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医学部志望

 昨夜、知人のお嬢さんで、医学部志望の学生さんとお話しする時間がありました。誕生祝いのお花までいただき、心が和みました。この場を借りて、お礼申し上げます。ありがとうございました。
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 そのお話しの中で、いくつか私なりの考えを述べたので、整理する意味で、日記に書いてみます。
 大学の教員を4年間しました。最後は追い出されるように大学を辞め、辛い思いをしましたが、楽しい想い出もたくさんあります。
 一番の想い出は、延べ400人近い学生さんとじかに話しをし、実習を指導し、形成外科について私の考えを伝えられたことです。さまざまな学生さんがいらっしゃいました。
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 医学部は他学部と比べると、偏差値が高く、今も昔も難関学部の一つです。
 最近は入試制度が変わり、高校の成績が良ければ、推薦入学で入る学生さんもいます。
 高校の成績と、大学での面接・小論文程度で早々と合格が決まります。
 大学側も、慎重に判定していると思いますが、中には成績が良かったので『推薦で入っちゃった!』という感じの学生さんもいました。
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 明確な志望動機がなく、成績が良かったので、なんとなく医学部に入っちゃった人は苦労します。
 医学部は、授業時間数も多く、他学部と比べて学生時代の自由な時間がありません。とにかく覚えることがたくさんあります。
 試験も多く、進級判定も厳しいため、ちょっと油断するとすぐに留年です。目的がはっきりせずに入学した学生は、在学中に留年を繰り返し、退学になる人もまれにいます。
 最後には医師国家試験があります。司法試験ほどではないと思いますが、勉強しないと受かりません。卒業しても国家試験に受からないと、何の役にも立たないのが医学部です。
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 解剖学実習があります。最初は骨学(コツガク)といって、本物のヒトの骨をスケッチして、骨の構造や、骨についている筋肉、骨の穴を通る神経や血管を覚えます。
 次に、実際にご遺体を解剖して、人体の構造・機能を学びます。大学によって異なりますが、解剖体の関係もあって数ヵ月は週に何回も解剖実習です。
 怖いとか、気持ち悪いという感覚は、あっても最初だけです。覚える膨大な知識と、口頭試問による試験のために毎日勉強です。
 細い神経や血管を剖出(ボウシュツ)するのもかなり疲れる作業です。剖出とは脂肪などの中から剥がしてキレイに出すことをいいます。
 私はキレイに出すのが得意でした。時間がかかってもコツコツと解剖していました。
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 こうした医学部らしい授業が、早い大学で1年生から、遅い大学でも2年生には始まります。
 私の頃は、どの大学でも最初の2年間は、まるまる一般教養でしたので、この時に運転免許を取得したり、クラブ活動をしたりする時間がありました。
 現在は、国家試験の問題数も増え、専門科目がはじまる時期が早くなってきています。
 ゆっくり考える暇もなく、学生生活を送っていると、臨床実習がはじまります。
 最近の臨床実習では、OSCE(オスキー)という、模擬患者さんとの面接試験まであります。
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 OSCE(Objective Structured Clinical Examination:客観的臨床能力試験)、通称オスキーと呼ばれます。
 医学生に求められる臨床能力としては、①医療面接②身体診察③得られた情報から問題点を同定④必要な検査の選択と実施⑤検査結果の解釈⑥適切な治療計画の立案⑦インフォームド・コンセントの実施、などがあります。
 各大学でのOSCE実施状況では、医療面接、胸部診察、心音・呼吸音聴診、腹部診察、神経診察、バイタルサイン等が多く出題されています。
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 最初からできる学生はいません。話しをするのが苦手でも、訓練すればできるようになります。
 ただ、何のために自分は医師を選んだかが明確でない人は苦労します。
 何年も浪人して苦労して入学した学生。他大学を卒業後に一念発起して医学部を目指した学生は精神的にも強く頑張りがききます。
 以前にも書きましたが、浪人は無駄ではありません。精神力を鍛えるのは、不安に思いながらも、毎日努力する予備校時代だと思います。
 来年の栄冠を目指して、健康に気をつけて頑張っていただきたいと、心から応援しています。

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医学講座

鼻毛の白髪(シラガ)

 3月14日に鼻毛のレーザー脱毛をしてもらい、快適に過ごしていました。
 レーザーで脱毛してもらうと、毛が焦げた(コゲタ)臭いが鼻に残り、半日くらいは何を嗅いでも、毛の臭いがします。
 そのうち臭いはなくなり、鼻毛が伸びてこなくなります。
 レーザーを照射する時に冷却ガスが出るため、少しびっくりしますが、痛みは軽度で、この位で鼻毛が伸びてこないのでしたら快適です。
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 3月にレーザーを照射してから、しばらく快適だったのですが、夏頃から少しずつ気になるようになりました。
 私は、オッサンなので、毛が生える周期が長いのだと思います(一般的に若い人ほど早く毛が伸び、レーザーの回数も多く必要とします)。
 先日、ヒマな時間があったので、看護師に頼んで2回目の鼻毛レーザー脱毛をしました。
 前回に照射してくれたのと同じ看護師です。
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 何回か照射してくれた後で、
『先生、白髪(シラガ)があってレーザーが反応しません!』と言われました。
 あぁ、白髪は反応しないよねぇ~。と軽く流したものの、正直なところ『鼻毛まで白髪になって、トシだなぁ~』と思いました。
 この半年くらいの間に、『信頼の絆(キズナ)』が切れたりして、心労が重なり、めっきり白髪が増えました。
      ■         ■
 高校2年生の時に、倫理社会の先生で奥村先生という先生がいらっしゃいました。哲学者風の立派な先生でした。
 私は倫社は得意科目ではなく、カルトルもショーペンハウアーもデカントもすっかり忘れてしまいました。
 ただ一つだけ覚えているのは、奥村先生が夏休み明けの授業で、『鼻毛が白髪になってショックだった』と話されていたことです。
 当時は、鼻毛も白髪になるのかなぁ~程度にしか考えていませんでしたが、いざ自分の鼻毛が白髪になって、『レーザーが反応しません』と言われて、その奥村先生のお気持ちがよくわかりました。
 こんなことしか覚えていなくて、奥村先生ごめんなさい。
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 年齢を感じる時は、人によってさまざまです。私のように鼻毛の白髪で感じる人はマレだと思います。
 年齢とともに最初に来るのが視力の低下です。幸い私は裸眼で新聞も論文も読めますが、手術の時は眼鏡を取替え、ルーペや顕微鏡を使います。
 ルーペや顕微鏡は30歳台の若い頃から使っていますし、手術時の眼鏡も20歳台からです。慣れている昔のままです。
 一番年齢が出るのは、手術や仕事に対するヤル気のように思います。今となっては、12時間も24時間もかかるような手術は‘絶対’にできません。
 シワや『たるみ』は年齢を重ねてからでも取れますが、鼻毛は白髪になるとどんなレーザーでも抜けません。
 鼻毛の脱毛をお考えの方は、白髪にならないうちにお薦めします。

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札幌西高3年7組

 昨夜、高校3年生の時の仲間、男ばかり12人と担任の先生が集まり、クラス会がありました。
 高校卒業以来、35年ぶりに会った昔の仲間もいて、楽しい時間を過ごしました。例外なく、全員どうみてもオッサンでした。
 メタボリック症候群かなぁ~?と思われる体型の仲間もいました。
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 昨夜集まった仲間は、勉強ばかりしていたというより、西高の自由を謳歌していたような仲間です。
 現在の立場は、それぞれ社会的に重要なポジションに就いている人が多く、いろいろな話しを楽しく聞きました。
 進学した大学はさまざまで、東大・慶応・早稲田をはじめとして、有名大学へ進んで、偉くなっている仲間もたくさんいました。
 同窓会のよい所は、どんなに偉くなった仲間でも、昔のまま『おぉ!○○、お前!』と呼び合えることです。
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 昔の仲間と会って思うことは、『人柄、性格、声、字』は昔と変わらないなぁ…。ということです。
 昔から、何となくボ~っとしているようで、よく人の世話をしていたやつは、その才能を認められて、大会社の人事労務担当の部長になっていました。そいつはクラス委員でした。
 適材適所とはよく言ったものです。世の中はうまくできているなぁ~と思いました。
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 真面目で、しっかり勉強していたやつは、今も研究者として活躍していました。
 自分がした研究が、後世の役に立つように、何年先でもよいから評価されるような研究をしたいと言っていました。
 自由が好きだったやつは、会社勤めが性に合わないので、自分で事業を始めたと話していました。
 私と同じ医師になったやつは、小児の腎臓病の専門医になり、日本で一番多くの小児腎移植をしていると話してくれました。
 寮に住んでいて、毎日たくさんの悪友が部屋に集まっていたやつは、今でも人当たりが良く、地域の社会教育主事として活躍しています。
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 家族構成もさまざまで、大部分の友人は子供がそろそろ独立する頃でした。
 一番元気なやつは、下の子供がまだ6歳なので、子供が成人するまでは、現役でバリバリ働くと言っていました。
 昨夜感じたのは、進学した大学、就職した会社、現在の社会的地位なんていうのは、その人の幸せとは関係ないなぁ~ということでした。
 自分が幸せかどうかは、どのくらいお金持ちだとか?どんな立派な会社で偉くなっているか?とかは関係ないと思いました。
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 自分が好きなこととをして、それが社会の役に立って、後世に評価されるような仕事ができて、自分が満足できる。
 これが、その人が幸せかどうか?のポイントのような気がしました。
 担任だった藤枝正道先生は70歳の古希になられたそうです。道立高校の校長を定年退職された後も、専門学校の校長先生として活躍されていらっしゃいます。
 西高の時から、女生徒に圧倒的な人気があった先生です。今もロマンスグレーの素敵な先生でした。
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 札幌西高等学校は自由な雰囲気の学校でした。
 生徒の自主性を尊重する学校でした。昭和48年に制服が自由化され、その年に私は卒業しました。
 西高の時に、医学部を目指しましたが、まさか美容外科医になるとは夢にも思っていませんでした。
 現在の私は、好きな仕事をさせていただき、元気に働いています。何年後かにまた仲間と会ったときにも、元気に働いていたいと思います。

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昔の記憶

53歳になりました

 今日は私の53歳の誕生日です。
 2006年11月11日の日記にも書きましたが、私は昭和29年(1954年)9月8日に市立札幌病院で生まれました。当時の市立札幌病院は札幌市中央区北1条西9丁目にありました。
 母親の実家が、北1条西10丁目にあったので、市立札幌病院が選ばれたのだと思います。
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 当時の写真を見ると、私の祖母が初孫の私を嬉しそうに抱いているのが写っています。
 祖母は平成10年に亡くなりましたが、私のことをとてもかわいがってくれたのを、よく覚えています。
 昭和29年の札幌は、まだ舗装されていない道路が多く、石山通りと呼ばれている、西10丁目通りも未舗装の砂利道でした。
 現在もある、桜木モータースという自動車修理工場の裏に、祖母が住んでいた2軒続きの貸家がありました。
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 今からは想像できないと思いますが、札幌市内にも馬が1000頭もいて、馬車を引っ張り働いていました。
 私が子供の頃は、春先に、乾燥した馬糞が風に乗って舞う、「馬糞風(ばふんかぜ)」が当時の市民の悩みでした。
 馬のしっぽの下に受ふん装置の装着を義務付ける条例が1954年に制定されています。のどかな時代に思えますが、馬糞の臭いは強烈でした。今でも、札幌競馬場厩舎の側を通ると、風向きによって馬糞の臭いがします。
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 子供の頃の私は丈夫な方ではなく、よく病気をしていたようです。
 母乳もあまり飲まなく、苦労して育てた様子がアルバムから伺えます。
 父親は、現在の札幌市手稲区金山にあった三菱砿業の結核療養所に勤務する薬剤師でした。
 当時の手稲は札幌郡手稲町と言い、現在の手稲本町に役場がありました。
 手稲金山には金を掘る鉱山があったそうですが、私が子供の頃にはすでに閉山していました。
      ■         ■
 鉱山の遺産として、ずり山があり、そこへ行くと光った石がありました。父親にその光った石をとってもらったのを、宝物のようにしていた記憶があります。
 現在、札樽(サッソン)自動車道、金山パーキングがある付近に私の家がありました。
 裏の山に登ると、石狩湾がキレイに見えて、遠くには増毛連邦が見えます。
 休日に裏山へ連れて行ってもらうのが好きでした。ですから私は今でも、山や高いところから景色を眺めるのが好きです。
      ■         ■
 私の両親は、53年後に自分の子供が医師になって、美容外科を開業しているとは夢にも思っていなかったと思います。
 私自身も、子供の頃に美容外科医になろうとは考えもしませんでした。
 ただ、子供の頃に見たものや、育った環境は、私の生き方に影響を与えたと思います。手稲の緑豊かで、海が見える山の近くに住んでいたので、自然が好きになっただと思います。
      ■         ■
 日本の美容外科では、70歳になっても現役で働いていらっしゃる先生もいらっしゃいます。
 私は、自分の定年を65歳くらいかなぁ…?と考えています。65歳だと、あと12年です。
 この一年は、私にとってとても辛い一年でした。人生、いつどんなことが起こるかわかりません。
 自分の寿命があと何年あるか?わかりませんが、少しでも世のため人のためになることをしたいと考えています。

祖母に産湯に入れてもらっている私です
53年前はタライでした

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医療問題

出産費用未払い

 2007年9月7日の北海道新聞朝刊の記事です。
      ■         ■
 奈良、札幌の受け入れ拒否 「受診しない妊婦にも責任」
 出産費用未払い背景
 奈良県や札幌で、救急搬送された妊婦の受け入れを医療機関が相次いで断った問題で、拒否された患者全員が出産まで一度も産科を受診してなかったことから、産婦人科医の間で批判の声が上がっている。背景には札幌市内だけで年間1000万円を超す出産費用の未払いがあり、救急態勢の改善だけで問題は解決しない。
 「病院や役所ばかり責められるけど、妊娠6カ月まで医者に行かない妊婦がそもそも悪い」
      ■         ■
 札幌市内の総合病院の産婦人科で働く40代の男性医師は、奈良の女性の自己責任を問う。奈良の女性も、札幌で5回以上受け入れを断られた女性5人も、全員に産科の受診歴が無かった。
 「妊娠したかなと思ってから出産まで約280日。その間、一度も受診しないというのは確信犯ですよ」。札幌市産婦人科医会の遠藤一行会長も語気を強めた。
      ■         ■
 通常の患者は妊娠の兆候に気づいた時点で産科にかかる。容体が急変しても、119番通報すれば、かかりつけ医に運ばれる。国民健康保険なら一人35万円の出産育児一時金も支給される。
 遠藤医師が「確信犯」と嘆く患者の大半は国保の保険料が未納、または無保険者という。保険料未納なら、失業や災害など特別な事情がない限り一時金は差し止められる。保険を使えないので妊娠しても産科にかからず、陣痛が始まってから119番通報する。
      ■         ■
 「救急車に乗れば必ずどこかの病院に行けますから。無事産んだら、退院する段になってお金がない、と。ひどい場合は子供を置いて失踪(しっそう)する。病院はやってられませんよ」。遠藤医師は嘆く。
 同医会の調査によると、2006年度に、救急指定を受けた札幌市内の14医療機関だけで、出産費用の未払いは26件、総額1000万円を超す。同医会理事で市立札幌病院の晴山仁志産婦人科部長は「予想より多い数字」と驚いた。
      ■         ■
 医療機関からみると、かかりつけ医がおらず、救急搬送される妊婦は、未熟児などの危険性が不明でリスクが高い上、出産費不払いになる可能性も高く、受け入れを断る病院が出てくる。
 ただ、産科にかからない妊婦を責めるだけでは、子どもの生命は守れない。胆振管内で産婦人科を開業する60代の男性医師は「産科に行かない妊婦にはそれぞれ事情がある。救急態勢以外に、母親側の背景を検討して対策を講じないと、問題は繰り返される」と訴えている。
 (北海道新聞2007年9月7日朝刊の記事より引用)
      ■         ■
 9月4日の日記に書いた、『産み逃げ』はまだあったようです。
 事情はあると思いますが、私が聞いた産婦人科の先生のお話では、『お父さんが誰?』か見当もつかない妊婦さんがいるそうです。
 性の解放で、誰とでも簡単に関係を持ってしまう女性が増えています。
      ■         ■
 そもそも、妊娠・出産は、悪阻(ツワリ)があったり、行動が制限されたり、産む女性にとってはあまり快適なものではないはずです。
 そのため、神様は動物には‘発情期’といサイクルをつくり、人間には‘性の快楽’という悦びをお与えになったのです。
 あまり快楽だけを追求すると困るので、コロンブスの昔から梅毒などの性感染症をお作りになったのも神様です。
 ‘種の保存’というのは自然界に必要欠くべからざるものです。
 医学が発達したからといっても、自然の前には医学も無力です。
 自分の体は自分で守るしかありません。臨月になって陣痛がはじまってから119番をしても、誰も助けてくれなくなります。

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医療問題

産科医逮捕のショック

 福島県大熊町の県立大野病院事件の続きです。
 この事件の特殊性は医師が逮捕された点でした。検察は証拠隠滅の恐れがあるからと、逮捕に踏み切りましたが、医療関係者からは多くの抗議がありました。
 下は2006年3月11日の読売新聞福島版の記事です。
      ■         ■
 医療関係者「手術ができなくなる」 検察側「胎盤無理にはがした」
 「地域医療を守る努力を重ねてきた加藤医師の尊厳を踏みにじる異例の事態」――。いわき市医師会の石井正三会長は2006年3月8日、相馬郡、双葉郡医師会長とともにいわき市内で会見を開き、3医師会の連名で逮捕に抗議する声明を読み上げた。県内の医師約1500人で構成される「県保険医協会」(伊藤弦(ゆずる)理事長)も県警に「(逃亡や証拠隠滅の恐れがなく)逮捕は人権を無視した不当なもの」とする異例の抗議文を送付した。
 県立大野病院で唯一の産婦人科医として年間約200件のお産を扱ってきた加藤容疑者の逮捕後、福島県内外の医師や関係団体が次々と反発する声を上げている。
      ■         ■
 神奈川県産科婦人科医会は「暴挙に対して強く抗議する」との声明を出し、産婦人科医を中心に県内外の医師19人が発起人となった「加藤医師を支援するグループ」は10日現在、全国の医師約800人の賛同を得て、逮捕に抗議するとともに募金活動を行っている。
 こうした医師らの反応の背景には、医師不足による産婦人科医1人体制や緊急時の血液確保に時間を要する環境など、事故の要因として医師個人だけの責任に帰すべきではないと考えられる問題が指摘されている事情がある。
      ■         ■
 また、子宮と胎盤が癒着する今回の症例は2万人に1人程度とされ、治療の難易度も高いことも「下手すると捕まると思うと、手術ができなくなる」(浜通りの産婦人科医)との心情を引き起こしているようだ。
 一方、事故調査委員会が「癒着胎盤の無理なはく離」を事故の要因の一つとし、医療ミスと認定しているのは明白な事実。「医療事故情報センター」(名古屋市)理事長の柴田義朗弁護士は「あまり情報がないまま、医者の逮捕はけしからんという意識に基づく行動という気はする」と指摘する。
      ■         ■
 片岡康夫・福島地検次席検事は2006年3月10日、逮捕や起訴の理由について説明し、「はがせない胎盤を無理にはがして大量出血した」とした上で、「いちかばちかでやってもらっては困る。加藤医師の判断ミス」と明言。手術前の準備についても「大量出血した場合の(血液の)準備もなされていなかった」と指摘した。
      ■         ■
 加藤容疑者の弁護人によると、加藤容疑者は調べに対して「最善を尽くした」と供述し、自己の過失について否認している。公判では、過失の有無について弁護士8人による弁護団と捜査当局の主張が真っ向から対立すると見られる。判決の内容次第では、医師の産婦人科離れに拍車がかかる可能性もはらんでおり、全国の医療関係者がその行方を見守っている。
 (読売新聞福島版2006年3月11日の記事より引用)
      ■         ■
 この事件は現在、裁判が行われています。裁判の公判傍聴記録がネットで公開されています。
 私は、被告の加藤克彦先生は100%無罪になると確信しています。もし、私が亡くなった妊婦さんの身内だったとしても、訴えたりしません。
 私は加藤先生とまったく面識もなく、ただ同じ医師という同業者だけの関係です。
 私は今まで四半世紀以上を500床以上の総合病院で働いてきました。どんなに万全の準備をして手術に臨んでも不測の事故は起こります。
      ■         ■
 この事件で、検察側は癒着で胎盤が剥がれなかった時点で、子宮摘出に踏み切らなかったことを‘過失致死’の原因として挙げています。
 子宮を摘出したら、二度と子供は産めなくなります。死ぬよりはマシですが、産婦人科医としてはできるだけ子宮を残したいと全力を尽くします。
 形成外科で出血多量で死ぬ手術は極めてマレですが、私が北大形成外科にいた時に1万㏄の輸血を準備して手術に臨んだことがありました。
 新聞社や放送局に取材していただき、新米医師の私は血液センターへ行って採血のお手伝いをしました。
 幸い手術は成功しましたが、大量の新鮮血を準備することはとても大変でした。
 もし検察側が勝訴すると、日本で癒着胎盤の妊婦さんは‘最悪の場合は子宮を摘出することに同意します’と念書をいただかないと手術をしてもらえなくなります。

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産科医不足の理由

 産科医になる医学生が減っています。産婦人科を専門とする医師も減っています。なぜでしょうか?
 福島県で、産婦人科医師が業務上過失致死で逮捕された事件がありました。
 下は2006年3月10日の読売新聞の記事です。
      ■         ■
 福島県大熊町の県立大野病院で2004年12月、帝王切開の手術中に同県内の女性(当時29歳)が出血性ショックで死亡した事故で、福島地検は2006年3月10日、手術を執刀した産婦人科医師の加藤克彦容疑者(28)を業務上過失致死と医師法(異状死体の届け出義務)違反の罪で福島地裁に起訴した。
 起訴状によると、加藤容疑者は、事前の検査で胎盤が子宮に癒着し、大量出血する可能性を認識していたにもかかわらず、本来行うべき子宮摘出などを行わず、胎盤を無理にはがして大量出血を引き起こしたとされる。さらに、医師法で定められた24時間以内の警察への届け出をしなかったとされる。
      ■         ■
 一般の方は、1年以上前のことですから、忘れてしまっていると思います。‘あぁ、そんなこともあったねぇ~’程度でしょう。
 この事件は医療関係者には、インパクトのある事件でした。福島地検がどのように判断して逮捕・起訴に踏み切ったかは不明ですが、これで産婦人科になるのをやめた医学生も多いと思います。
 日本産科婦人科学会と日本産婦人科医会は連名で「本件は癒着胎盤という治療の難度が最も高い事例。全国的な産婦人科医不足という現在の医療体制の問題点に深く根ざしており、医師個人の責任を追及するにはそぐわない」との声明を発表しました。
      ■         ■
 一部のマスコミも産科医の‘医療ミス’を強調した報道をしました。
 私を含めた医療関係者の見方は違います。亡くなった妊婦さんは気の毒ですが、癒着胎盤という難手術を一人で執刀しなければならなかった、医療体制に問題があると思いました。
      ■         ■
 米国では法曹人口の増加から、医療訴訟が当たり前のように行われています。
 日本でも新しい司法試験制度により、今後、弁護士が急増する可能性があります。
 言葉は悪いですが、弁護士さんにとって医療訴訟は、高額の賠償判決さえ勝ち取れば、高額の成功報酬を手にできる‘おいしい仕事’になる可能性が十分にあります。
      ■         ■
 一般の方は、お産は‘安全’で‘リスク’も少ないと考えていらっしゃると思います。
 平成19年2月5日の日記にも書きましたが、お産は決して安全でリスクがないものではありません。美容外科の手術より、よほどリスクがあります。
 どんなに腕のよい弁護士さんを雇って、高額の賠償金をもらっても、自分や子供の命にはかえられません。
 ふだんから、健康管理に気をつけて、丈夫な子供を産める体力をつけておくこと。
 信頼できるかかりつけ医を見つけて、妊娠したらしっかり診てもらうこと。
 医学生が産婦人科医になりたいと思うように、産婦人科医の待遇を改善する医療政策が重要だと思います。

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妊婦の搬送拒否札幌でも

 平成19年9月4日北海道新聞朝刊の記事です。
 妊婦の搬送 札幌でも受け入れ拒否 昨年5件、最多で11回
 奈良県の妊婦が医療機関から相次いで受け入れを拒否され、救急搬送中に死産した事件に関連し、札幌市内でも、2006年だけで救急搬送中の妊婦の受け入れ拒否が5件起きていたことが3日分かった。受け入れを11回拒否された妊婦もおり、札幌市消防局は「同様の事件は悪条件が重なれば道内でも起こりうる」と危機感を強めている。
      ■         ■
 札幌市消防局救急課によると、受け入れ拒否に遭ったのは、腹痛や不正出血を訴え、札幌市内で119番通報した5人。全員に産婦人科の受診歴が無く、かかりつけ医がいなかった。
 出動した救急隊員が、複数の病院に電話で連絡を取って搬送先を探したが、隊員が「かかりつけ医がいない」などと状況を伝えると、「医師が不在」「患者を処置中」などの理由で相次いで受け入れを拒まれたという。
      ■         ■
 拒否された回数は、少ない妊婦で5回。最も多く受け入れを拒否された十代の妊婦は、受け入れを11回断られた後、救急救命センターのある札幌市中心部の総合病院に搬送された。この妊婦は、119番通報から搬送先が見つかるまでの所要時間が90分と、札幌市内で119番通報から病院に到着するまでの平均所要時間の3倍を超えた。
      ■         ■
 札幌で受け入れ拒否が起きた原因について関係者は、産婦人科医の減少で救急患者を受け入れる病院が減ったことと並び、かかりつけ医の不在も影響したとみている。
 市立札幌病院の晴山仁志産婦人科部長は「産婦人科の受診歴がないと、妊娠第何週なのか、早産など異常がないかなど、すべてが不明。出産に伴うリスクが高く、受け入れをためらう医療機関が出る」と説明する。
      ■         ■
 札幌の5人には、搬送中の死産などの事故は起きていない。同市消防局救急課は「患者を待たせないよう、指令情報センターと救急隊全体で情報を共有するなど改善を進めているが、課題は残る。奈良のような事件は、いつ起きてもおかしくない」と指摘。「万一に備えるためにも、妊婦さんは必ず産婦人科にかかってほしい」と話している。
      ■         ■
 奈良県では先月29日、救急搬送された38歳の妊婦が、同県や大阪府など計9病院から「医師が処置中」などの理由で受け入れを断られ、最後に運び込まれた病院で死産が確認された。この女性は産婦人科医の受診歴が無かった。
 (平成19年9月4日北海道新聞朝刊より引用)
      ■         ■
 やはり札幌でも起こっていました。北海道で一番大きな都市、札幌には北大医学部と札幌医科大学の2つの医育機関があります。人口当たりの医師数も、北海道内の他都市と比較して圧倒的に多いのです。
 市立札幌病院の晴山仁志先生は、国立札幌病院から、北海道大学医学部助教授を経て、市立札幌病院に就任なさったベテラン中のベテランの先生です。
      ■         ■
 『産婦人科の受診歴がない妊婦さん』は、晴山先生がおっしゃるように、高リスクの方が多いのでしょう。
 経済的理由で受診していない方もいらっしゃいます。以前、産婦人科の先生から、伺ったお話しです。突然、臨月の妊婦さんが飛び込んできて、あっという間に分娩して、あっという間に赤ちゃんを置いていなくなっていた。
 母子手帳もなく、名前も偽名で、住所もでたらめだった。医療費の請求もできなかった。という実話を聞いたことがあります。
      ■         ■
 確かに、望まれない妊娠や出産は実際にあります。通常は、妊娠に気づいてから出産まで、半年以上の月日があります。
 妊娠・出産は、種の保存にとって大切な自然界のできごとです。産婦人科にかかっていない妊婦さんのすべてが、望まれない妊娠とは申しません。ただ、自分の体を守るのは自分しかいないのです。
 私は、性感染症にかかっても、ケロッとしている若い女性が心配でたまりません。性の快楽だけを求めている人は、いつか手痛い目に遭うと思います。

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社会福祉法人

 大阪の社会福祉法人「枚方療育園」前理事長から厚生労働省役人が高級車やお金を受け取った問題の続きです。
 社会福祉法人って、いったい何なんでしょうか?
 社会福祉法第22条よって定められた、『社会福祉事業を行うことを目的として、この法律の定めるところにより設立された法人』というのが法律の条文です。
 厚生労働省の役人に、キャデラックやセルシオを無償で提供するための法人ではありません。
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 そもそも、社会福祉法人は誰にでも簡単に設立できる法人ではありません。法人の設立には、許認可が必要です。社会福祉法人は‘もうけてはいけない’ことになっています。
 病院にも、社会福祉法人が経営しているところがあります。
 以前の天使病院は社会福祉法人聖母会が経営していましたが経営が困難になりました。
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 北海道で大きなものは、社会福祉法人北海道社会事業協会が経営する、いわゆる協会病院があります。
 協会病院は小樽、函館、余市、岩内、富良野、帯広、洞爺にあります。
 他には社会福祉法人函館厚生院が経営する函館中央病院、函館五稜郭病院。社会福祉法人札幌慈啓会が経営する慈啓会病院。社会福祉法人恩賜財団済生会が経営する北海道済生会小樽病院など有名な病院がたくさんあります。
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 近年、社会福祉事業のうち医療系は、厚労省の医療費削減政策を受けて経営が困難になってきています。
 天使病院だけではなく、社会福祉法人函館共愛会が経営していた、函館共愛会病院は経営が悪化し、平成3年に再建合理化が提案されました。
 社会福祉事業といえども、赤字では倒産してしまいます。経営者はいかに行政の大物と仲良くして、許認可をスムーズにしてもらい、補助金を引き出すかに苦心します。
 2002年度から2004年度にかけて、国から約10億4000万円の補助金が疑惑の社会福祉法人に出されています。
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 社会福祉法人は税制面でも優遇を受けています。
 それでも、まっとうに病院経営をしていると苦しいのが今の医療行政です。
 国民が憲法で保証された‘健康で文化的な生活’を営むために使われるべきなのが補助金です。
 私は補助金がキャデラックやセルシオに化けたような気がしてなりません。

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厚労省九州厚生局長

 2007年9月2日の朝日新聞の記事です。
 「前厚生局長と妻同士いとこだから」 前理事長が説明
  厚生労働省九州厚生局の松嶋賢(まさる)・前局長(59)が補助金交付先である大阪府内の社会福祉法人「枚方療育園」前理事長から金品を受け取った問題で、山西悦郎・前理事長(80)が1日、朝日新聞の取材に応じた。前局長の自宅改築費として1500万円を提供したことについて「妻同士がいとこだから貸した」と説明。一連の提供について「何も頼んだことはなく悪いことはしていない」と述べ、前局長の行為は職務対象者からの金品受け取りを禁じた国家公務員倫理法違反にはあたらないとの認識を示した。
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 前局長は31日の厚労省による事情聴取で、03年に埼玉県の自宅を改修した際、前理事長から1500万円を妻名義で借りたままになっていることや、中古高級車の無償提供、娘が埼玉県内の同法人運営の施設に就職していることなどを認めた。
 自宅改修費について、前理事長は取材に「(前局長は)退職金が出たら1500万円を返すと言っていた。借用書はとったが、どこにあるかわからない」と説明。前理事長が病院経営を始める際、前局長の妻の父が金融機関からの融資保証人になったことを資金提供の理由に挙げ、「(前局長が)厚労省に勤めているから貸したのではない」と述べた。
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 前局長の娘の就職については「(就職先を)みんなが心配していた。両親は僕に勤めさせてくれと言わないから、僕が(娘に)勤めなさいと言った」とし、特別な計らいではないと強調した。
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 00年と05年にいずれも内妻名義で前局長に無償譲渡したトヨタ・セルシオ2台については、譲渡自体を知らなかったとしている。97年に譲渡した米国製キャデラックは「人からもらったものを渡した」という。
 前理事長は今後、厚労省から事情聴取の要請があった場合、「それでも結構」と、応じる姿勢を見せた。
 (2007年9月2日朝日新聞より引用)
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 妻のいとこだからと、1,500万円もの大金を貸すことがありますか?
 親兄弟でも、住宅資金を融通する時は、契約書を交わし借金を返済しないと贈与税がかかります。
 キャデラックやセルシオを無償で譲渡するなんて考えられますか?そもそも、どういう人がキャデラックを理事長にくれたのですか?
 これは完全に贈収賄事件です。厚労省の許認可に『妻同士がいとこだから』手心を加えたか、うまく認可が取れる極意を伝授したのです。
 社会福祉法人理事長が欲しい厚生労働省の情報を伝えたからセルシオをくれたのです。
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 厚労省が出す方針一つで、病院や社会福祉施設の経営は大きく変わります。
 今後の診療報酬や介護報酬の改定方針がわかるだけでも、経営者にとってはセルシオやキャデラック以上の価値があります。
 いくら厚労省の局長といえども、キャデラックやセルシオに乗っていれば目立ちます。どうしてチェックできなかったのでしょうか?
 末端の医療機関や、社会福祉施設で毎日ウンコまみれになって介護をしている現場職員のことを考えてください!
 社会福祉とか介護とかキレイな言葉を並べたって、現実に一番大変なのは下の世話です。
 前局長や前理事長を厳罰に処して欲しいと願っています。社会福祉法人に交付した補助金を返して欲しいです。

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