医学講座
定額減税2024
今日は2024年6月5日(水)です。
札幌は雨です。
第33回 YOSAKOIソーラン祭りが今日から9日(日)まで開催されます。
明日以降は曇りか晴れのようです。
今月はベースアップ評価料の他に、
定額減税があります。
■ ■
国税庁HPを見てもさっぱりわかりません。
定額減税額
本人(居住者に限ります)30,000円だそうです。
困ったなぁ~
面倒だなぁ~
やりたくないなぁ~
正直な感想です。
■ ■
極小企業の札幌美容形成外科は、
お給料の計算は院長の私がしています。
奥さんに任せて間違うと大変だからです。
弥生給与というソフトを使っています。
高いですが優秀なソフトです。
弥生給与と弥生会計で毎月一万円以上を払って使っています。
■ ■
とっても面倒だったベースアップ評価料と違って、
定額減税は弥生給与のおかげで、
苦労せずに計算ができました。
給与明細にも記入できました。
毎月一万円以上を払っても、
これなら満足できます。
今日はちょっと安心しています。
医学講座
ベースアップ評価料をいただきます
今日は2024年6月4日(火)です。
札幌は晴れのいいお天気です。
今週は第33回YOSAKOIソーラン祭りがあります。
たくさんの人が札幌に来てくれます。
昨年は千葉県船橋市の社会人チーム「REDA舞神楽(れだ まいかぐら)」(132人)が、
最高賞のYOSAKOIソーラン大賞を初受賞しました。
今年はどこが優勝するか楽しみです。
■ ■
私は6月からの、
ベースアップ評価料で大変です。
国が決めた診療報酬の決まりです。
申し訳ございません。初診で20円高くなります。
この手続きが頭にくるほど大変です。
69歳のジジイにはわかりません。
下の図は厚生労働省HPです。
届出は簡単、「3」ステップ!!
…と書いてありますが大嘘つきです。
簡単ではありません。説明義務違反です。
■ ■
とっても複雑な給与計算をして、
それをエクセルの表に入力して北海道厚生局に送ります。
期限が昨日6月3日まででした。
もっと腹が立つのは、
ベースアップの対象から複雑な計算をする事務職員が外されていることです。
これじゃぁ~とってもやる気になれません。
って事務方に言われても院長は何もできないです。
(札幌美容形成外科に事務さんはいないので私がやっています)
病院にとって事務さんも大切なのに、、、
厚生労働省も国もわかってないです。
もちろん私は管理者なのでベースアップから外されています。

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医療脱毛チェーン店のうわさ
今日は2024年6月3日(月)です。
第112回日本美容外科学会(JSAS)で耳にしたうわさです。
エビデンスはありません。
確認もしていないので、
うわさとして聞き流してください。
医療脱毛専門チェーン店のことです。
■ ■
医療脱毛チェーン店では価格破壊が進みました。
乗換割など各種キャンペーンを繰り返し、
今は全身脱毛(VIO含)が6回で8万円以下、
中には5回で5万円以下のところもあります。
こんなことをやっていて大丈夫なのかなぁ~?と思って見ています。
うわさによると、
〇〇〇クリニックが〇〇美容外科に吸収されたとか、
店舗数を減らしていると聞きます。
■ ■
かつてはエステ脱毛最大手ミュゼが破たんとか、
札幌の美容クリニックで脱毛契約をしたけれど、
予約が取れなくなった
気がついたら経営破綻していた、、、泣
…という事件がありました。
格安プランで契約した方は、
なるべく早く予約して、
プランを終了することをおすすめします。
根拠がないうわさです。
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匠の技を学べるJSAS
今日は2024年6月2日(日)です。
日本美容外科学会(JSAS)の魅力をお伝えします。
日本で実際に行われている美容外科手術の大部分は、
大手美容外科チェーン店で施術されています。
形成外科専門医以外の先生もたくさん手術をしています。
初期研修を終えた先生が直接美容外科に入職するのを、
直美ちょくびと呼ぶそうです。
■ ■
直美で大手美容外科に入職し、
莫大な数の手術をして、
インスタとYouTubeで莫大な数のフォロワーを擁して、
若くしてマイチェーンクリニックを持つ先生もいます。
成功者のようです。
そんな先生がどんな手術をしているのか?
どんな先生なのか?直接見ることができるのがJSASです。
中にはお行儀がよくない参加者がいて、
発表を写真に撮っている人もいます。
■ ■
日本美容外科学会(JSAS)に批判的な形成外科医もいます。
私がJSASに参加するのは、
匠の技たくみのわざが学べるからです。
日本形成外科学会では見ることができない、
美容外科ひとすじのすばらしい先生です。
患者さんを自分の彼女だと思う、
ノエル銀座クリニック院長の保志名勝先生のフェイスリフト手術を見ることができました。
福田慶三先生のフェイスリフト手術も見ることができました。
切らない眼瞼下垂症手術の
真崎信行先生の手術もはじめて見ることができました。
上の3人は私が信頼する美容外科の先生です。
■ ■
玉石混交ぎょくせきこんこうなのがJSASであり、
今の日本の美容外科業界です。
美容外科は上手に利用すると人生が楽しくなります。
ちょっと選択を間違うと、
とんでもない結果になることもあります。
私は美容外科医ではなく形成外科医です。
毎年学会に参加して勉強しています。
少しでも多くの正しい情報を発信したいと思っています。
つたない院長日記を読んでいただき感謝しています。
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第112回日本美容外科学会(JSAS)(東京)③
今日は2024年6月1日(土)です。
昨夜、東京から帰ってきました。
新千歳空港に到着すると12℃でした。
やはり北海道は寒いです。
快速エアポートで札幌に向かうと、
北広島からたくさんの人が乗ってきました。
エスコンで野球を見た人たちでした。
札幌までほぼ満員でした。
■ ■
第112回日本美容外科学会(JSAS)は勉強になりました。
切らない眼瞼下垂症手術の創始者、
真崎信行先生の手術をはじめて見せていただきました。
真崎医院まさきいいんは知る人ぞ知る予約困難な名店です。
クオリティーの高い美容外科手術をなさっています。
真崎先生は共立美容外科創立者のお一人です。
脂肪吸引で使うKBシースの考案者です。
■ ■
プログラムには座長のお名前があるだけで、
まさか真崎信行先生の手術が動画とアニメで見ることができるとは、
考えてもみませんでした。
座長の福田慶三先生のおかげです。
参加した甲斐がありました。
症例を選んで行うと『切る眼瞼下垂症手術』よりいいと思いました。
真崎信行先生は信頼できる美容外科医です。
■ ■
日本美容外科学会(JSAS)に批判的な先生もいらっしゃいます。
2008年に私が韓国で発表した時には、
お行儀がよくない先生を座長が注意することがありました。
大学や大きな病院に勤務したことがない先生たちは、
学会発表のマナーを知らないことがあります。
そんな先生たちにマナーを教えてあげるのは、
私たち高齢者軍団の医師だと思っています。

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第112回日本美容外科学会(JSAS)(東京)②
今日は2024年5月31日(金)です。
昨日の第112回日本美容外科学会(JSAS)で勉強したことです。
これだけは知っておきたい美容医療の麻酔と救急処置
お二人の麻酔科の先生の特別講演でした。
美容外科でも手術後に重篤な症状となることがあります。
■ ■
トラブルが多いのが脂肪吸引です。
脂肪吸引が死亡吸引になることがあります。
昨日の特別講演では、
医療事故調査・支援センター(一般社団法人 日本医療安全調査機構)から、
2022年3月に発行された、
医療事故の再発防止に向けた提言 第16号
頸部手術に起因した気道閉塞に係る死亡事例の分析
…を教えていただきました。
■ ■
この中には美容外科で起きた死亡例はありませんが、
私は医療事故調がこんな報告書を出したことを知りませんでした。
美容外科でのトラブルはまれにあります。
アゴや顔の脂肪吸引で亡くなった人がいます。
顔の骨切手術後にトラブルになった人もいます。
昨日の特別講演で、
もしトラブルになった時の対処法を詳しく教えていただきました。
これだけでも学会に来た価値がありました。
医療事故はいつ起きるかわかりません。
もし事故った時に適切に対処できるスキルが必要です。
■ ■
今回の第112回日本美容外科学会(JSAS)はすごい数の参加者でした。
医師以外の看護師さんや受付さんもいらしたようなので、
単純に数の比較はできませんが、
とにかくすごい人数でした。
どの会場も満席で立ち見がありました。
内容も充実していました。
JSASは確実に進歩しています。
これから札幌に帰ります。

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第112回日本美容外科学会(JSAS)(東京)①
今日は2024年5月30日(木)です。
昨夜、東京に着きました。
札幌は12℃しかなくて寒かったのに、
東京に着いたら26℃でした。
今日の気温は27℃です。
気温差が大きいです。
■ ■
昨日のモーニングショーで山形の高級さくらんぼが、
昨年夏の猛暑でめしべが2つになる異常が出て、
今年は壊滅的な被害が出ていると報道していました。
さくらんぼさんのお宅も大変です。
こんな年は知り合ってからはじめてです。
言葉もないくらい驚いています。
■ ■
♡幸せになる美容外科♡も、
ちょっとしたことで【不幸になる】ことがあります。
TVで報道されない事故もあります。
学会に来ると、
親しい先生との情報交換で事故を知ることがあります。
発表を聞く以外に、
このような【裏情報】の収集も学会参加の目的です。
■ ■
今日の学会では、
特別講演
これだけは知っておきたい美容医療の麻酔と救急処置
【SL1】美容外科手術における麻酔管理
垣花学(琉球大学大学 麻酔科学講座)
【SL2】麻酔・手術に関連した気道トラブルとその対応
中川雅史(聖マリアンナ医科大学 麻酔科)
この特別公演が勉強になりました。
今までの日本美容外科学会にはない特別講演でした。
座長の金田徹先生(THECLINIC 麻酔科)と学会長の大橋昌敬先生(THE CLINIC)
に感謝いたします。
詳しくは明日以降に院長日記に書きます。
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明日から第112回日本美容外科学会(JSAS)(東京)
今日は2024年5月29日(水)です。
明日から第112回日本美容外科学会(JSAS)が開催されます。
私は今夜の飛行機で上京します。
明日9:00から学会があります。
学会会場が3つあります。
下のタイムテーブルのようになっています。
■ ■
一つの会場しか聞けないので、
どれを聞こうかプログラムをよく見ておきます。
第一会場
レニスナを併用した切開式眼瞼下垂手術
池田欣生(東京皮膚科・形成外科)
第二会場
選ばれるクリニックになるための「差別化」のイロハ~ブランディング戦略とSNS マーケティング~
秋葉凛樹(共催:株式会社メディカルフォース)
第三会場
機器を使ったたるみ治療
宮田成章,荒尾直樹,西川礼華,安部光洋
■ ■
プログラムを見ると、
混んで立ち見が出そうな会場と、
比較的空いてそうな会場が予想できます。
私は手術がメインなので、
手術に関係がある会場に行きます。
発表が上手でおもしろい先生が、
福田慶三先生です。
何度聞いても上手だと思います。
2日間しっかり勉強してきます。


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第19回日本マイクロサージャリー学会(1992)
今日は2024年5月28日(火)です。
昨日の院長日記【訃報】薄井正道先生で悲しいです。
薄井正道先生の写真をネットで探したのですが、
なかなか見つかりませんでした。
日本マイクロサージャリー学会学術集会のあゆみに出ていました。
1992年9月24日(木)25日(金)に開催された、
第19回日本マイクロサージャリー学会です。
■ ■
私は市立札幌病院に勤務していました。
薄井正道先生が学会長でした。
第19回日本マイクロサージャリー学会学術集会
会長 薄井正道
札幌医科大学整形外科
■会期
1992年(平成4年)9月24日(木)~25日(金)
■会場
グリーンホテル札幌(札幌市)
今はアパホテル&リゾート(札幌)になっています。
■ ■
薄井先生のお言葉です。
日本マイクロサージャリー学会が1974年に奈良で産声をあげて以来,北海道では初めての学術集会の開催であった。その間の学会の発展にともない,主要な研究対象も切断肢の再接着から微小血管吻合の技術を駆使した複合組織移植による再建術へと移行していた。また世界のマイクロサージャリーの動向にも目が向けられ,わが国はその発展にどのような貢献ができるかについての模索が進められていた。
私は学術集会を開催するにあたって三つの柱を作ることにした。その一つは,骨・軟部腫瘍の治療において,微小血管吻合術の導入による複合組織移植の有用性を確立することであった。私は北大の整形外科の大学院時代を病理学教室での研究に費やした。整形外科では,骨・軟部腫瘍の診断と治療が私の subspeciality の一つになっていた。
■学会印象記
本学会の学術集会は,これまでは 11 月下旬から12 月上旬に開かれていた。しかしこの時期の札幌は,冬を迎えて一年中で最も悪天候の季節である。例年とは異なり,9月24日,25日に開催することにした。開催時期が2カ月早まったにもかかわらず,146 題の演題が集まった。それに外国人講演や症例検討が加わることで,例年と同様に成果の多い学術集会になったことに感謝している。
学会の会場は,札幌市の市街地から離れたグリーンホテル札幌を選定した。札幌から定山渓に向かう,いわば札幌市の出入り口にあたる場所に位置しており,前の年にユニバーシアード冬季大会の本部と選手村となった大型リゾートホテルである。多数の利用者を見込んで設計されているので,学会への参加者全員の宿泊が可能であり,大きな会議室も用意されている。学会参加者にとっては,ゆったりとした気分で口演を聞いたり質疑応答に加わってもらえるのではないかと期待した上での会場選択であった。札幌の繁華街に出るにはタクシーで 30 分ほどかかるのが少々不便な点と思われたが,学術集会を主催するにあたっての目的は果たせたと思っている。
私は常日頃,情報網が発達した現代社会において,研究者が一堂に会する学術集会の意味は,一体何なのだろうかと考えてきた。研究者同士が直接,質疑応答をとりかわすことによって,お互いの考え方を理解しあうところに学術集会の最も大きな意義があるのではないかと思っている。
学術集会での意見の交換の方法は,その様式によってシンポジウムやパネルディスカッションなどに分類される。シンポジウムは,ギリシャ語の“一緒に酒を飲む(symposia)”という言葉に由来している。何らかのテーマを持って集まった各シンポジストは,自分の学問上の意見を,相手に影響されることなく自由に述べ合うだけである。特になんらかの結論を出す必要はない。
一方,パネルディスカッションは,陪審討議という意味である。各パネリストは,公衆の前で,一つの問題について種々の観点から問題を掘り下げて討論を重ねていく。必ずしも一つの結論を出す必要はないが,結論に向けての集中的な討議が要求される。
私は今回の学術集会の「症例検討」のセッションでは,意識的にパネルディスカッションにおける意見の交換様式を採用することにした。4例の提示症例を用意したが,症例が提示された後では,症例提示者を含めて,会場の出席者全員がパネリストになる。提示症例ごとに現在考えられるベストの治療手段を得ることを目指して,討論に集中して欲しいと望んだからであった。その結果,四肢の腫瘍切除後の再建術として,あるいは患肢温存手術の手術法としての血管柄付腓骨移植術の有用性が確認されることになった。血管柄付腓骨移植術を用いた四肢の再建術に試行錯誤を続けてきた私にとっては,学術集会での最も大きな収穫であった。
学会抄録集の表紙は,札幌市のシンボルである時計台とした。この学会のために作品を用意して下さったのは,私の患者さんの刈谷日出夫氏である。スキーの指導中に下腿の開放骨折を受傷して他院で治療された。骨髄炎による偽関節を形成して,私が治療を引き継ぐことになった。血管柄付腓骨移植術が成功して独歩可能な状態に回復した。
私が血管柄付腓骨移植術を行った患者さんの中でも刈谷氏は特に忘れられない一人である。時計台の水彩画で第 19 回日本マイクロサージャリー学会学術集会の表紙を飾っていただいたことに改めて感謝している。
最後に日頃からマイクロサージャリーの有用性を理解して下さって,学術集会の開催にあたっては,行き届いたご支援をいただいた札幌医大整形外科の石井清一教授(現名誉教授),それに教室員の皆様には心からの感謝を申し上げます。(文責:薄井正道)

1992年、マイクロサージャリー学会の運営に携わった札幌医大整形外科のスタッフ
前列中央が薄井正道先生

1992年、マイクロサージャリー学会の運営に携わった札幌医大整形外科のスタッフ
右端が薄井正道先生
■ ■
中央に写っているのが、
招待講演
Free Vascularized Fibular Graft for Skeletal Defect Reconstruction after Tumor Resectionをなさった、
Michael B. Wood, M.D.先生、
Professor of Orthopedic Surgery, Mayo Clinic/Mayo Foundation, USA
Mayo Clinicという米国の有名な病院です。
薄井先生はたくさんの優秀な整形外科医を育てられました。
心からご冥福をお祈りしています。
昔の記憶
【訃報】薄井正道先生
今朝、北海道新聞を見て驚きました。
北海道で切断指再接着をはじめて成功させ、
私の夕張市立鹿島中学校の同級生、
杉本勢津子さんの指をつないでくださった、
薄井正道先生の訃報が載っていました。
81歳でした。
心からご冥福をお祈りいたします。
■ ■
1974年2月(昭和49年2月)、
北海道大学整形外科の薄井正道先生が夕張市から救急搬送された、
19歳の女の子の指をつなぎました。
『せっちゃん、指くっついた!』という見出しで、
きれいな女の子が笑顔で新聞に載っていました。
中学校3年生の時に同級生で、
私の隣の席だった杉本勢津子さんでした。
■ ■
夕張市立鹿島中学3年A組で、
渡辺煕(わたなべひろし)先生のクラスでした。
同級生だった杉本勢津子さんでした。
新聞記事を見た第一印象。
『キレイになったなぁ!』
私が大夕張で同級生だったのは、
15歳の時でした。
面倒見のよい、明るい子でした。
目がパッチリと大きかった印象があります。
■ ■
私は一浪の末、札幌医大に合格していました。
切断指の再接着が行われたのが1974年2月で、
新聞に掲載されたのが1974年3月だったと記憶しています。
19歳だった本間くんはシャイでした。
一人ではお見舞いに行きにくいなぁ…
親しい友人に頼んで、
一緒に北大病院まで行ってもらいました。
南病棟にあった整形外科まで行きました。
■ ■
病棟の看護婦さんに、
『あのぅ~、指の杉本さんのお見舞いに…』
と言ったところ、
『あっ、今、回診中だから、待ってて!』
と言われました。
『あっ、それじゃこれ渡してください。』と
持って行った、お菓子を置いて、
シャイな私は逃げるように帰ってきました。
看護婦さんが、
『ちょっと待っててくれればいいのに…』
『きっと残念がるゎ…』
と言われたのを覚えています。
■ ■
それから6年後に自分が北大病院で働くとは、
夢にも考えていませんでした。
2022年に私の院長日記を読んだ杉本勢津子さんからお手紙をいただきました。
現在は本州でしあわせに暮らしていることがわかりました。
薄井正道先生のおかげで指がくっつきました。
薄井先生は荻野利彦先生の先輩です。
心からご冥福をお祈りいたします。



1992年、マイクロサージャリー学会の運営に携わった札幌医大整形外科のスタッフ
前列中央が薄井正道先生