院長の休日

明日から2015年4月です

 今日で2015年3月が終わり、
 明日から4月です。
 一年前に消費税がUPしました
 昨年秋には、
 北海道電力の電気料金が上がりました
 北海道の住民や企業は大変です
 札幌美容形成外科も大変です。
      ■         ■
 平成27年3月31日、北海道新聞朝刊の記事です。
 北電4月1日値上げ
 激変緩和策が終了
 北海道電力が昨年11月の 電気料金 再値上げに伴い行ってきた激変緩和策が3月31日で終わり、4月1日から家庭や企業の負担が増す。値上げ幅は再値上げ前と比べ、家庭向けが平均15.33%(激変緩和期間中は平均12.43%)、自由化されている企業向けが同20.32%(同16.48%)となる。他の大手電力管内は原油価格急落で値下げ傾向だが、道内は高止まりし、昨秋以降の原油安の恩恵が激変緩和策終了による料金増で帳消しにされる形だ。
 激変緩和策は、暖房などで電力需要が多くなる冬場の負担軽減策として北電が独自に実施していた。
 道内約250万戸が契約する「従量電灯B」の標準家庭の月額料金(30アンペア契約、月260キロワット時使用)は、激変緩和策終了に伴い182円増の8185円となり、再値上げ前と比べると952円の負担増となる。
 実際には原油など燃料調達価格の変動を反映させる制度があるため、4月の月額料金は前月より26円高い8065円になる。
 オール電化住宅(約21万戸)で主流の「ドリーム8」(8キロボルトアンペア契約、年2万3001キロワット時使用)では年間41万6177円となり、再値上げ前と比べて年間8万5110円の負担増となる。また企業向けは、契約更新を迎えた段階で一気に2割の値上げとなる。
 北電は停止した 泊原発 (後志管内泊村)の代わりに稼働率を上げた火力発電所の燃料費負担などが年間2千億円増えたとして、2013年9月と2014年11月に電気料金を大幅値上げした。東日本大震災後、全国の大手10電力会社で再値上げしたのは北電だけ。
 (以上、北海道新聞より引用)

      ■         ■
 頭が痛いことです。
 札幌美容形成外科が支払う電気料金も大幅にUPしました。
 ビルの冷暖房は電気です。
 電気が止まるとアウトです。
 それにしても、
 電気料金が高いです。
      ■         ■
 電気はすべての産業に影響します。
 さくらんぼさんの果樹園も、
 電気や灯油を使うと思います。
 北海道の電気料金が高いと、
 企業誘致も進みません。
 電気代がかかる北国には企業は来ません。
      ■         ■
 気の毒なのは
 オール電化住宅です。
 年間41万6177円となり、
 再値上げ前と比べて年間8万5110円の負担増

 年間8万円の負担増は考えられません。
 企業向けは、契約更新を迎えた段階で一気に2割の値上げ
 電気を多く使う産業はほんとうに大変です。
 4月12日は北海道知事の選挙です。
 北海道を元気にしてくれる人に投票します。

“明日から2015年4月です”へのコメントを見る

二重・眼瞼下垂

修正手術2015

 2015年3月もあと2日です。
 水曜日から4月です。
 私の院長日記がヒットして、
 相談メールを受けることがあります。
 できるだけ丁寧に返信しているつもりです。
 困るのが、
 形成外科で眼瞼下垂症手術を受けたけれど…
 結果が良くない

 …というような内容です。
      ■         ■
 最低限、
 どこの病院
 いつ
 何という先生に、
 手術を受けたのか?

 …がわからないと返信ができません。
 中にはお気の毒な例もあります。
      ■         ■
 私の院長日記には、
 検索機能があります。
 PCでしたら右上の私の顔の上、
 スマホでしたら、
 一番下のほうに、
 検索があります。
 [修正手術]と入力すると、
 修正手術の院長日記が出てきます。
      ■         ■
 修正手術
 修正手術の難しさ
 修正手術の時期①
 修正手術の時期②
 他院でした手術の修正
 他にもたくさんヒットします。
      ■         ■
 眼瞼下垂症手術は、
 私が手術をしても再手術になることがあります。
 難しいのが、
 微妙な左右差です。
 特に他院で埋没法を受けた人や、
 他の形成外科で手術を受けた人です。
 もともとの左右差だったのか?
 前医の手術によるものかわかりません。
      ■         ■
 私は手術中に起き上がって確認し、
 手術後に写真を撮り、
 帰宅前にもう一度確認しています。
 それでも、
 左右差が出る人がいます。
 一年に数人ですが、
 帰宅前にもう一度手術室に入り、
 再度固定をし直すことがあります。
      ■         ■
 前に書いたことです
 修正手術が難しい理由は、前の手術により瘢痕というキズが皮膚の下にできているためです。その目に見えないようなキズに引っ張られて、ラインが乱れたり、キレイに二重の線ができないことが原因です。
 他院で手術を受けた方は特に難しいです。
 どこにどんな瘢痕や糸があるかわからないからです。
 よい結果を出すまでに、何度も手術をしなければならないこともあります。
      ■         ■
 修正手術を希望される方は、
・ちょっとだけ二重の幅を狭くしたい
・ちょっとだけ二重の幅を広くしたい
・かすかについた余計な線を消して欲しい
・わずかな左右差をちょっとだけ直して欲しい
・右が平行型で左が末広型なので、両方とも平行にしてほしい
 などなど…、ご希望はよく理解できるのですが、実際に治すのは大変なのです。
 中には、誰が見ても不自然でお気の毒な方もいらっしゃいます。
 問題なのは、本人が指でちょっとクセをつければ‘治る’ような軽微な修正です。一見、手術が‘簡単’だと思われるような修正手術でも難しいことがあります。

      ■         ■
 再手術は簡単ではありません。
 治りが悪いこともあります。 
 それでも治す必要がある方は、
 十分にご説明した上で手術をしています。
 自分が変だな?と思ったら…
 まず診察にいらしてください。
 再手術は大変ですが…
 時間がある時にお引き受けしています。
 東京でしたら聖路加国際病院形成外科をおすすめします
      ■         ■
 修正手術の最後に書いた言葉です。
 私は、修正手術の相談を承った時には、
 まず手術をしてくださった先生に相談するように薦めています。
 心ある術者であれば自分の【作品】に不具合があるのは許せないものです。
 その先生に修正手術をするだけの技量がないと判断した場合は、
 リスクや得られる結果を十分にご説明して
 納得していただいた方だけ手術をしています。
 取り返しが付かないことになったら人生の一大事です。
 【】と美容外科は慎重に選んでください。

      ■         ■
 下の院長日記も読んでください。
 眼瞼下垂の再発①
 眼瞼下垂の再発②
 眼瞼下垂の再発③
 眼瞼下垂の再発④
 眼瞼下垂の再発⑤
 眼瞼下垂の再発⑥

“修正手術2015”へのコメントを見る

昔の記憶

副操縦士の不満

 私が高校生の頃の夢は、
 パイロットになることでした
 血を見るのは苦手で、
 注射の針も苦手でした。
 そんな自分が、
 メスと針と糸で、
 美容形成外科医として働いています。
 不思議なものです。
      ■         ■
 自分がパイロットになりたかったから、
 飛行機には、
 夢やあこがれがあります。
 大空を飛ぶのは、
 すごいことだと思います。
 操縦士はかっこいいと思っています。
      ■         ■
 友人や知人にパイロットになった人がいます。
 何人かと話したことがあります。
 私:昔パイロットになりたかったんだ。
 友人:俺は医者になりたかったんだ。

 こんな会話を、
 複数のパイロットとしたことがあります。
      ■         ■
 実際に医者になってみると、
 やるのと見るのでは大違い
 楽な職業ではありません
 パイロットも、
 実に大変な職業だそうです。
 一番大変なのは、
 航空身体検査。
 お酒を飲みすぎて肝機能が悪化するとアウトです。
      ■         ■
 近年は、
 操縦士の待遇が大幅に悪くなりました。
 昔は、
 黒塗りのハイヤーがお迎えに来たようです。
 今はどうでしょうか?
 格安航空会社のパイロットは、
 機内清掃まですると聞きました。
      ■         ■
 ドイツの格安航空会社の副操縦士が、
 意図的に飛行機を墜落させました
 とても残念なことです。
 どうしたら、
 同じ事故を繰り返さないでしょうか?
 医学が進歩して、
 診断技術が向上しました。
 どんなに高性能の機器でも、
 心の中までは読めません
 犠牲者のご冥福をお祈りしています。
      ■         ■
 平成27年3月29日、朝日新聞朝刊の記事です。
 副操縦士「いつか全て変えてみせる」 
 会社の不満語る 独機墜落、
 元恋人が証言
 ドイツ格安航空会社ジャーマンウィングス機の墜落で、同機を故意に墜落させたとされるアンドレアス・ルビッツ副操縦士(27)が、「いつか全てを変えてみせる。僕の名前を誰もが知ることになる」などと元恋人(26)に語っていたことが分かった。独大衆紙ビルトが報じた。副操縦士は勤務先への不満を募らせていたという。
 ビルト紙によると、元恋人は同僚の客室乗務員で、副操縦士と昨年5カ月間交際していた。副操縦士は普段は優しかったが、仕事の話になると急変。「給料が安い」と怒りをぶちまける一方、契約が更新されるか、不安を見せていた。「墜落する!」と叫んで目覚めた夜もあるという。
 副操縦士は親会社ルフトハンザ航空で、長距離便の機長になることを夢見ていた。「健康の問題から自分でも不可能と分かり、思い詰めて(故意の墜落を)してしまったのではないか」と、元恋人は話している。
 独紙ウェルト日曜版(電子版)は3月28日、捜査関係者の話として、副操縦士の自宅から大量の精神疾患の薬が押収されたと伝えた。
 独西部デュッセルドルフの病院は3月27日の声明で、副操縦士が今月10日、来院していたと明らかにした。
 ◇
 搭乗者リストに名前があった佐藤淳一さん(42)=ドイツ・デュッセルドルフ在住=の父幸男さん(68)や、淳一さんの妻=同=ら親族は3月28日午後(日本時間3月29日未明)、デュッセルドルフの空港を発ち、仏マルセイユ経由で、墜落現場近くへ入る。
 翌3月29日(日本時間3月29日午後)、現場に近いルベルネに設けられた慰霊碑などを訪れる予定。関係者によると、幸男さんや、幼い子どものいる淳一さんの妻ら親族は疲れ切った様子という。(ベルリン=玉川透、マルセイユ〈フランス南部〉=上沢博之)
 (以上、朝日新聞より引用)

“副操縦士の不満”へのコメントを見る

医療問題

副操縦士「勤務不可」の診断

 平成27年3月28日、朝日新聞朝刊の記事です。
 副操縦士勤務不可」の診断
 自宅から書類発見 独機墜落
 乗客乗員150人を乗せたドイツ格安航空会社ジャーマンウィングス機の墜落で、独検察当局は3月27日、家宅捜索したドイツ人のアンドレアス・ルビッツ副操縦士(27)の自宅から、病気のため「勤務不可」を指示する医師の診断書などが見つかったと明らかにした。独メディアによると、副操縦士は精神疾患とみられる。当局は、本人が病気を会社に隠していた、と発表した。
 仏検察当局者は3月26日の会見で、副操縦士の殺人容疑も視野に捜査を進める考えを示していた。
 独検察当局は3月26日、副操縦士の自宅など関係先を家宅捜索。デュッセルドルフの検察当局は3月27日、捜索で本人の自宅から診断書が見つかり、墜落した日も「勤務不可」の期間に含まれていたと明かした。診断書は破られていたという。一方で遺書や、政治・宗教的な動機を示すものは見つからなかったという。
 ジャーマンウィングスの広報担当は3月27日、朝日新聞の取材に、副操縦士の「勤務不可」の診断書について「墜落した日が含まれたものは受け取っていない」と答えた。ジャーマンウィングスの親会社ルフトハンザ航空によると、同社は、訓練を経て操縦士を採用する際は「精神面の安定」をチェックしている。ただ、採用後は、操縦士の健康診断は定期的に行うものの、「精神面での定期検査は実施していない」という。
 3月27日付の独大衆紙ビルトは、副操縦士に「精神科の受診歴があった」と報道。「うつ病」と診断され、計1年半診察を受けていたという。ただ、2009年には「重度のうつ病は治まった」と診断されていたという。
 同紙は副操縦士が「失恋に苦しんでいた」との治安当局者の証言も紹介。当局が「個人的な理由」を前提に捜査していると報じた。(ベルリン=玉川透)
 (以上、朝日新聞より引用)

      ■         ■
 この朝刊トップ記事を読んで考えたことです。
 診断書を書いた医師は、
 深く悩み悲しんでいるだろうと、
 同じ医師として思いました。
 日本で同じように、
 この人に操縦させるのは危険だと医師が考えても、
 医師の守秘義務で、
 それを本人以外に伝えることはできません。
      ■         ■
 私の法律解釈が間違っていたら、
 誰かに指摘していただきたいです。
 個人情報保護法が制定される以前から、
 医師には守秘義務が課せられています。
 日常診療で、
 危険を感じても、
 すぐに警察に通報はしません。
      ■         ■
 私の頭に浮かぶのは、
 虐待を受けた子どもさんを診察して、
 児童相談所に通報するくらいです。
 殺されそうになった人が、
 病院へ搬送される場合は、
 だいたい救急隊と警察が同時に来ます。
 警察が事情聴取をしてくれます。
      ■         ■
 人殺しをしそうな人が病院に来た場合、
 精神神経科の措置入院という制度は知っていますが、
 警察に通報は聞いたことがありません。
 旅客機の操縦士のように、
 多くの人命を預かる人が、
 航空機を故意に墜落させる恐れがあったら、
 医師の守秘義務はどうなるのか?
 関係機関によく検討していただき、
 二度とこのような悲劇が起こらないことを祈ります。
 犠牲者のご冥福をお祈りしています。

“副操縦士「勤務不可」の診断”へのコメントを見る

院長の休日

副操縦士が意図的に墜落させた

 平成27年3月27日、朝日新聞朝刊の記事です。
 操縦室、外から開かず 独機墜落
 副操縦士が閉め出す 9・11後、安全対策強化
 検察当局が3月26日、独ジャーマンウィングス機の墜落事故について、副操縦士が意図的に墜落させたとみられると発表した。機長を操縦室(コックピット)から閉め出し、機体を急降下させた模様だ。2001年の米同時多発テロ以降に操縦室に外から入れないように強化された安全対策が、悪用されたおそれがある。事故機でいったい何が起こったのか。
 コックピットへの出入りは、2001年の米同時多発テロを機に、世界的に厳しく制限されるようになった。日本の国土交通省によると、60席超の旅客機では2003年11月から、銃弾が貫通しない強化ドアの装備が義務づけられている。
 1999年7月に全日空機が男にハイジャックされ、機長が殺害された事件では、コックピットから閉め出された副操縦士らが体当たりしてドアを破り、ハイジャック犯を取り押さえた。しかし現在、ドアはコックピット内からしか開けられないのが原則だ。
 元日本航空機長で航空評論家の小林宏之さんは、ドアを外から開ける手段は「聞いたことがない」とし、「コックピットの外に閉め出された操縦士が戻れなければ、墜落を避けるのは難しい」と話す。
 仏検察当局によると、事故機の副操縦士は機長をコックピットから閉め出したままにし、機体を急降下させた。米CNNによると、コックピット内にいる操縦士がドアをロックした状態にし続ければ、外から入ることはできないという。
 意図的に閉め出さなくても、コックピットに残った操縦士が意識を失うような事態も考えられる。小林さんは「同時多発テロ以降、セキュリティー面をより重視するようになった一方、操縦士が飛行の安全を脅かすような状況は想定外だった。航空界は安全対策を見直す必要があるのではないか」と指摘する。(永田工)
 ■墜落の経緯(仏検察の発表要旨)
 仏検察当局が3月26日に発表した独ジャーマンウィングス機の墜落の経緯(要旨)は、次の通り。
◇ボイスレコーダーの(墜落までの)最後の30分間の記録を入手した。最初20分間は(機長と副操縦士の)2人のパイロットの会話は極めてふつうで、ていねいなやりとりがなされていた。
 その後、機長が独デュッセルドルフの空港への着陸のアナウンスの準備をはじめ、副操縦士が返事をした。機長は操縦を代わるよう求め、椅子が動く音、ドアが閉まる音が聞こえた。自然の摂理にしたがった行動(トイレ)だと思われる。
 副操縦士が1人になると、フライト・モニタリング・システムを操作した。機体を降下させるためだ。意図的だとしか考えられない。
 機長は、(コックピットに戻るため)インターホンを使って入室させるよう求めている。だが返答はない。ドアを開けるようノックしているが同じだった。
 操縦室ではふつうの呼吸音が聞こえ、衝突の瞬間まで続いた。副操縦士が生きていたことを示している。マルセイユの管制塔の呼びかけが聞き取れるが、ここでも返答はない。地面が近づいていることを知らせる警告音がなった。ドアを激しく打つ音が聞こえた。
 急斜面に機体がぶつかる音が残っている。斜面をすべるような形になり、機体は時速700キロで山に突っ込んだ。緊急事態を告げるメッセージは出ていなかった。副操縦士は一言もしゃべっていない。
 墜落から48時間しかたっていない時点での解釈だが、副操縦士は意図的にコックピットのドアを開けるのを拒み、高度を下げるボタンを作動させた可能性が高い。航空機を破壊する意図があったと解釈できる。
 犠牲者は最後の瞬間まで事態をのみ込めていなかったと思う。衝突の直前に叫び声があがったのが記録されている。
 (報道陣からの「自殺か」との問いに対して)自殺は1人でするものであって、150人の命に責任を持っている人物に対し、私は自殺という言葉は使わない
 (セーヌレザルプ〈仏南東部〉=青田秀樹)

 (以上、朝日新聞より引用)
      ■         ■
 衝撃的な結果です。
 まだ捜査中とはいえ、
 自殺は1人でするものであって、
 150人の命に責任を持っている人物に対し、
 私は自殺という言葉は使わない

 とても残念な結果です。
      ■         ■
 私たちは自殺者の治療もします。
 救命救急センターへ搬送される方の中には、
 自ら命を絶った人もいます。
 自殺した患者さんでも、
 私たちには救命する義務があります。
 中には、
 自殺の巻き添えもあります。
 高所から飛び降りて、
 下にいた人が負傷する場合です。
      ■         ■
 交通事故にも、
 ある程度の割合で自殺が含まれます。
 私が治療した患者さんの中にも、
 自殺しようとした交通事故がありました。
 仏検察の発表にあるように、
 操縦士が自殺目的で、
 航空機を墜落させたなら、
 それは自殺ではありません。
      ■         ■
 この事故をきっかけとして、
 操縦士が一人でコックピットに残ることは、
 世界中で無くなると思います。
 今朝のTVで、
 日本の航空会社は、
 操縦士が外へ出る時は、
 CAを一名コックピットに入れるようにしていると聞きました。
 どうしたらこの事故?事件?を防ぐことができたのか?
 犠牲者のご冥福をお祈りしています。
20150327

(以上、朝日新聞より引用)

“副操縦士が意図的に墜落させた”へのコメントを見る

昔の記憶

けんちゃん不登校の歴史

 私は小学校一年生の時に、
 不登校になりました。
 …というより、
 先生に『帰れ』と言われたので、
 素直に家に帰りました
 親がびっくりして、
 小学校へ行きました。
      ■         ■
 帰れと言われた日、
 私は鼻水が出ていました。
 当時はポケットティシュなどというのはなく、
 チリ紙という薄い紙を、
 何枚も重ねて持って行きました。
 チリ紙を忘れたのか、
 足りなくなったのか?までは覚えていません。
      ■         ■
 とにかく鼻水が出てくるので、
 授業中に鼻汁をすすっていました。
 口の中にたまるので、
 自分の席の横にあった、
 手洗い器の樋の部分に、
 口の中の鼻水を吐き出しました。
      ■         ■
 それを、
 担任の藤沢全先生が見つけました。
 たんなんて汚いものを
 そんなところに吐き出してはいけない

 小学校一年生のけんいち少年を叱りました。
 帰れが先だったか?
 先生が私を連れ出そうとして、
 私が暴れたのが先だったか忘れました。
      ■         ■
 私も先生の眼鏡を取って、
 床に落としました。
 先生はますます怒って、
 私は教室を出されました
 よほど印象に残ったのか?
 先生の名前も状況もよく覚えています。
 そんな状況でした。
      ■         ■
 親が学校に謝りに行って、
 先生の眼鏡も壊れなかったので、
 弁償もせずに済みました。
 当然、
 私の学業成績はふるわず、
 学校も好きではありませんでした。
 幼稚園は大好きだったのに、
 小学校は嫌いになっていました。
      ■         ■
 私はできの悪い子でした
 身体も弱く、
 小学校一年生の時には、
 よく学校を休んでいました。
 ひょっとすると、
 私がよく学校を休んだのは、
 こんな出来事が原因だったのかも?
 …と60歳になってから思います。
      ■         ■
 不登校だった、
 けんいち少年も、
 小学校2年生の担任だった、
 加藤先生のおかげで、
 私が学校好きになって、 
 成績が伸びました。
 加藤先生は字が上手な先生でした。
 よく家庭訪問に来てくれました。
      ■         ■
 私を家に帰した藤沢全先生も、
 よほど気になる子供だったのか、
 茶志内に引っ越してから
 一度、遊びに来てくれました。
 その時には、
 私が成長したことをよろこんでくれました。
 先生も気になっていたのでしょう。
 今になってネットで検索すると、
 藤澤全先生というお名前が見つかりました。
 同じ先生かどうかわかりませんが、
 なつかしい名前です。

幼稚園の時
左下肢に装具をつけています
ペルテスという病気でした

“けんちゃん不登校の歴史”へのコメントを見る

昔の記憶

うれしい春への感謝

 平成27年3月25日、朝日新聞朝刊、 
 ひとときへの投稿です。
 うれしい春への感謝
 中2で不登校、転校後も約10カ月教室に行けなかった子供に、うれしい春がきました。県立高校に合格したのです。
 受験で合格した中学校に行けなくなり、転校した学校でも心の傷から回復できず部屋にこもろうとしました。私は出席日数を気にして、嫌がっても車で連れて行きました。必死だった気持ちをほぐしてくれたのは不登校指導の経験が長い校長先生。いつも温かい声をかけてくれました。
 保育所、小学校と支援が必要な子でした。中学では不登校になり、形だけ登校、帰宅する日々。そんなとき、「お子さんは前に進んでいますよ」との言葉に勇気を奮い起こしました。
 確かに回復に向かう力がゆっくり育っていました。相談室などで折り紙を折り続け、そこでの友達が増えました。中3になると毎日元気に登校し、最後に成績は大きく伸びました。
 入試会場で「お母さん、これまでありがとうございました」としっかりと言って試験に臨んだ姿を忘れません。学校の見守り、カウンセラーや塾の先生方、地域の方々。どなたが欠けても、いったん閉じた子供の力を開花させられなかったと静かに感謝しています。
 (以上、朝日新聞より引用)

      ■         ■
 事件や事故など、
 あまり楽しくない記事が多い新聞の中に、
 このような、
 ちょっと、
 ほっとする投稿を見つけると、
 こちらまでうれしくなります
 よかったですね
      ■         ■
 校長先生の、
 温かい声かけが、
 どんなにはげみになったことでしょうか。
 以前の朝日新聞にも、
 先生の根回しで?いじめ防止
 …という投稿がありました。
 不登校の子を助けるのは、
 困っている親を助けることにもなります。
      ■         ■
 札幌美容形成外科にも、
 不登校の子どもさんが来院されます。
 事情はさまざまです。
 私は、
 不登校の原因と直接関係がなくても、
 少しでも、
 自分が気になっている部分を治して差し上げ、
 元気に学校へ行ってくれることを願って、
 いっしょうけんめい手術をしています。

“うれしい春への感謝”へのコメントを見る

昔の記憶

冬に逆戻り2015

 昨日の院長日記の最後に、
 もうすぐ春ですと書いたら、
 今日は冬に逆戻りです。
 油断をすると、
 風邪をひきそうです。
      ■         ■
 自分の人生を振り返ってみても、
 冬に逆戻りや、
 思わぬところで失業したり
 いろいろな苦難がありました
 開業医も苦難の連続です
 決して楽な職業ではありません
      ■         ■
 札幌美容形成外科には、
 たくさんの若い方が受診してくださいます。
 桜さいた
 合格のたより♡もあれば、
 ◆みちのくの雪深し◆という、 
 不合格のたより◆もあります。
 人生は悲喜こもごもです。
      ■         ■
 今はインターネットで合否がわかりますが、
 昔は、
 大学の合格掲示板だけでした
 番号だけではなく、
 氏名が張り出されました。
 白地に筆で書いてあったように記憶しています。
 その合格掲示板を、
 地元の放送局がテレビ中継していました。
      ■         ■
 『ミチノクノユキフカシ』
 『みちのくの雪深し』は、  
 私が現役の時に不合格となった弘前大学医学部でした。
 私は不合格だと思っていたので、
 合格電報は頼みませんでした。
 3月下旬に、
 予備校の医進クラスの選抜試験がありました。
      ■         ■
 私が人生で一番勉強したのが予備校時代です。
 私の同期には、
 2浪
 3浪
 4浪
 8浪もいます。 
 みんないい先生です。
 女性で4浪の先生もいます。
 60歳を超えても若く見えるので、
 年齢のことなんかわかりません。
      ■         ■
 浪人は無駄ではない
 不合格だった人にも、
 がんばっていただきたいです。
 必ず春は来ます。 
 来年は桜さいたになるように、
 全力でがんばりましょう。
 最後まであきらめないことです

“冬に逆戻り2015”へのコメントを見る

院長の休日

自転車に乗りました2015

 昨日(2015年3月22日)、今年はじめて自転車に乗りました。
 桑園(そうえん)のイオンまで行きました。
 まだ風は冷たいですが、
 自転車は快適です。
 私の自転車は、
 息子のおふるです。
 もうぼろぼろです。
      ■         ■
 ちゃんとブレーキがきいて、
 ライトが点くことは確認しています。
 なぜ古い自転車に乗るか?
 一番の理由はけちだから。
 次に愛着があるから
 まだまだ乗れるからです。
      ■         ■
 春の訪れ
 2008年3月22日の院長日記です。
 私は、小さい頃に足を悪くしたためか…
 スポーツは苦手でした。
 唯一得意科目だったのが、スキーでした。
 走るのもダメ、
 球技もダメ、
 一番嫌いだったのが、体育のマット運動などでした。
 4月に学校が始まると、
 マット運動から始まるのでイヤでした。
 自転車だけは、運動神経と関係なく好きでした。

      ■         ■
 息子のぼろ自転車は、
 自転車屋のおじさんの店で購入しました。
 ブリジストンの自転車です。
 古い自転車ですが、
 半年近く放置していたのに、
 タイヤの空気は抜けていませんでした。
 さすがブリジストンは違うと思いました。
      ■         ■
 古い自転車は、
 ぎこぎこいっていたので、
 昨年油を差しました。
 ぎこぎこ言わなくなりました。
 まだまだ乗れそうです。
 息子さんが継がれた、
 フジニ商会に持って行って、
 整備できるか聞いてみようと思っています。
 もうすぐ春です
shu

シューパロ湖へ自転車で行った時
私は自転車が好きな少年でした

“自転車に乗りました2015”へのコメントを見る

医学講座

乳がんの手術は病院で

 昨日の院長日記、
 病院診療所ジョイントミーティングに、
 乳がん手術は、
 ビルの診療所で、
 簡単にできる手術ではありませんと書きました。
 ネットで検索すると、
 日帰りで乳がん手術ができて、
 しかもおっぱいの形まで元通り

 …というクリニックがヒットします。
      ■         ■
 仕事もあるし、
 入院しなくても手術が受けられ、
 おっぱいの形も変形しない

 夢のような治療
 …と誤解するような宣伝があります。
 私の奥さんが乳がんになったら、
 絶対にしっかりとした病院で手術をしてもらいます
      ■         ■
 乳がんは命にかかわる病気です。
 一度の手術で、
 全員が完治する病気ではありません。
 手術前の治療や、
 手術後の治療も大切です。
 今は乳がんのタイプを詳しく調べて、
 タイプ別に違った薬を使います。
      ■         ■
 昨日ご紹介した、
 札幌駅前しきしま乳線外科クリニック
 敷島裕之先生は、
 クリニックの診療が終了してから、
 無報酬で斗南病院まで回診に行かれます。
 交通費すら出ません。
 クリニックの収入にもなりません。
 すごい先生だと思います。
      ■         ■
 敷島先生の手術は、
 設備が整った斗南病院で行います。
 手術後も、
 病院の看護師さんが、
 24時間しっかり見てくださいます。
 ビルの診療所は、
 夜間はやっていません。
 手術後も見てくれる看護師さんはいません。
      ■         ■
 クリニックによっては、
 札幌に常勤医がおらず、
 東京から出張で来ている先生が院長のところがあります。
 そうすると、
 先生は手術が終わったら、
 たとえ乳がんの手術後でも東京へ帰ります。
 患者さんに何かあっても対応できません。
      ■         ■
 乳線外科の手術も進歩しました。
 札幌駅前しきしま乳線外科クリニック
 敷島裕之先生の手術は、
 再建用のバッグを使わなくても、
 乳房の形態がとてもきれいでした。
 手術後の病理組織検査や、
 化学療法もしっかり受けられます。
 若いうちから乳がんの検査を受けて、
 手術はしっかりとした病院で受けることを、
 強くおすすめします
 札幌駅前しきしま乳線外科クリニック
 敷島裕之先生は、
 信頼できる先生です

“乳がんの手術は病院で”へのコメントを見る

TEL 011-231-6666ご相談ご予約このページのトップへ