昔の記憶

今から26年前…

 今から26年前。
 昭和58年(1983年)9月20日。
 函館市本町33-2、
 社会福祉法人函館厚生院函館中央病院で、
 長女が生まれました。
 その日は今日のように天気が良く、
 私が出勤する時に、
 家内を車に乗せて、
 病院へ向かいました。
      ■         ■
 当時、
 私29歳、家内27歳。
 函館中央病院形成外科に勤務していました。
 4年目の形成外科医でした。
 住んでいたのは、
 函館市富岡町の、
 キャッスル富岡という…
 賃貸マンションでした。
 病院が借り上げてくれた、
 住宅でした。
      ■         ■
 私は富岡町から、
 車で通勤していました。
 その日は、家内の定期健診の日でした。
 家内は、
 午前中に産婦人科で健診を済ませて…
 中央病院の近くにある、
 丸井今井デパートへ寄って…
 自宅へ帰りました。
 デパートにいる時に…
 ちょっとお腹が痛くなったそうです。
 そのままバスで自宅へ帰りました。
      ■         ■
 私が形成外科の医局で、
 お昼休みを取っていた時でした。
 家内から電話がありました。
 『ちょっとお腹が痛くて変なので…』
 『病院へ行った方が良いか…?』
 という内容でした。
 先輩の石川先生が、
 奥さんを迎えに行ったら…?
 と言ってくださいました。
 医局には製薬会社のMRさんがいらしていて…
 僕の車で行きましょう
 と言ってくださいました。
      ■         ■
 MRさんに乗せていただき、
 私は家内を迎えに行きました。
 お腹が痛かったのは、
 陣痛(じんつう)でした。
 車の中でも、
 そんなに苦しそうでもなく、
 家内を産婦人科へ連れて行きました。
 生まれそうになったら呼んでください。
 そうお願いして、
 私は形成外科外来で診察をしていました。
      ■         ■
 外来をはじめて間もなく、
 分娩室から電話がありました。
 先生、もうすぐ生まれます。
 分娩室へいらしてください。
 助産婦さんからの連絡でした。
 え~っ?
 もう生まれるんですかぁ~?
 私が分娩室へ着くと、
 家内は苦しそうな顔をして、
 分娩台の上にいました。
      ■         ■
 初産は、
 時間がかかるんじゃなかったかなぁ~?
 と考える余裕もなく、
 産婦人科の松浦敏章先生に取り上げていただき、
 無事に長女は生まれました。
 助産婦さんから、
 安産でよかったですね
 と褒めていただきました。
 当時はビデオはなく、
 カメラとテープレコーダーで、
 分娩の様子を記録しました。
       ■         ■
 私の両親も、
 家内の両親も、
 初孫の誕生を喜んでくれました。
 私の両親は、
 札幌から車で飛んで来ました。
 家内の両親には、
 まず、母親に来てもらい…
 約1ヶ月の間、
 函館に滞在してもらって、
 お世話になりました。
 義父は一ヶ月後に、
 母親を迎えに来て会ってくれました。
      ■         ■
 今のように携帯もなく。
 もちろんメールで画像を送ることもできません。
 まだ青函連絡船があった時代でした。
 26年前に生まれた娘は、
 親の元を離れて…
 自由に生活しているようです。
 信頼の絆(きずな)を切られて…
 もうすぐ3年になります。
 親の私は、 
 悪いことをしないで…
 他人の役に立つことをしていて欲しいと、
 願っています。

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院長の休日

親も見ている院長日記

 今日からシルバーウイークです。
 秋のゴールデンウイークではなく、
 シルバーウイークという名前が好きです。
 ‘後期高齢者’という名前は嫌いです。
 毎年、敬老の日の前後に…
 長い休みがあるのはよいことだと思います。
 おかげさまで、
 札幌美容形成外科は…
 手術予約で一杯です。
      ■         ■
 昨日の日記に、
 83歳と81歳の私の親が、
 パソコンでメールをしていることを書きました。
 私は知らなかったのですが、
 この院長日記をよく読んでいるらしいです。
 私は、
 実家へは帰らないし、
 行っても用事が済むと、
 すぐに帰ります。
 親孝行な息子ではありません。
      ■         ■
 同じ札幌市内に住んでいても、
 用事がなければ電話もしません。
 朝から夜まで働いているので、
 時間がないこともあります。
 便りがないのは…
 よい便りということにしています。
 55歳のオッサンになっても、
 息子のことは心配なので、
 親は院長日記で安否を知っているようです。
      ■         ■
 親はコメントをくださる方のことを知っていて、
 いつも感謝しています。
 毎日、コメントをくださって…
 ありがたいねぇ~
 いただいたコメントは、
 私の一番の励(はげ)みになっています。
 毎日、ありがとうございます。
 院長日記のネタに困ることもなく、
 いただいたコメントをネタに、
 新しい日記を考えています。
      ■         ■
 そういえば…
 私の息子も、
 部活のホームページ係りをしています。
 私も、
 息子が作ったHPをたまに見ます。
 息子のHPは、
 私のように毎日更新はありません。
 毎日更新していたら、
 おそらく私も見ていると思います。
      ■         ■
 もし、
 この院長日記が更新されないと、
 私が倒れたとか…
 病気になったとか…
 思われそうなので…
 なかなか…
 本日休診にもできません。
 拙い(つたない)内容で申し訳ございませんが、
 細々と続けたいと思っています。
 なかなか親孝行はできないので…
 せめて院長日記だけは続けます。

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院長の休日

75歳の手習い

 私の両親、
 父親(83歳)
 母親(81歳)
 がパソコンでメールをしていると、
 昨日の日記に書きました。
 父親は私が中学生の頃、
 三菱砿業㈱三菱大夕張炭鉱に、
 薬剤師として勤務していました。
 会社が坑内の安全管理のために導入した、
 最新鋭のコンピューターで、
 薬剤の在庫管理を始めたのがきっかけで、
 コンピューターに取り組みました。
      ■         ■
 毎日、コンピューターと悪戦苦闘していました。
 今のノートPCより機能が悪いコンピューターが、
 専用の部屋に設置されて、
 エアコンまで完備されていた時代でした。
 大変だ、たいへんだ
 コンピューターはすごい
 これからはコンピューターの時代だ
 ということを、
 40年前に言っていました。
 炭鉱には、
 優れた人材が揃っていました。
 炭鉱会社の専門家から、
 コンピューターを教えていただいたのが父です。
      ■         ■
 濱本淳二先生にお世話になった、
 上原貢様も、
 父にコンピューターとコンピューターで知り合った、
 三菱砿業㈱職員のお一人です。
 NHKの大学講座で法律を勉強した父は、
 独学でコツコツ勉強したのでしょう。
 炭鉱病院で、
 当時としては画期的な、
 薬剤在庫管理システムはじめました。
 退職後も、
 父はノートパソコンを使っていました。
      ■         ■
 母親は、
 ごくふつうの主婦でした。
 家計が苦しかったので、
 森永製菓の工場のパート従業員→
 →不況でリストラ→
 日本団体生命保険の外交員→
 三菱信託銀行の財形貯蓄の外交員→
 北海道不動産鑑定士協会のパート事務員
 と働きました。
 家計が苦しかった原因は、
 私と弟の教育費でした。
      ■         ■
 母親は働いたおかげで、
 たくさんの人脈を築きました。
 最後に働いていた時代には、
 コピーを取るのが仕事でした。
 PCには触ってもいませんでした。
 もちろんワープロも使えませんでした。
 電話とFAXは活用していましたが、
 父親のノートパソコンには、
 見向きもしていませんでした。
      ■         ■
 今から6年前、
 75歳頃だったと記憶しています。
 何を考えたのか…?
 突然、パソコンを触りはじめました。
 もちろんキーボードも、
 スイッチの入れ方も知りませんでした。
 ぽちポチと、
 あ・い・う・え・お
 を入力していました。
      ■         ■
 どうせやるなら、
 ローマ字変換がいいよ、
 という私と父のアドバイスで、
 ローマ字かな変換にしました。
 本人に確認したところ、
 まず忘れていた…
 ローマ字を覚えることから…
 はじめたそうです。
 こうして少しずつ、
 パソコンを覚えて行ったようです。
      ■         ■
 今では、
 メールに写真を添付して送ったり、
 自分の弟たちと、
 メールでやり取りをしたり…
 父親以上にパソコンを活用しています。
 昨日も、
 自分の弟(79歳)からメールで送ってきた、
 写真を見せてくれました。
 私はたまにしか実家へは行かず、
 親にメールもしません。
 息子としては…
 75の手習いで覚えたパソコンで、
 元気でいて欲しいと願っています。

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院長の休日

電話帳の将来

 札幌市内でNTTの電話帳が配布されています。
 昨年も電話帳広告のことを、
 5月29日の日記に書きました。
 札幌美容形成外科の電話帳広告は、
 毎年、小さくなってきています。
 一番、大きく出したのは…
 開業した5年前でした。
      ■         ■
 電話帳広告の申し込みは、
 開業前から契約して…
 料金を前払いで払いました。
 北海道は広いので…
 札幌近郊や
 旭川
 帯広
 苫小牧
 といった地域にも出しました。
      ■         ■
 電話帳の広告費がどの位するか…?
 ご存知ないと思います。
 発行部数や、
 大きさによっても異なります。
 札幌美容形成外科では、
 一番大きく出した年は、
 3/4ページ大、
 つまり一ページの75%の広告でした。
 (一ページは高くて出せませんでした)
      ■         ■
 この3/4ページの広告を、
 札幌市内のタウンページ
 (形成外科と美容外科)
 に出した広告費が、
 一年分で、
 なんと約500万円もしました。
 無名の札幌美容形成外科を、
 電話帳で知ってもらうための広告費が、
 一年間で500万円です。
 5年前は、
 電話帳で、
 お電話をくださる方が、
 かなりいらっしゃいました。
      ■         ■
 ところが…
 年々、電話帳を見て、
 お電話で相談して、
 手術を受けたいという方が減っています。
 NTTではデーターをくれませんが、
 電話帳の発行部数が、
 年々減っていると思います。
 電話帳は家デンのある家庭、
 それも…
 NTTと契約を結んでいる家庭にしか配布されません。
      ■         ■
 若い人は家デンを持っていません。
 携帯で十分です。
 私たちの年齢ですと、
 電話帳を調べる習慣があります。
 ところが、
 私の息子に聞いても…
 電話帳を調べたことはないようです。
 調べるのはネットです。
 HPに詳しく書いてあります。
      ■         ■
 後期高齢者である、
 私の母親(81歳)に聞いてみました。
 新しい電話帳来た?
 電話帳見てる?
 見てないよ。
 字が小さくて読めない。
 分類が細かすぎて…
 どこを調べたらいいかわからない。
 調べるならパソコン
 字も大きくできて読みやすい。
      ■         ■
 なるほど…と思いました。
 私の両親は携帯は持っていませんが、
 パソコンでメールをやっています。
 電話もIP電話です。
 高齢者にとって、
 設定で字を大きくできるPCは、
 確かに便利です。
 NTTの電話帳担当者は、
 とても真面目でよい方なのですが…
 コンビニで無料配布するなどしないと…
 電話帳の将来は危ういと思います。

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昔の記憶

私の顔を治してください

 市立札幌病院に勤務していた、
 ある時期のことでした。
 救急部に一人の女性が搬送されてきました。
 現在、北海道大学救急医学講座教授の
 丸藤哲(がんどうさとし)先生が、
 手術中の私のところへ、
 わざわざいらしてくださいました。
 同じ病院内で、
 救急の先生が担当医のところへいらっしゃるのは、
 よほどのことです。
      ■         ■
 本間先生、
 申し訳ありませんが、
 この手術が終わったら、
 大至急、救急ホールにいらしていただけませんか?
 ふだんは冷静な丸藤先生が、
 その時は、少し違って見えました。
 幸い、短い手術だったので、
 私は手術室があった2階から、
 地下の救急ホールへ向かいました。
      ■         ■
 救急ホールには、
 一人の若い女性患者さんが横になっていました。
 私が着くと…
 その方は…
 私の顔を治してください
 と弱々しい声で言いました。
 交通事故で、
 搬送されてきた患者さんでした。
 私はモデルをしています
 キズを治すプロを自認していた私も、
 驚くほどのケガでした。
      ■         ■
 将来ある若い女性の顔のケガは、
 形成外科医にとって大変難しい手術です。
 少しでも後遺障害を少なく、
 元通りに治してあげたい…。
 という思いがあります。
 ところが…
 まったく元通りにすることは、
 限りなく不可能に近いこともあります。
 自分にはできないので…
 ブラックジャックを呼びたいと思うこともあります。
      ■         ■
 私の顔を治してください
 と頼まれた私は、
 丸藤先生に全身麻酔をかけていただき、
 その日の予定をすべてキャンセルして、
 6時間30分をかけて、
 その女性の顔を手術しました。
 今までの形成外科医人生の中で…
 一番重症だった顔のケガでした。
 幸い、
 手術後の安静も守っていただき、
 経過も順調でした。
      ■         ■
 私がJA帯広厚生病院へ転勤してからも、
 修正手術を受けに、
 帯広までいらしてくださいました。
 明るく…
 前向きな性格の女性でした。
 その後は、
 年賀状のやりとり程度が続いていました。
 私は元気で働いていることを知り、
 安心していました。
      ■         ■
 事故から約10年が経過していました。
 私が、
 信じてはいけない人に騙されて、
 人生で一番落ち込んでいた時期に、
 一枚の葉書をいただきました。
 先生、結婚しました。
 隣にいるのは…
 毎日お見舞いに来てくれていた彼です。
 一枚の葉書には、
 結婚式の写真がついていました。
      ■         ■
 その写真を見て…
 私は、
 落ち込んでいて…
 一度は辞めようと思った形成外科医を
 続けることにしました。
 今、私が形成外科医を続けているのは、
 この女性からの葉書のおかげです。
 写真は本人の承諾を得て掲載していますが、
 気の弱い人は
 最後の写真を見ないでください。


結婚式の写真
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
気の弱い人は
この先を
見ないでください!
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
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受傷時です

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医学講座

元には戻せません

 プチ整形という言葉があります。
 整形は簡単で…
 気に入らなければ…
 すぐに元に戻せる…
 という誤った認識があります。
 糸で留める埋没法でも、
 簡単には戻せません。
 埋没法で固定する手術より、
 糸を取る手術の方が難しいのです。
      ■         ■
 眼瞼下垂症などの切る手術は、
 元の通りに戻すことは不可能です。
 メスを入れて剥離(はくり)という操作をすると、
 そこには瘢痕(はんこん)というキズができます。
 眼瞼挙筋(がんけんきょきん)という筋肉を操作すると、
 目が大きくなります。
 手術後に気に入らないから…
 元に戻してくださいと言われても…
 元に戻すことはできません。
      ■         ■
 形成外科や美容外科の手術は、
 大部分が緊急性がありません。
 手術を受ける前に、
 少しでも迷いがあるのでしたら、
 私は手術をおすすめしていません。
 せっかくいらしていただいたのに、
 という気持ちもありますが、
 その方が、本人のためだと思うからです。
      ■         ■
 昨日の日記に書いた、
 危ない患者さんという言葉に、
 コメントをいただきました。
 不適切な表現で申し訳ございません。
 美容外科の業界ではよく使われています。
 コメントをいただいた方は、
 他の形成外科で手術を受けられ、
 症状が快くなられたとのことです。
 上手な先生に手術をしていただいて、
 よかったと思います。
      ■         ■
 ただ…
 1年3ヶ月経った今でも、
 やはり以前から私の顔を知っている人には
 「整形したのではないか・・」と
 疑念を持たれているのではないかと
 いつもハラハラ・ドキドキしながら会っています
 という文を読んだ時に、
 やはり私は手術をお引き受けしなくてよかった。
 私の判断は誤っていなかったと思いました。
      ■         ■
 眼瞼下垂症の診断は、
 診断する医師によって異なります。
 一部の眼科医の間では、
 形成外科医は手術をしすぎているという批判もあります。
 厚生労働省が定めた、
 明確な診断基準や、
 手術適応の基準はありません。
 一般的に眼科医より、
 形成外科医の方が診断基準が広いと思います。
      ■         ■
 他の大きな病院で…
 眼瞼下垂症ではないと診断されてた方を、
 私が眼瞼下垂症と診断することもあります。
 コメントをいただいた方のように、
 私が、眼瞼下垂症は軽度で、
 手術をしても
 頭痛や肩こりが100%治るとは言えない。
 と判断することもあります。
 頑固な肩こりや頭痛には、
 頭痛専門のクリニックをご紹介することもあります。
      ■         ■
 一番の問題は、
 自分の顔が変わることに抵抗がある…
 ということです。
 眼瞼下垂症の手術は保険適応でできますが、
 元に戻す手術には保険が効きません。
 また、100%元通りに戻すこともできません。
 元に戻した方が良いのではないかなどと、
 随分と悩んだものでした。
 と書かれていました。
      ■         ■
 悩んで、
 元に戻す手術の相談を受けても…
 私には、よい答えはありません。
 私たち美容形成外科医にとっても、
 元に戻してください
 と言われるのは、
 大変なことなのです。
 決して小さなことではありません。
 言葉足らずで不快な思いをおかけして、
 申し訳ございませんでした。
 手術適応は慎重に決めているのです。
 

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院長の休日

元に戻してください―美容外科医の苦悩―

 美容外科医にも苦労はあります。
 楽で儲かりそうだから…
 とお考えの先生には、
 絶対におすすめできません。
 元に戻してください
 は2008年8月13日の日記に書いてあります。
 私は危ない患者さんには何度も説明しています。
 手術をお断りすることもあります。
 それでも…
 元に戻してください…
 という方が…
 年に一人か二人はいらっしゃいます。
      ■         ■
 ある程度経験を積んだ美容外科医でしたら、
 元に戻してください
 必ず経験したことがある筈です。
 そんな患者を手術するから悪いと言われる、
 美容外科医や形成外科医がいると思います。
 自分は経験を積んだ医師だから、
 そんな人は絶対に手術しない。
 と豪語する医師もいると思います。
 でも…
 それは経験を積んでいない証拠です。
      ■         ■
 美容外科の技術は、
 ある程度経験を積んで、
 修行に励むと…
 それなりに上達することができます。
 私自身、技術的な問題で悩むことはありません。
 自分ができる手術しかしません。
 例えば…
 骨を切る手術はしていません。
 技術的にはできても、
 通院でするにはリスクが高いからです。
      ■         ■
 ところが…
 読めないのが…
 人の心です。
 この人は眼瞼下垂症(がんけんかすいしょう)だから、
 瞼(まぶた)を切って…
 眼瞼挙筋(がんけんきょきん)という
 筋肉を調節すると…
 黒目が出るようになって…
 おでこのシワもできなくなって…
 肩こりも治るだろう…
 でも…
 顔は変わりますょ
      ■         ■
 何度もご説明して、
 手術をして、
 私が見ても…
 職員が見ても… 
 きれいになったのに…
 新しい顔に馴染めない人が、
 必ずいらっしゃいます。
 お買い物に行って、
 十分に考えて買ったのに…
 デパートへ返品に行く人がいます。
      ■         ■
 手術は…
 返品がきかない商品です。
 手術をしてくださいと頼んだのは本人で、
 自己責任だから、
 そんなの相手にしなければいいじゃん。
 という人もいらっしゃると思います。
 でも、
 2時間もかけて…
 丁寧に作った自分の‘作品’を… 
 否定されるようで…
 とてもがっかりします。
      ■         ■
 手術直後は、
 ちょっと派手に見えるものです。
 腫れが少ないといっても…
 切って縫うのです。
 麻酔もしますから、
 腫れも必ずあります。
 安静にしていれば、
 時間とともに必ず快くなるのです。
 この期間を待てない人が困るのです。
 救急医の苦悩に比べると…
 小さなことですが、なかなか大変です。

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医療問題

救急医の苦悩

 救急医は、
 肉体的にキツイだけではなく、
 精神的な苦悩もあります。
 私が知っている優秀な救急医が、
 救急を辞めてしまったことがありました。
 自分たちは、
 一生懸命治療しているというが…
 ベジ(植物状態の人)をつくって…
 患者さんや家族を苦しめているだけでは…?
 という苦悩です。
      ■         ■
 救急を担当したことがある医師であれば、
 一度は…
 先生、どうして私を助けたの?
 どうして…
 そのまま死なせてくれなかったの?
 と言われた経験がある筈です。
 不慮の事故や病気で…
 救命救急センターへ
 搬送される方だけではありません。
 自ら命を絶って…
 死に切れなくて…
 搬送される方もいらっしゃいます。
      ■         ■
 不慮の事故や病気で…
 心肺停止状態で搬送されてくる方にも、
 救命しても…
 重度の後遺障害が残る人がいます。
 本人はもとより、
 家族にも…
 莫大な医療費と…
 介護負担という…
 経済的にも大変な状況が…
 明らかに見えている人がいます。
      ■         ■
 私を含めて…
 もし万一倒れたら…
 その日から収入は途絶えます。
 私は、
 事業を営んでいますので、
 患者さんや従業員が困ることがないように、
 所得補償保険に入っています。
 この保険金が、
 税務調査で指摘され、
 数百万円の税金を、
 払ったこともとありました。
 それでも働いているより収入は減ります。
      ■         ■
 救命救急センターでかかる医療費は、
 私たちの想像をはるかに超えた額になります。
 重症熱傷(じゅうしょうのやけど)では、
 一ヵ月に1,000万円を超えることもあります。
 他にも高額となる治療はたくさんあります。
 救命救急センターには、
 長い間、入院していることはできません。
 一定期間が過ぎて落ち着いたら…
 今より治療が低下することがわかっていても…
 他の病院へ転院させなくてはなりません。
      ■         ■
 美容外科医にも、
 さまざまな苦労があります。
 苦悩もあります。
 でも…
 救急医の苦悩に比べると…
 次元が違うように思います。
 美容外科医にとっては…
 二重の幅が左右で違う…
 とかでも悩みになります。
      ■         ■
 北大形成外科の同門である、
 札幌中央形成外科の武藤英生先生が、
 ご自身のブログ
 医者は何のためにあるんだを書かれていました。
 武藤英生先生は、
 故武藤靖雄先生のご子息で、
 札幌中央形成外科の理事長です。
 とても真面目で優しい先生です。
 私は、武藤先生のブログを楽しみに読んでいます。
 今回のブログは、とても興味深い内容なので、
 医学を志す人に、
 是非読んでいただきたいと思いました。

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医学講座

食べても太らない薬

 平成21年9月12日(土)朝日新聞、天声人語です。
 一線記者の頃、その日の仕事が終わると打ち合わせと称して繰り出した。飲むうちに日付が変わり、帰ればいいのにラーメンで締めるという日課である。その前にギョーザとビールがついた。
 ▼いま健診で怒られるたび、あれで10年は命が縮んだと悔やむが、ほろ酔いラーメンは体を張るに値する味だった。スープの背脂がぎっとり絡んだ太麺(めん)が、仕事漬けの身に一時の安息をくれた。目方と一緒に。
 ▼米ノースウエスタン大のチームが、夜食べると太ることをマウスの実験で確かめたそうだ。明るい時だけ食べられるグループと、暗い時だけのグループに分け、高脂肪の餌をやり続けた。6週間後の体重増加は「昼食組」の平均20%に対し、「夜食組」は48%に達した。
 ▼実験中の摂取カロリーと運動量に差はなく、寝るべき時間帯に食べたのがより肥えた理由とみられる。深夜には食べるなというメタボ予防の戒め通り、生活リズムを無視した暴食は体内時計が許さないらしい。
 ▼捨てる神あれば拾う神あり。京都大の上杉志成(もとなり)教授らのチームが、細胞内で脂肪ができるのを抑える化合物を見つけた。過食するマウスに4週間与えたところ、与えなかった一群に比べ体重は12%、血糖値は70%低くなった。脂肪肝も防げたという。
 ▼研究を重ねれば、いくら食べても太らない薬ができるかもしれない。朝から焼き肉、深夜にカツ丼。ついでに、飲むほどに肝臓が元気になるお酒が発明されたら人生は楽しかろう。ただし、使っても減らない財布があったらの話。見果てぬ夢のあれこれである。(以上、朝日新聞より引用)
      ■         ■
 こんな理想の薬ができたら、
 売れるでしょうか?
 よく夜勤をはじめた看護師さんが…
 体重のコントロールができなくなってしまい、
 急激に10㎏も太ったという悩みを聞きます。
 夜、食べるのはよくないとわかっていても、
 ついつい誘惑に負けてしまいます。
      ■         ■
 女の子が好きな、
 美味しい
 お菓子
 チョコ
 ケーキ
 アイス
 ジュース
 は美容の大敵です。
      ■         ■
 身体に良いのは、
 規則正しい3度の食事
 ご飯に納豆
 とわかっていても、
 なかなか続けられません。
 目の前に…
 美味しいケーキがあるのに、
 食べないのは…
 自分だけ食べないのは…
 勇気がいることです。
      ■         ■
 私自身の食生活は、
 褒められたものではありません。
 まず超早食いです。
 せっかく、作ったのに…
 もう少し味わって食べてょ!
 と何度言われたことでしょうか?
 昼食も約5分以内です。
 それも遅い時は、
 夕方です。
      ■         ■
 私が体重をなんとか維持しているのは、
 食べる量を調節しているからだと思います。
 たくさん食べた翌朝は…
 ご飯を減らしてもらいます。
 間食もしません。
 飲むのは…
 水とコーヒーだけです。
 カロリーを計算しているのではありませんが、
 食べ過ぎると…
 胃が受け付けなくなります。
      ■         ■
 結婚した直後に…
 一時期、幸せ太り♡したことはありますが、
 30年間…
 身長171㎝
 体重58~60㎏を維持しています。
 最近は60㎏を切ったほうが…
 何となく調子が良いようです。
 食べても太らない薬よりも、
 食べない努力をするのが、
 健康的な生活だと思います。

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院長の休日

琴似(ことに)の鮓佐(すしさ)さん

 私の誕生日には、
 たくさんのお祝いをいただき、
 ありがとうございました。
 おかげ様で、
 元気な55歳になれました。
 高須先生からも、
 ambloへコメントをいただきました。
 何かやりなさい
 という先生のご指示にしたがって、
 何かやろうと思います。
      ■         ■
 今日は息子の誕生日です。
 釧路函館では小さかった息子も、
 24歳になりました。
 9月11日が誕生日。
 米国のナイン・イレブンです。
 あの事件が起きた2001年に、
 ぼくの誕生日は、忘れられない日になった。
 と言っていたのが、
 高校生でした。
 時が経つのは早いものです。
      ■         ■
 昨夜は、
 私の誕生祝いと、
 息子の誕生祝いを兼ねて、
 琴似(ことに)の鮓佐さんへ行きました。
 私の数少ない贅沢の一つです。
 鮓佐さんの、
 鮓(すし)は
 お鮨のではなく、
 へんにるの…
 です。
 佐々木さんのをつけて、
 鮓佐です。
      ■         ■
 ご主人の佐々木隆さんとは30年のお付き合いです。
 昭和28年生まれの56歳。
 私より一つ年上です。
 佐々木さんとはじめて出会ったのは、
 琴似にあった‘琴ずし’というおすし屋さんでした。
 麻酔科研修をしていた時に、
 先生、琴似に美味しいおすし屋さんがある
 と教えていただいたのが、
 琴ずしでした。
 琴ずしのご主人は山口さんという職人さんでした。
 今は‘すし処さっぽろ’という、
 高級なお店を経営なさっていらっしゃいます。
      ■         ■
 佐々木さんは、
 脱サラして琴ずしに就職されました。
 琴ずしのご主人だった山口さんも、
 脱サラ→転職→すし職人という、
 転職成功組のお一人です。
 佐々木さんが独立されてからは、
 私は鮓佐の、
 常連になりました。
 私は鮓佐のおすしを食べさせていただくと、
 また明日から元気で働こう
 という意欲が出ます。
      ■         ■
 新鮮で美味しいのに、価格は手ごろです。
 佐々木さんがお一人で握って
 お茶まで出してくださいます。
 中トロ
 ウニ
 イクラ
 カニ
 美味しい食材ばかりです。
 カウンターで食べても安心価格です。
 知る人ぞ知る、こだわりのおすし屋さんです。
      ■         ■
 鮓佐(すしさ)
 札幌市西区24軒4条5丁目9-1
 地下鉄琴似駅5番出口から徒歩2分
 地下鉄東西線の通りの上
 交差点の角のお店です
 電話:011-622-6797
 営業時間:12:00~22:00
 定休日:第2第4水曜日
 価格:一人前1,300円~
 ウニが入った特上は2,100円
 カウンター7席+小上り
 お電話で予約なさって行かれるのがベストです。

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