剤の点滴をしていました。
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 病理検査の結果も悪性黒色腫で、
 リンパ節にも複数の転移が見つかりました。
 今でも救命が難しいケースだと思います。
 ところが、
 その患者さんは見事に国家試験に合格。
 そのパワーに驚かされたのか?
 ガンも再発せず、
 私が知っているだけで、
 その後15年はお元気でした。
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 私は30年近くたった今でも、
 その患者さんのことが忘れられません。
 人の命は、はかないものですが、
 医学でも説明できない奇跡も起こります。
 1%でも可能性があるのなら、
 最後まで望みを捨てないというのは、
 とても大切なことのように思います。
 私が同じ立場だったら、
 病室で勉強ができるかどうか?は
 わかりませんが、
 主治医を信じて治療を受けると思います。

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