昔の記憶
大浦憲子様ご逝去から一年
恩師、大浦武彦先生の奥様、
大浦憲子様がお亡くなりになって、
今日で1年です。
早いものです。
一年前は火曜日でした。
市立札幌病院でお亡くなりになりました。
■ ■
今、考えても、
すばらしいよくできた奥様でした。
ご主人の大浦武彦先生には、
暖かいマンションを準備され、
家具も、
カーテンも、
冷蔵庫も、
全部準備されていました。
■ ■
お一人になられた大浦先生が困らないように、
ちゃんとお考えになられたのでしょう。
大浦先生のマンションは快適です。
暖房も北海道ガスのセントラル暖房です。
北電の料金が上がっても、
灯油料金が上がっても、
大浦先生のマンションは心配いりません。
■ ■
大浦先生はお元気です。
褥瘡研究所でお仕事をなさっています。
夏にはゴルフもなさいます。
海外出張にも行かれます。
ただ、
マンションではお一人です。
私もなかなかお伺いできず、
申し訳なく思っています。
今度、先生がお好きな、
サッポロ黒ラベル500を持って、
お伺いしようと思っています。
医学講座
理想の医師
増えてほしい苦労人の医師
2009年3月25日の院長日記です。
朝日新聞『声』の欄への投稿です。
医師は医学部受験を勝ち抜いてきた
「お坊ちゃま成功者」が多い。
それでも、
感受性の強い優しい人や
挫折を乗り越えてきた苦労人なら、
患者と共感できる医師になれる。
■ ■
最近は医学部も女子が増えています。
「お坊ちゃま成功者」だけではなく、
「お嬢さま成功者」もいます。
偏差値が高い人を否定するのではありません。
現実問題として、
小さい時から、進学塾に通い。
名門校でもトップクラスの成績でないと、
有名国立大学医学部に、
現役合格はできません。
■ ■
医師の仕事は、
きれいな仕事ではありません。
便もみなくてはいけません。
強烈な悪臭が大切な所見のこともあります。
感染症を診なくてならないので、
自分が感染してしまうこともあります。
エボラ出血熱で亡くなった先生もいます。
■ ■
収入が高いので、
医学部に入ってお医者さんになろう!
…と考えている受験生には、
お医者さんはすすめません。
お金儲けをしたいなら、
投資家をすすめます。
私の高校の同期で、
一番のお金持ちは社長さんです。
■ ■
お金持ちになりたい人に、
美容外科医もすすめません。
苦労が多いです。
美容外科業界で一番所得が高いのは、
美容外科チェーン店の経営者だと推測します。
MBAを取得している人もいると聞きます。
ただ経営判断を誤ると倒産の危機です。
■ ■
お金儲けが上手だった美容外科医もいました。
TVでよく宣伝をしていました。
その先生が手術をした患者さんを診ることがあります。
ちまたのうわさとは逆で、
わきが手術は上手だったと思います。
残念なことですが、
脱税で医師免許を無くされました。
私は困っている人を助けるのが医師の仕事だと思います。
いい先生が増えることを願っています。
医学講座
こんな医者になって
平成26年11月15日、朝日新聞夕刊の記事です。
こんな医者になって
心臓病の13歳、弟に贈る8カ条
倫太郎君は、左心室と右心室が分かれていない「フォンタン術後症候群(房室交差)」を抱える。1万4千人に1人の難病で、手術を重ねたが、今も腸からたんぱくが漏れる合併症で点滴が欠かせない。2歳の時に不整脈で心肺停止に陥るなど、生死の境をさまよってきた。
■「お兄ちゃんを治す」
免疫力が落ちているため運動や過労は禁物だが、学校には酸素吸入器を付けて通い続ける。今は午前中だけ町立箕輪中学校の普通学級で学び、文化祭では弁論大会で「命の尊さ」について語った。
今年初め、弟の恵次郎君が人体図鑑を眺めて「お兄ちゃんを治したい」と言い始めた。それを聞いた倫太郎君は7月、弟を励まそうと、倫太郎君が思う理想の医者像をパソコンで一気に書き上げた。
■それぞれに体験談
良い医者の心得は、全部で8カ条からなる。それぞれに倫太郎君の体験談が付く。たとえば「検査や治療は出来る限り患者さんの生活に合わせてやるべきだ」には、小5の時の体験をつづった。
「H先生にエコー検査に呼ばれた。だが、その時H先生は『もうすぐお昼ごはんだね。メニューはうどんだし、のびると美味(おい)しくないから倫ちゃんがうどんを食べ終えたらエコーをするよ』と言ってくれた」
「患者さんは、誰もが自分の受ける治療や検査などに、不安を抱えている。しっかり、分かりやすく説明してあげよう」には「U先生は僕が入れるかもしれない心臓ペースメーカーを2種類も持って来て、僕に説明してくれた。わざわざ本物を見せて分かりやすく。僕はU先生のおかげで、機械を入れる不安から抜け出すことができた」。
主治医や看護師の評判は上々だ。長野県立こども病院の循環器小児科部長、瀧聞浄宏(たきぎくきよひろ)さんは「医者のことをよく見ている。ハッとさせられた」。長年倫太郎君をみてきた同病院循環器センター長の安河内聡(やすこうちさとし)さんは「彼の文章には生きることへの感謝と真摯(しんし)な姿勢があふれている。かみしめて読んでほしい」と言う。
(阿久沢悦子)
倫太郎君の「理想の医者」8カ条
1.患者さんの家族、趣味など、患者さんの生活全体を見て接しよう。
2.患者さんは、誰もが自分の受ける治療や検査などに、不安を抱えている。しっかり、分かりやすく説明してあげよう。
3.患者さんは、いつ苦しみだすか分からない。大切なのは、その時に、君が患者さんのために、とっさに体が動かせるかだ。
4.入院している患者さんにも、自分の生活がある。検査や治療は出来る限り患者さんの生活にに合わせてやるべきだ。
5.入院している患者さんにとって、ベッドは我が家のようなものだ。採血や問診に行く時は、人の家にいくような感じで行こう。
6.患者や患者の家族は、手術や検査の結果を心待ちにしている。終わったらすぐにすぐに知らせてあげよう。
7.患者さんとの関係は、治療が終わればおしまいという訳ではない。
8.医師はどんな状況でも諦めてはならない。思わぬ治療法があるかもしれないし、悪い状態は一時的なものかもしれないからだ。医師が絶望的と思っても、患者さんやや家族にとっては違うかもしれない。

重い心臓病を患う長野県箕輪町の中学1年山田倫太郎君(13)が、「医者になってお兄ちゃんを治す」と言い始めた4歳の弟あてに、自身の体験をもとにした「患者が望む理想の医者」をつづった。
(以上、朝日新聞より引用)
■ ■
実にいい文章だと感じました。
13歳の少年が書いたとは思えません。
この8カ条は、
倫太郎くんの主治医がしてくれてうれしかったこと、
してくれなくて残念だったこと、
そのどちらも含まれていると思いました。
医療従事者として考えさせられました。
■ ■
私は医療現場の医師として、
倫太郎くんの8ヶ条を、
全国の医学部教官や、
医学生に読んでいただきたいです。
倫太郎くんの幸せを祈っています。
ありがとうございました。
医学講座
糖尿病は専門クリニックで
糖尿病とわかったら、
糖尿病を専門とするクリニックや病院で、
しっかり治療してもらうことです。
糖尿病の薬は、
医師免許さえあれば、
専門外の私でも処方できます。
でも、それではよくなりません。
■ ■
糖尿病専門医の先生と、
看護師さん、
栄養士さん、
スタッフが充実しているところがいいです。
どこの内科でも糖尿病は診てくれます。
検査もできます。
よくなるためには、
しっかりとした先生にかかることです。
■ ■
小倉智明さんが書かれていたように、
私は、28 年前に発症して、
担当医に脅されたことが幸いでした。
糖尿病との上手な付き合い方を見つけ、
治療を明るく楽しみながら実践し続けてきました。
働き盛りの皆さんには、ぜひ元気で働いてもらいたい。
糖尿病と診断されたら、
決して甘く見ず、
すぐに治療をはじめてほしい。
適切な治療を続ければ糖尿病は怖くありません。
■ ■
内科にも専門分野があります。
糖尿病専門医にもいろいろな先生がいます。
先生との相性もあります。
通院しやすいかどうかも問題です。
目が悪くなった時に、
いい先生を紹介していただくことも必要です。
糖尿病は一生治療が続きます。
最初から、
糖尿病を専門とする、
いい先生を選んでください。
医学講座
糖尿病は全身の病気です
私の経験で一番良かったのは、
いい病院で、
優秀な先生たちと、
仕事ができたことです。
糖尿病もそうです。
市立札幌病院には腎センターがあります。
糖尿病性腎症で、
透析となった患者さんがたくさんいらっしゃいました。
■ ■
市立札幌病院、
糖尿病・内分泌内科部長の、
柳澤克之先生には、
北大病院に勤務していた頃から、
たくさんの糖尿病患者さんを診ていただきました。
手術前から、
しっかり糖尿病を管理して、
手術後も無事に乗り切りました。
■ ■
糖尿病で怖いのは、
目と
腎臓です。
どちらも血管がこわれるのが原因です。
最悪の場合、
目は失明してしまい。
腎臓は人工透析になります。
■ ■
糖尿病は、
しっかり治療すれば、
ふつうの人と同じように生活ができます。
公益社団法人日本糖尿病協会
HPにとても参考になることが書いてあります。
糖尿病啓発冊子
糖尿病の治療を放置した働き盛りの今
こちらをぜひ読んでいただきたいです。
■ ■
一部を引用します。

同朋の皆様へ
小倉智明
学生時代の私は、世代を代表する短距離ランナーでした。自慢ではありませんが、 学生記録をつくったこともあります。実に健康的な生活を送っていました。 しかしある時、私は太りだしました。膝をやり、腰を痛めて競技から離れ、運動量がガクンと減ったこと、 節制をやめてよく食べるようになったこと、時間の不規則な業界に就職したことなどが原因でした。 病気が発覚した当初は、担当医に真顔で「このままでは死ぬよ 」 と言われたほど、 急激にからだの状態を悪くしていきました。しかし、私にも大切な家族がいます。死ぬよと言われて「ハイそうですか」と簡単にあきらめるわけにはいきません。ダイエット、食事療法、インスリンの投与といった治療をはじめました。 決して楽ではありませんでしたが、生きるために必要なこと、と前向きに受け入れました。
糖尿病は、宣告されても自覚症状がない病気です。働き盛りの皆さんは多忙な毎日の中でなかなか本気で治療に取り組めないのではないでしょうか。 治療を始めても、食事療法は食欲との戦いがつらく、運動療法も面倒で続かないものです。つい治療を投げ出してしまい、いつの聞にか取り返しのつかないことになっている、という例が多く見られるのです。
私は、28 年前に発症して、担当医に脅されたことが幸いでした。糖尿病との上手な付き合い方を見つけ、治療を明るく楽しみながら実践し続けてきました。 働き盛りの皆さんには、ぜひ元気で働いてもらいたい。糖尿病と診断されたら、決して甘く見ず、 すぐに治療をはじめてほしい。適切な治療を続ければ糖尿病は怖くありません。 新しいライフワークが出来たと思って前向きに治療に向き合ってください。家族のためにも、 あなたのためにも、どうか糖尿病とうまくつきあい、充実した人生を送ってください。
公益社団法人日本糖尿病協会
糖尿病を放置した働き盛りの今から引用
医学講座
糖尿病と手術2014
札幌は寒くなりました。
朝、窓の外を見ると…
真っ白でした。
新聞によると札幌の積雪が11cmです。
寒くなりました。
11月も半分過ぎました。
■ ■
今日11月14日は世界糖尿病デーです。
世界糖尿病デー
2010年11月14日の院長日記です。
札幌医大の学生時代は、
糖尿病は苦手でした。
自分は内科には向かないと思いました。
■ ■
内科が苦手だった私が、
卒後3年目に…
函館中央病院形成外科で、
糖尿病のおばあちゃんの担当になりました。
糖尿病のおばあちゃんが、
全身に大やけどをして、
函館中央病院形成外科へ入院しました。
■ ■
当時の私の上司が、
小野一郎先生でした。
小野一郎先生の奥様が、
糖尿病専門医の小野百合先生です。
奥様は私と同年代で卒業は一期上です。
糖尿病のおばあちゃんは、
小野百合先生が…
札幌から電話で指導してくださり、
みごとに回復されました。
■ ■
私のはじめての学会発表が…
糖尿病を基礎疾患に持った老人熱傷の一例
その学会発表を論文として投稿することになり、
糖尿病を徹底的に勉強しました。
当時、北大第二内科教授で、
糖尿病の権威中川昌一先生のところにも伺いました。
はっきり言って…
学位論文より苦労しました。
このおかげで今でも糖尿病患者さんの手術ができます。
■ ■
札幌美容形成外科では手術前に血液検査をします。
最近たて続けに、
糖尿病の患者さんが見つかりました。
手術は中止し、
糖尿病専門医の、
小野百合内科クリニックへご紹介しています。
糖尿病のおばあちゃんを、
電話で助けてくださった奥様です。
■ ■
糖尿病でも手術はできます。
【条件があります】
しっかりコントロールできていることです。
札幌美容形成外科を開業して10年。
包茎手術で来院され、
重度の糖尿病が見つかった男性。
しっかり糖尿病を治療していただき、
約半年後に手術ができた人もいました。
未治療の糖尿病は怖いです。
下肢を切断して、
棺おけに足を入れた人もいます。
健康診断で血糖値が高かった人は、
糖尿病専門医に診ていただいてください。
院長の休日
今日は歯医者さん2014年11月
今日の札幌は寒い一日でした。
時々雪がぱらぱらと降っていました。
秋も終わりという感じです。
今日は休診日だったので、
3ヵ月ごとにお願いしている、
歯医者さんに行ってきました。
■ ■
私のきたない歯を、
毎回丁寧にきれいにしてくださった
歯科衛生士さんが8月末で退職されました。
新しい衛生士さんが、
新しくなったユニフォームで、
丁寧に処置をしてくださいました。
■ ■
上手に処置をしてくださるので、
痛くありません
健康保険で受けられます。
私は左上の奥歯の歯磨きが…
上手にできないようです。
自分ではしっかりやっているつもりでも…
歯石がついていました。
■ ■
約1時間半程度です。
自己負担は3000円ほどです。
歯の健康は全身の健康につながります。
虫歯になって痛くなってから行くのではなく、
定期的に、
プロによる歯のお手入れをおすすめします。
院長の休日
師走の衆議院議員選挙?2014
「安倍首相が衆院解散を検討している」。
こんなささやきが、
あれよあれよという間に
解散風という突風になって吹き荒れている。
平成26年11月12日、朝日新聞社説の一部です。
■ ■
他紙の報道にもあります。
安倍首相が大嫌いな、
朝日が社説に書いたので、
ひょっとすると解散しないかも?
…と同年代の私は考えてみたりします。
それにしても勝てると思っているのでしょうか?
■ ■
確かに、
東京では、
日経平均株価は前日の終値より72円94銭高い
1万7197円05銭で取引を終え、
2日続けて年初来高値を更新した。
…という報道があります。
■ ■
北海道は不景気です。
企業誘致をしても、
電気料金が高いので、
北海道へ進出する企業が、
二の足を踏むという新聞記事がありました。
私は安倍さんのやり方が嫌いです。
■ ■
ご自身が、
潰瘍性大腸炎という難病で、
特効薬で症状が快くなったという話しがありました。
この人は、
弱い者のつらい立場がわかる?
病人の苦しみがわかる?
…とちょっと期待していました。
医療政策を見ると…
期待外れでした。
■ ■
師走の選挙は大変です。
北海道や東北は雪です。
選挙にはお金もかかります。
後輩の勝沼議員は、
どこの選挙区から出るのか?
心配しています。
衆議院議員も楽ではなさそうです。
昔の記憶
私の結婚式1981年
北海道は寒くなりました。
北海道電力の電気料金値上げ、
ガソリンや灯油価格の高騰、
寒い北国によい話しはありません。
衆議院解散の報道があります。
師走に選挙になったら、
寒い北海道は大変です。
■ ■
突然ですが、
33年前の結婚式のお話しです。
うちの奥さんは、
兵庫県西宮市に住んでいました。
奥さんの父親は、
国鉄の保線区で働いていました。
64歳で亡くなってしまいました。
保線一筋で立派な人でした。
■ ■
ひょんなことから、
北海道旅行に来た奥さんと再会し、
ご縁があったのでしょう、
結婚することになりました。
今から考えると、
人生で一番楽しい時期だったように思います。
でも、
人生で一番お金がない時期でした。
■ ■
私は大学を卒業したばかりで、
研修医1年目でした。
結婚式が研修医2年目でした。
奥さんは、
短大を卒業して20歳で就職し
4年間働いていました。
お給料が良い会社でした。
堅実に貯金もしていました。
私より貯金がありました。
■ ■
私は北大病院からいただく10万円程度のお給料だけ。
ボーナスも、
時間外手当もありません。
地方の病院に月2回程度ある出張と、
夜間や土日に、
市内の病院の当直アルバイトをして、
何とか生活していました。
奥さんの収入の半分くらいでした。
■ ■
30年前の研修医の結婚式は、
北海道でも招待制でした。
(北海道には会費制結婚式というのがあります)
北大形成外科の先輩は、
札幌グランドホテルで、
大浦武彦教授に仲人をお願いして、
披露宴を盛大に行っていました。
■ ■
奥さんが札幌に来た時、
私たちは、
札幌グランドホテルのブライダルフェアーに行きました。
北大病院の先生でしたら、
みなさんこのくらいの披露宴をなさっていらっしゃいます。
係りの人が作ってくださった見積りを見て、
目の玉が飛び出ました。
■ ■
結婚式(神前)と
80人程度の披露宴で、
ホテルの見積りが400万円弱でした。
当時の私の年収でした。
こりゃだめだ
高かったのが♡花嫁衣裳♡
こちらの白無垢は、
まだ一度もお袖を通していないものです。
うん十万円です。
はぁ
ため息が出ました。
■ ■
家内の親戚は全員関西。
友人も関西。
披露宴に来ていただく航空券代だけでも、
かなりの金額になりました。
その上♡高額の花嫁衣裳♡は、
かなりの負担でした。
2人で相談して、
札幌グランドホテルは止めました。
■ ■
二人で選んだのは、
弥生会館という、
国鉄関連の施設でした。
今は極楽湯という温泉になっています。
ここは国鉄職員の家族だと割引がありました。
結婚式と披露宴の費用は、
札幌グランドホテルの半分以下でした。
奥さんの両親も賛成してくれて、
弥生会館で結婚式を予約しました。
予約金も払いました。
■ ■
その後のことです。
たまたま北大に学会準備でいらしていた、
札幌グランドホテルの営業担当の方と話していました。
先生、今度ご結婚されるんですって…
♡おめでとうございます♡
式はうちでやってくれるんですよね…
はぁ、見積りをいただいたんですけど、
高くて無理だったので、
弥生会館というところにしました。
教授にもお話ししてあります。
■ ■
営業担当さん、
え~っ、うち(札幌グランドホテル)でやってくださいよ。
弥生会館はいくらなんですか?
私は札幌グランドホテルでいただいた見積り、
弥生会館の見積りをお伝えしました。
営業担当さん。
僕に任せてください。
弥生会館と同じ金額でやります。
え~っ?
ほんとうですかぁ~?
■ ■
営業担当さんのおかげで、
私たちは札幌グランドホテルで結婚式を挙げることができました。
奥さんの♡花嫁衣裳♡は、
何人もの先輩が袖を通したものでしたが、
誰が見てもきれいな白でした。
私は何もわからない26歳の若者でしたが、
その時から、
よいものを安くにこだわっています。
お金をかければいいってもんじゃない。
安くても満足できるものがいいです。

33年前です
院長の休日
主夫生活5年半、貴重な体験
私が尊敬する人生の先輩、
あこがれのイクジイ先駆者である、
埼玉の木本和男様からお便りをいただきました。
前略。突然の便り恐縮です。4年前に「イクジイ」に過分なるお言葉をいただき、また本年1月の「エプロンは離さない」でも再度ブログに取り上げて頂き感謝いたしております。
ところで、先月末にダメモトで投稿した拙文が「声」に載りました。早々、先生のブログを開いてみたのですが…。お忙しい先生のことなので、お読みいただいているとは言え、ブログまでには手が届かずにいるのではないかとお察しはしますが、万一と思って投函した次第です。
ここ5年、全国紙に数回載ったとは言え、ネットで発信して頂けた方は唯一先生だけであったからです。
無職~主夫~無職。一応もとの鞘に収まりましたが、これで終わったのではなく、これからも先生を始め、全国の皆さんに読んでもらえる文を頑張って書いていきます。勿論、先生のブログも遠方より読ませていただきますので今後とも宜しくお願いします。 早々。
上尾市 木本和男
■ ■
失礼いたしました。
声の欄はすべては読んでおりませんでした。
さっそく、朝日新聞より引用させていただきます。
主夫生活5年半、貴重な体験
無職 木本和男(埼玉県 68)
妻の退職に伴い、5年半続けた「主夫」の座をこのほど降りた。振り返れば定年が近づいた時に上司から次の職場を紹介されたが、以前からの家族との暗黙の約束で、主夫を第二の職場として選んだ。
朝は現役時代より早く起きて、ゴミ出しと洗濯機を回しながら朝食の準備。食事が終われば看護師の妻を送り出し、近くに住む孫娘の幼稚園への見送り。午後2時からは、孫の迎えから夕食の準備と忙しい。加えて東日本大震災で福島県から移ってきた高齢の義母の世話も加わった。
忙しいことは会社勤めで慣れていた。給与は出ないが、職場と思えば忙しさは何のことはないと心に決めて過ごした。
数をこなせば料理もそれなりに作れるようになったし、孫とのスキンシップも増えた。何よりの収穫は、家族からあてにされて、時には褒めてもらえることであった。
貴重な体験をさせてもらった5年半だった。第二の職場から退き、今後は主夫の肩書はなくなる。でも、今までの経験を生かして、我が家の顧問として残してもらうことにしよう。
(以上、朝日新聞より引用)
■ ■
下の写真は木本様からいただいたお手紙です。
光沢紙に、
きれいに印刷されていました。
朝日新聞のロゴや、
はがきのちりとりの図もきれいです。
きっと、
とてもきっちりとした性格の方だと思います。
主夫も100点満点だったと想像します。
■ ■
札幌美容形成外科の女性職員が、
今までの経験を生かして、
我が家の顧問として残してもらうことにしよう。
…という最後の一節が素敵と話していました。
お会いしたことはありませんが、
木本様は素敵なシニアです。
私も木本様を目指します。
料理も習いたいです。
これからも投稿を楽しみにしています。
ありがとうございました。
